家族警察
うちのお父さんが家族警察に逮捕された。容疑は夕飯のつまみ食いらしい。
夕飯のつまみ食いは軽犯罪なので、数時間後には釈放されたお父さんがリビングまで帰ってきた。捕まったお父さんは疲れ切った様子で、椅子に座りながら大きくため息をついた。
「まったく、つまみ食いを見つかるなんて運が悪かったよ」
そもそもつまみ食いなんかするからでしょ、とお母さんがキッチンからツッコミを入れる。それからダイニングテーブルに今日の夕飯が運ばれてくる。お父さんと僕、そしてお姉ちゃんが席に座り、最後にお母さんが腰掛けた。いただきますをしようとした僕をお母さんがまだでしょとたしなめ、廊下に向かって呼びかける。
「新城さん! 夕ご飯の準備ができましたよ!」
廊下から間の抜けた返事が聞こえてくる。それから少しだけ慌しい足音が聞こえてきて、廊下から家族警察として働いてくれている新城巡査長が部屋に入ってくる。新城巡査長は書類作りに集中してましてと言い訳がましく笑い、椅子に腰掛けた。それからようやく僕たちはいただきますと手を合わせる。僕、お姉ちゃん、お父さん、お母さん、そして新城巡査長がご飯を食べ始める。
「今日の夕飯も絶品であります!」
新城巡査長の褒め言葉に、お母さんがまんざらでもない顔で微笑む。それから僕たちは今日の出来事や他愛もない話に花を咲かせる。こういうのを家族団欒と言うんだよ。前にお母さんがそう言ったことを僕はふと思い出すのだった。
*****
新城巡査長は家族警察として、僕たち家族の安心と平和を守ってくれている人だ。朝と夕方のパトロールを除くと、基本は子供部屋の隣にある和室で事務作業をしている。普段はのほほんとしているけれど、つまみぐいや喧嘩といった事件が通報されたら、すぐに現場に駆けつけてくれていろんな揉め事をあっという間に解決してくれる。僕たち家族にとっては頼れる存在だ。特にこの家族では喧嘩が多く、夫婦間の喧嘩はもちろん、兄弟間の喧嘩や親子間の喧嘩だって他の家と比べても多い方だと思う。
「でも、事件がないときは暇なんでしょ? 家族の事件なんてそんな頻繁に起きるわけじゃないのになんでこの家で働いてるの?」
僕が新城巡査部長にそう尋ねたとき、新城巡査長はあははと笑って、それから僕の頭をわしゃわしゃと撫でながら答えてくれた。
「本官が暇であるということは、この家が平和だという証拠でありますぞ」
僕の質問に対する答えになってない気がしたけれど、僕はそれを聞いてちょっとだけ感動した。警察というのは素晴らしい職業だと思ったし、お父さんやお母さんには秘密だけど、将来は警察官になりたいと本気で考えている。お勉強が苦手で、直前のことでさえすぐに忘れてしまう癖があるので、それをカバーできるくらいにもっと頑張らないと行けないのだけれど。
家族警察が家にいてくれることで、僕たちの家族は今日も平和だ。もちろん夫婦喧嘩とかみたいな事件はしょっちゅう起こるけど、すぐに警察が駆けつけてくれて解決してくれる。
家族警察がいてくれることで、僕たちの平穏な日常はこれからもずっと続いていく。家族警察がいてくれて本当によかった。僕は心の底からそう思っていた。ある悲しい事件がこの家で起きるまでは。
*****
「きゃーーーー!!」
僕が子供部屋でくつろいでいると、リビングからお母さんの悲鳴が聞こえてきた。虫でも出たのだろうかと思いながら、僕はリビングへと向かった。だけど、リビングに入った瞬間目に飛び込んできたのは、虫なんかではなく、包丁が胸に突き刺された状態で仰向けに寝ていたお父さんの姿だった。お母さんは買い物から帰ってきたばかりなのか右手にはスーパーのレジ袋を握りしめていて、驚きのあまり腰が抜けたのか、その場でへたりこんでいた。
「け、警察!!」
動揺していたお母さんが叫ぶ。僕は頷き、すぐに新城巡査長を呼びに行った。ちょうど叫び声を聞きつけてリビングまで降りてきていた新城巡査長と階段で鉢合わせし、僕は新城巡査長の手を引っ張ってリビングへ急がせる。
リビングに入った新城巡査長は目の前の光景にはっと息を呑んだ。それでも、警察官としての職務を思い出したのか、僕とお母さんに対し、すぐにお父さんから離れるように指示を出す。それから新城巡査長はお父さんの近くまで駆け寄り、瞳孔や呼吸の有無を確認する。それらから残念そうに俯き、僕とお母さんに向かって深刻そうな表情で首を横に振った。
僕は目の前の悲劇に何もいうことができず、ゆっくりと周囲を見渡すことしかできなかった。お母さんは両手で顔を覆って泣いていて、いつのまにかリビングまで降りてきていたお姉ちゃんはじっとお父さんの死体を見つめていた。
「犯人はこの中にいるであります」
新城巡査長が重々しい口調でそう呟いたとき、一瞬巡査長が何を言っているのか僕には理解できなかった。だけど、新城巡査長が僕たち家族を一人一人疑いの眼差しで見つめているのを見て僕はようやく、新城巡査長が、僕たち家族の誰かがお父さんを殺したと考えているということを理解した。
「それはどうして?」
僕たちの中で唯一冷静だったお姉ちゃんが新城巡査長に尋ねる。新城巡査長はお父さんの胸に突き立てられた包丁を指差し、凶器と見られる包丁がこの家の台所に置かれているものだと指摘をする。
