第33話『揺れる王都』パート2:送り出し
屋敷の門前には、ひときわ目立つ白の医療馬車が停められ、馬の手綱を引く護衛騎士が控えていた。
「では、ローク殿とキユ隊長を、王都の医療院へお連れします」
静かな声でシアネが言った。
リリアナは、一歩前に出て小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます。お願い、してもいいですか」
「ええ。医療院は、貴族にも信頼される施設を選びました。診断の結果によっては、入院、あるいは通院の判断を医師に任せます」
マリアがリリアナたちの隣で荷物の確認をしていた。
鞄の中には最低限の治療道具と書類が整えられている。
「私も同行するね。現地の治療方針とかも聞いてから、向こうのお医者様と相談してくる」
「頼りにしてる」
リリアナがそう言うと、マリアは軽く笑った。
テトがぐるぐる巻きの包帯を覗いた。
「……キユちゃん、またグルグルされるの?」
「たぶんね。先生にぺちぺちされるのー」
コヨが心配そうに顔を覗き込んだ。
「こわいのー?」
「平気!我々、第一部隊であります!」
そう言ってにっと笑うキユの顔は、まぶしく晴れやかだった。
だが、その小さな笑顔の奥に、火傷のような疲労が見え隠れしていた。
リリアナはそっと、キユの頭に手を置いた。
「無理はしないで。何かあったら、すぐ言ってね」
「わかったー!」
小さな命が、王都の空気を吸いながら、前を向いていた。
「出発まで、あと五分程度です」
執事が静かに声をかけると、マリアが荷物を持ち馬車へ向かった。
キユはちょこんと段差を上り、馬車の一角にぴょんと座る。
ロークには軽く毛布が掛けられており、マリアが隣に座った。
その姿を、クラウスが黙って見つめていた。
「……ちゃんと、温かくしてもらえるかな」
「医療院の設備は整っています。寒さや疲労のケアも、専門医の判断に従います」
シアネがそう答えると、クラウスはほっとしたように頷いた。
「では、出発します」
護衛がそう告げ、馬車の扉がゆっくりと閉じられる。
リリアナたちは門の外まで出て、馬車が道を進んでいくのを見送った。
夕陽に照らされながら、馬車は静かに坂道を下っていく。
それはまるで、ひとつの時代が一瞬だけ遠ざかるような、不思議な感覚だった。
「では――私は、これで失礼しますね」
シアネが立ち上がり、静かに微笑んだ。
リリアナがうなずく。
「うん、今日はありがとう。……明日のこと、確認しておきたいんだけど」
「ええ。明日は皆さま、自由に行動して構いません。ただ、警備上の理由から、王宮から護衛兵が同行します。
朝にはこちらに参りますので、執事にお声がけください」
「了解。……シアネさんは?」
「私は私用がございますので、今日はこのまま自宅に戻ります。滞在中、何かあれば屋敷付きの者にお尋ねください」
そう言って、彼女がライムに視線を向けた。
ライムがそれを察したように、尻尾をふって軽く駆け寄る。
そして――その瞬間だった。
「……えっ、か、かみさま、つれてかれるの!?」
コヨが目を丸くし、駆け寄った。
「ちょ、ちょっとまって! かみさまだよ!? なんで つれてくのー!」
テトも慌てて続く。
「だめなの! かみさまは みんなのもとにいるべきなの!」
リリアナが苦笑しながら止めようとするが、二人はびょこぴょこ動きながら抗議した。
「こ、ここで はなれるなんて……。これは……せいなるぶんり、なの……?」
「落ち着いて! ライムはシアネさんとこの犬なんだから!」
リリアナがなだめても、二人は聞く耳を持たない。
ラシエルが冷静に言い捨てる。
「……騒ぎすぎです。犬です」
「ちがうの! かみさまなの!」
テトが真っ赤な顔で叫ぶ。
コヨが涙目でライムに向かって手を振る。
「かみさま、また……もどってくる?」
ライムは、それに応えるように、一声「わおん」と鳴いた。
それを聞いた二人は、門の前まで駆けていき、全力で手を振りながら叫ぶ。
「かみさまーーー!! ぜったい、わすれないのーー!!」
「ぶじで、かえってきてねぇええ!」
「おうちでも、かみさましててぇぇ!!」
リリアナはその様子を見て、ため息をついた。
「……なんだこの騒ぎは」
ミレイアが涼しい顔で応じる。
「にぎやかですね」
馬車が去り、屋敷の門が閉じられると、ようやく二人はしょんぼりと静かになった。
コヨがぽつりと呟く。
「……しかたない。かみさまは とくべつな おしごとあるの……」
テトがむすっとしながらも納得する。
「じゃあ……また、かみさまが きがむいたら きてくれるの」
コヨも小さくうなずいた。
「まってるの。かみさま……」
リリアナは二人の背を見ながら、思わず口元を緩めた。
「……まったく、あんたたちは……」
王都の屋敷に、ようやく静けさが戻った――ほんの少しだけ。




