第33話『揺れる王都』パート3:夕食
白壁の屋敷の中、かすかな香草の香りが漂い始めていた。
台所からは煮込み鍋のくつくつとした音が聞こえ、奥では執事が数人の料理人と忙しく立ち働いている。
広間には長テーブルが置かれ、その上には次々と皿が並べられていた。
「準備が、ずいぶん本格的ね……」
ミレイアが手元の地図を閉じて言った。
彼女の視線の先には、食器を並べる若い給仕が礼儀正しく一礼している。
「執事さんが“屋敷の滞在に不備なきよう”って言ってたしね。なんか、貴族っぽい……」
リリアナは、窓の外を一度見やった。
「でも、やっぱ落ち着かないかな。外の通路で食べるのに慣れちゃって……」
その後ろからは、静かに台所を覗き込んだクラウスが戻ってきた。
「この屋敷の厨房、かなり設備が整ってますね。手伝いたくなるくらいですよ。あ、でもさすがに止めておきました」
「料理人に任せて正解だって……。クラウスが入ったら、たぶん厨房が静まり返るぞ」
ルネが笑いながら茶々を入れると、クラウスは「そんなに威圧感ありますかね」と、困ったように頬を掻いた。
そんな和やかな空気の中、扉が軽くノックされた。
「失礼します、ただいま戻りました」
穏やかな声と共に現れたのは、マリアと――その横で、両腕に包帯を巻いたままのキユだった。
「キユちゃん!」
「おかえり!」
コヨとテトが同時に駆け寄る。キユは笑顔で応じながら、体を少し傾けて頭を撫でさせた。
「ただいまー! おそいごはん、まにあったのー!」
「うまいの! たべるのー!」
「わたしも、たべる!」
ふたりが叫ぶように言うと、リリアナも笑いながら声をかけた。
「キユちゃん、体は大丈夫? 無理しなくていいからね」
「だいじょぶなのー! 痛み止め、強いのもらった! 手、ちょっと動くし、いっぱい食べる!」
キユは両腕の包帯の先から、少しだけ出た指先を動かして見せた。スプーンをつかむにはやや不安定だが、器に顔を近づければ食べられそうな様子だった。
マリアがリリアナのもとへ歩み寄り、柔らかな声で説明を始める。
「キユ隊長はね、ヘルダス隊の治療が良かったみたい。通院で大丈夫って診断だったよ。
しばらくは包帯つけたままだけど、普通の生活で問題無いみたい」
「……よかった。でも、ちゃんと休むように言ってね。キユちゃん、がんばりすぎちゃうタイプだから」
「うん、それも伝えたよ」
マリアは軽く微笑んで頷いた。
「それから、ロークなんだけど……まだ目は覚めてなくて。
外傷も多いけど、それに加えて、坑道の中で炎を使った痕跡もあったし、一酸化炭素中毒の可能性が高いって言われてた」
リリアナの顔が曇った。
「そっか……ローク……」
「でも、医療院の設備もしっかりしてたから、しばらく入院させてもらうことになったよ。先生も信頼できそう」
「……わかった。ありがとう、マリア」
マリアからの報告が終わると、そのまま全員が席に着き、夕食が始まった。
メニューは、パン、スープ、肉の煮込み、ハーブサラダ、蒸した魚とシンプルだが品数は多く、味付けも上品だ。
ミレイア、ラシエル、マリアは、品よく、自然な所作でナイフとフォークを使い、会話もなく静かに食事を進める。
一方で、ノアが真っ先に叫んだ。
「うまっ……! これ、もう一皿もらっていい?」
ティオも笑顔で続く。
「おかわり、あるの? やったー!」
リリアナは豪快にパンをちぎり、肉と一緒に口へ放り込む。
「んー、これ、戦場帰りに食べたら泣くやつだわ……!」
クラウスもスープを飲んでにこやかに言う。
「これは……厨房の方々と、仲良くなる努力をせねばなりませんね」
ラシエルが静かにスプーンを置き、スッと彼らを睨んだ。
「……下品に食べるのは控えてください。神聖なスープが台無しです」
「そんな聖水じゃないだろ、これ……」
ルネが苦笑してつぶやく。
その中で、もっとも勢いよく食べていたのはコヨとテトだった。
「うまいのー! このパン、もちもちする!」
「むぎゅむぎゅ……ふわふわー!」
大口でパンを頬張る彼らを見て、ティオが笑いながら言った。
「ふたりとも、ちゃんと噛まないと詰まっちゃうよー?」
その隣では、キユが指先で器用にフォークを持ちながら、目の前の肉を黙々と食べていた。
リリアナはそんな光景を見ながら、ふっと口元を緩めた。
そんな中、ひときわ静かに、しかし確実に皿を積み上げていく影がいた。
セリスだった。
彼の前には、すでに三枚の空皿。四皿目の牛肉煮込みを淡々と片づけている最中だった。
リリアナはちょうど三皿目をもらい終えたところで、その様子に気づいた。
「……えっ。セリス、もう四皿目?」
セリスは手を止めずに、ただ一言。
「遅いな」
「……ふん、上等」
リリアナは対抗心に火をつけ、勢いよくパンを手に取った。
「ソースも残さず拭き取るのが礼儀でしょ!」
と言いながら、皿の底の赤黒いソースを綺麗にぬぐい取る。
「なんか始まった」
ノアがにやりと笑い、ルネが隣で「うん、火花が見える」とのんきに評した。
ラシエルは呆れたようにため息をつく。
「食事は競技ではありませんよ……まあ、隊長の食い意地はいつものことですが」
次々と空になっていく皿。
「四皿目、行くよ……!」
リリアナが気合と共にフォークを握りしめる。
セリスは無言で五皿目に突入していた。
ティオは手を止め、感心したように言う。
「おかわりって、夕焼けがもう一回見れるみたいだよね」
ラシエルが淡々と返す。
「それは……夕焼けではなく、胃焼けでしょうね。彼らの胃に黙祷を」
マリアが微笑んで、パンの籠をルネのほうに差し出した。
「ふたりとも、ほんとに元気だね。胃薬用意しとかなきゃ」
――そして、ついに。
「うっ……もう……無理……!」
リリアナが五皿目を完食したところでフォークを置いた。
セリスは最後のパンを使って、さらりと六皿目を拭い、ぴたりと完食。
そのまま静かに一言。
「炎は揺れ、雷は貫く」
リリアナは項垂れながら、パンくずの乗った皿を見つめた。
「くそ……負けた……!」
「見事だったよー!」とコヨが拍手し、テトも「すごいの!」と目を輝かせる。
クラウスがそっとデザートのタルトを差し出すと、リリアナは顔を上げた。
「……それ、タルト?」
「はい。木苺とカスタードの香りがして……食べれますかね」
「……デザートは、別腹だから」
言うなり、リリアナは勢いよくタルトにかぶりついた。
セリスの目が、ほんの少しだけ細められた気がした。
「まだ……燃えるか」
誰かが笑い、誰かが呆れた。
ここに、ロークはいない。
でも――こうして皆が食卓を囲んで、笑っていられること。
それは、ロークが繋いだ命の灯に、他ならなかった。




