第19話『灰の砦、異常あり』3
ハウゼンは表情を止めたまま硬直している。
一方その足元では――再びビーグルが、ズボンの裾をくんくん嗅いでいた。
「や、やめろ……私はクッキーを隠し持ってなどいない……っ!」
「くんっ、くんっ……ふんっ!」
突然興味が無くなったかのように、クラウスの元へと歩いていく。
ルネが近づき、そっとその耳を撫でた。
「……これは……」
クラウスも無言で触れた瞬間、二人は同時に息をのんだ。
「「スルスルとサラサラを足して割らなかったような……奇跡のさわり心地……!」」
「語彙力が崩壊してるっ!」
ノアが素早くツッコミを入れるが、ビーグルはじっと撫でられている。
「その犬は……?」
ハウゼンがようやく問うと、シアネはさらりと答えた。
「名前はライムです。ある村で、年老いた方が飼っていた子です。ですがその方が病を患い、元気な彼の世話ができなくなったと。相談を受けて、私が引き取りました」
「ほう……」
リリアナが興味深そうに犬を見下ろすと、ライムは鼻を伸ばして彼女の足元をくんくん。
「……お弁当の匂い?」
「それさっき食べたやつじゃん!」
ノアの声にクラウスが「いや、あの匂いは残るんですよ」と謎のフォローを入れる。
そして、肝心のシアネは――凛とした態度のまま、淡々と本題に入る。
「本日未明――正確には、昨日の深夜。王都に民間人三百名が到着しました。
補給部隊からの報告では、『灰の砦のハウゼン将軍が責任を取る』との話があったと聞いています」
「…………」
ハウゼンが、音もなく後ろにのけぞった。
「……と、取る……などとは……私は……」
その場にいたリリアナ隊のメンバー全員が――そっと、同時に視線を逸らした。
「……お、お前たち……!?」
「いやその……」「でもグレイ隊長は……」「いやでも……その……ですね……」
「なるほど」
シアネが目を伏せたまま静かに頷いた。
「どうやらこの件、正式に報告整理が必要ですね」
「将軍……お気の毒に……」
ミレイアが小声でつぶやく。
「本来、この件は私の家――クリスタル家の直接的な管轄ではありません」
室内が静まり返る中、シアネは落ち着いた声で語り出した。
「ですが、王都では今、民間人が拉致されたという報告が複数寄せられています。
すでに五件以上。うち二件は、前線に近い村からのものです」
ハウゼンが小さく目を見開く。
「灰の砦には、ミルヴァン村から避難してきた民間人がいると聞きました。
その方々の現状を確認したく参りました」
「……なるほど。つまり、本日はそれで――」
「ええ。ですが、本日は報告の整理を済ませなければなりません」
ハウゼンの顔が再び青ざめる。
「ですので、今夜は砦に宿泊させていただきます」
その言葉に、一同が息を呑む。
「――!」
その瞬間、ハウゼンがパッとリリアナたちの方を向いた。
「リリアナ隊! 直ちに砦内で"最も清潔な部屋"をご用意しろ!いいな、急げ!」
「は、はいっ!?」
あまりの即決に驚きつつ、リリアナたちはバタバタと廊下へ飛び出していった。
が、すぐに足を止める。
廊下の壁際、静かに立っていた一人の兵士。
明らかに砦所属の装備ではない、深緑の高級な軍装に、磨かれた剣を佩いた姿。
「……誰?」
ノアが思わず口に出すと、ミレイアがすぐにささやく。
「……あれ、多分……シアネ様の、護衛」
「護衛!? いや、いたの!? 今の空気の中で!?」
クラウスが思わず後ろを振り返ったが、司令室ではまだ話が続いているようだった。
「うわ、めっちゃ無言で睨まれてる……」
ルネがこそこそと目をそらす。
「よ、よしっ、急ごう!中央軍第三部隊、清掃任務ーっ!」
リリアナが先頭で走り出す。
その後をバタバタとリリアナ隊が追っていく中――護衛兵は一歩も動かず、無言のまま通路の影に佇んでいた。
その背筋は、シアネに負けないほどに、真っ直ぐだった。




