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「あの……アヤメだったか?」
「はい。間違いありません」
「うむ、先ほどの事なら気にしなくて良いぞ。僕は君のためにあれをしたわけではないし、君が感じたナニカを教える気もない」
「構いません。面倒事から助けてくださった恩を返すまでの共でございます。どうか私にできる事があれば何なりとおっしゃってください」
陽に照らされた部分だけが紅色に輝く黒髪を風に揺らしながら彼女が言った。
というよりなんだ、この女に出来ることって。しかも恩ってなんなんだ。そんな数字で測れない非論理的な動機で一体いつまでついてくるつもりなんだ。
もしやコイツは、僕の専攻している術式を知っているのか……?念の為にそれっぽいことを匂わせながら会話を紡いでみる。
「まぁ今すぐして欲しい事はない。恩を返すと言っていたが、果たして返すまで君が"生きている"かも保証がないゆえ、忘れてくれても構わないぞ?」
「構いません。恩義を返さずして渡世はまかり通らぬと心得ております」
「……自身が"死に頻して"もなおそのように考えるかね」
「当然のことと心得ます」
うーん、これだけデスワードを並べてみたものの反応はあまり無し。マナの流れにも乱れ一つ感じられない。
もしかしたら単にめんどくさいタイプのヤバいやつなのかもしれない。東方の者が義理人情に熱いことは聞き及んでいたが、これはこれで厄介だ。
「それに、私よりもアナタの方が"死に近い"と感じます。魔術師の方ですか?」
おや、自らデスワードを。これはこちらが試されてるのだろうか。乗ってやろう。
「いや、僕は魔導師だ。"死に近い"のは否定しないがね」
「魔導師……というのは。すみません、私の故郷にはあまり……」
「そうか。やはり君は東方の出なのだな」
「……はい。巫女や祈祷師はおりましたが、魔術のような者を扱う物はおりませんで」
「ふむ、術師と導師の違いか。簡単に言えばあれだな、売る者と買う者のような関係だな。我々導師が新たな術式を開発して、術師がそれを使うと言ったところか」
「なるほど農家と料理人みたいな事ですね。してアナタはどんな料理を作るのですか?」
「……秘密だ」
ひとまずここまでの会話で問題なしとすることにした。少なくとも今のうちは。
そうして歩いていて、ようやく門の前に着いた。通行許可証があれば素通りできるこの門も、関係者以外の立ち入りについては厳しく取り締まっている。許可証のないものは身ぐるみを剥がされ、荷物の中身を改められた後、長い尋問にかけられてようやく仮許可証が発行されて、その後もいくつか条件を課された後に解放される。
対して今回の僕は、この王都に滞在しているとある魔導師からの招待を受けてここに来ている。通行許可証は無いが、この招待状が許可証の代わりになると聞いているため、カバンの中にあるソウルの結晶を人目に晒す心配は——
「すみません。通行許可証とはなんでしょうか」
「は?」
この女今なんて言っ——
「次の者!そこの少年、通行許可証を提示しろ!」
「むっ?あぁ僕か」
言いながら、財布の入っている方のポケットとは反対側のポッケに移しておいた招待状を門兵に見せる。一般的な通行許可証と異なるものを見せられた門兵は眉を寄せてそれを受け取り、封に押された蝋の印を見てハッと我に返り
「良かろう。通れ!次にそこの女!通行許可証を提示しろ!」
「ありません」
「「へ?」」
門兵と僕の声が重なった。おそらく門兵はこの少女を僕の連れだと思ったのだろう。チラリと僕を見るが、僕は敢えて視線を逸らしたまま他人のふりを継続する。
「通行許可証?というものは持ち合わせておりません。ここに一宿一飯を目的として来ただけです」
「そ、それでは持ち物を改める。個室に来てもらおう」
「持ち物はこれだけです」
そう言って彼女は腰に携えていた一振りのカタナを見せた。漆黒の鞘に収まり、カタナの柄には赤い糸が交錯するように結ばれている。
それを見た門兵は少し困ったように眉を寄せて
「許可証のない者は武器類の持ち込みは出来ない。個室へ行く前にそのショートソードをこちらへ渡して——」
「これはショートソードではなく、カタナです。そしてこれは武器類ではなく私の魂です。手放す事はできません」
「……。認められない!その武器類にどんな思入れがあるのか知らんが、決まりは決まりだ!」
「さようでございますか……ではその命をかけて私の命を剥ぎ取って見せてくだ——」
「はいストップー」
見かねて僕はとある紙片を門兵に見せた。
「彼女は僕の傭兵だ。彼女に預けておいたと思い込んでいたようだ。いやぁすまんすまん」
「んなっ、そうならそうと早くそれをみせろ。ふむ……?踊り子の……エミリーと言うのか?」
「……そうだ」
「この少女がその……踊るのか」
「キレッキレである」
これしか残ってなかった。随分前に変態の領主のお近づきになるために雇用した女の契約書だった。悪魔の心臓を持っていると言う話だったが、結局女を連れ込むための嘘だと知って、そのままリュックの底の方に残ってしまっていたようだ。
もちろんその後真のエミリーがどうなったかは知らない。
また踊り子と言うのは、その大半がグラマラスな肢体を持ち合わせており、見るものの鼻の下を伸ばしてしまうような見た目をしていることが多い——というより大前提とされている。だからだろう、この門兵がアヤメ某が踊り子であると信じられずにいるのは。
話についていけていなかったアヤメが、ふと状況に追いついたのか
「失礼ですが、私の名前はアヤm——」
「エミリーだ」
「アヤ——」
「エミリーだ」
「……アy」
「エミリーだ」
「…………a」
「エィミリーだ」
「…………………………………………………………………………私の名前はエミリーです」
それが剣士としてカタナ携える東方の少女が、地方の村出身の小さな名もなき町の踊り子へと生まれ変わった瞬間だった。
後には腑に落ちないけど正式な雇用証明書にある情報を見て呆然とする門兵が残されて
「よ、よろしい。通れ!」
ことなきを得た。




