第32話『旅立ちの朝』パート4:旗
リリアナは、シアネに招かれ、彼女の馬車に同乗していた。
ライムもリリアナの隣で丸くなっている。
「穏やかでいいですね」
シアネが柔らかな声で言った。
馬車の内装は、上品な装飾が施されていたが、派手ではない。
細部まで上質な素材を選びながらも、必要以上に豪奢に走らず、整然とした気品を漂わせている。
リリアナは、窓の外に目を向けながら、ぽつりと呟いた。
「……隊のみんなに、第三部隊の意味を話したよ」
シアネはリリアナに視線を向けた。
「皆さん、どのような反応でしたか?」
「……それなりに驚いてた。でも、誰も嫌がったりはしなかった。……ただ、みんな顔がちょっと引き締まった、かな」
リリアナは、自分の隣に来て丸まるライムの背をそっと撫でた。
「第三部隊って名前が、背負うものだって……わかったからだと思う」
「立派ですね」
リリアナは小さく笑った。
「でも、そんなに立派なもんじゃないよ。ただ、ちゃんと向き合ってるだけ。みんな」
シアネは微笑み、ふと、少しだけ真剣な声色になる。
「――王都に着いたら、"貴族社会"のことを、少し知っておいてほしいのです」
リリアナは体を起こし、耳を傾けた。
「今、王都の貴族たちは二つの考えに揺れています」
「二つ?」
「ええ。一つは、伝統と家柄を重んじる者たち。"生まれ"こそが力であり、地位を守るためには血統こそが必要だという者たち」
「……もう一つは?」
「実力を重視する新興派です。……リリアナ、あなたの存在は、その象徴になりかねない」
「え……私が?」
「そう。庶民の出でありながら、軍で番号付き部隊を任された指揮官――これが何を意味するか、わかりますか?」
リリアナは小さく首を傾げた。
「……なんとなく、わかる。血筋を大事にしてる人たちからすれば、面白くないよね」
「その通りです」
シアネは穏やかに、しかしはっきりと告げた。
「伝統派の一部は、あなたの任命を無かったことにしたがっています。"庶民が番号付き部隊に就いた"という前例を認めたくないから」
リリアナは、拳を軽く握った。
「でも、それって……」
「はい。逆に、実力主義を望む者たちは、あなたを"変革の旗"にしようと考えるでしょう」
「……旗、か」
リリアナは苦笑した。
そんな大層なものになったつもりはないのに。
シアネは静かに続ける。
「つまり、リリアナ。あなたは"どちらの陣営にも無視できない存在"になってしまったのです」
「……はぁ……」
リリアナはため息をついた。
「貴族って、もっとのんびりしてるもんだと思ってた」
「ふふ。見た目は優雅でも、裏では熾烈ですよ」
馬車の窓の外には、遠く続く草原の緑が広がっている。
空は晴れ、風は優しかった。
だがその風景とは裏腹に、リリアナのこれから向かう場所は、戦場にも似た静かな抗争の渦だった。
「まあ、いいや」
リリアナはライムの頭をなでながら、空を見た。
「誰かの旗になる気はないけど――守るために戦うって決めたから」
シアネは微笑み、深く頷いた。
「……ええ。それで十分です」
馬車は、静かに揺れながら、王都への道を進んでいた。