「だからと言って、私たち家族が犯人だって証拠にはならないでしょ? 強盗が家に押しかけてきて、たまたま見つけた包丁でお父さんを殺したって可能性もあるわ」
「もし強盗なら家の中を物色した形跡があるはずでありますが、それがないであります。それに、この台所の包丁は流し台下の引き出しの奥に収納されているもので、初めてこの家を訪れた人間がそれをすぐに探し当てることは難しいでありますよ」
お姉ちゃんは新城巡査長の言葉を聞き、一人台所へ向かった。何をするつもりなんだと思っていると、お姉ちゃんは台所へ行き台所を漁り始める。それからそこから包丁がなくなっていることを確認して、再び戻ってきた。
「なるほど、確かに包丁が一つなくなっているっぽかったので巡査長の言う通り、あれは家の奥に収納されていた包丁ですね。でも、そう考えたらもう一点不思議なことがあるんです。巡査長はいつ、どのタイミングでその包丁の置き場所を知ったんですか? そんなすぐには探し当てられないような場所にあるのに」
「本官はこの家族に着任してから一年ちょっとしか経っていないでありますが、それでもそれだけの時間があれば包丁の場所くらいはわかるであります。同じ屋根の下で過ごしている以上、たまたまその置き場所を知ったと言うことは何の不思議もないであります」
二人はそれから疑うように睨み合う。僕はワンテンポ遅れて、お姉ちゃんの言わんとすることが伝わってくる。つまり、容疑者は僕たち家族だけではない。この家で一緒に暮らしている新城巡査長もまた容疑者の一人だと言うことをお姉ちゃんは遠回しに言っていた。それでも僕はお姉ちゃんの言わんとしていることがどうしても受け入れられなかった。試しに新城巡査長の立ち振る舞いやいつもの丁寧な言葉遣いを思い出してみる。だけど、どう考えたって、警察という素晴らしい職業の人がお父さんを殺すはずなんでありえないし、家の平和を守るべき人が、守るべき家族を壊すような真似をするはずがなかった。
「お姉さんは本官が容疑者だと思っているでありますね。ですが、本官にはアリバイがあるであります。お母さんが遺体を発見するまでの間は仕事部屋にいたでありますし、その後、本官を部屋まで迎えにいこうとした弟さんとばったり階段で鉢合わせしたであります。本官が殺したとしたら、初めから一階にいるでありますし、弟さんとばったり鉢合わせなんてことは起こらなかったはずであります」
「死亡推定時刻はわからないけど、先にお父さんを殺してから自室に戻ったんじゃないの? 」
「パソコンで警察署とやりとりをしているメールの送信日時を確認するといいであります。それを見れば少なくとも本官が事件が起きたタイミングに仕事部屋で作業をしていたということがきっとわかるであります」
「それだって電子データに過ぎないんですから、いくらでも編集できますよ」
「なるほど。確かにそうでありますね。でも、それが言えるのであれば、同じように部屋にいたお姉さんや弟さんだって同じように犯行を行えるように思うのでありますが?」
「もうやめて!!!」
仕事部屋に響く母親の高い声が聞こえてくる。僕たちは一斉にお母さんの方を見る。お母さんは涙で濡れた目をゴシゴシとこすりながら、へたり込んだ状態のまま、叫ぶ。
「もう家族に警察なんていらない! 結局、大事な家族を守れなかったじゃない!! 何が警察よ! 何が家族の平和を守るよ!!」
その言葉が突き刺さったのか、新城巡査長の顔がさっと曇る。それから母親が新城巡査長の方を睨み、再び叫ぶ。
「出てって!!」
新城巡査長がたじろぐ。食い下がろうと口を開きかけたが、間髪入れずに母親がもう一度出て行けと叫んだ。新城巡査長の表情が挫折感と申し訳なさでいっぱいになる。それから深々と頭を下げ、家族を守れなかったことを謝罪した。お母さんはそれでも、出て行けと巡査長に言う。巡査長は唇を噛み締め、それからもう一度懇願の表情でお母さんの顔を覗き込む。それでもなお意思が変わらないことを理解した後でようやく、巡査長は自分の部屋へと戻り、この家を出ていく準備を始める。それから数時間後、新城巡査長は荷物を背に、静かにこの家から出て行くのだった。
家族警察がいなくなった我が家は仕方なく、家族警察ではない普通の警察を呼び、事件を調べてもらうことになった。そして、その後あっさりとお父さん殺害事件の犯人が捕まった。結論だけ言うと、お父さんを殺したのは僕だった。そういえば、お父さんと口論した後、カッとなって包丁を取り出し、寝ているお父さんのお腹を思いっきりを刺してしまったような気もするけれど、詳しいことは正直思い出せない。直前にあったことすら忘れてしまうという僕の悪い癖が出てしまっていたのかもしれない。
家族警察である新城巡査長に捕まってさえいれば、刑の執行や服役も家の中でできたはずだったが、普通の警察に捕まると、犯罪者が入れられる施設で、知らない誰かと一緒に暮らすことになる。人見知りの僕にとって、それはとても大変で嫌なことだった。
こういうとき、僕は常に考えてしまう。家族警察がいてくれたらと。