第7話 私が抱えているモノ
師匠に魔法を教わること一時間ほど。一度も魔法が使えることはなかった。
「才能ないね~」
「完全に教え方ですね。俺のこの力を引き出すには師匠でも足りないか~」
現実逃避をしたところで魔法が使えるわけでもない。まあ、あと七年貞操を守りきれば称号的には魔法使いになれるが。
「じゃあちょっと手を出して」
言われるがまま右手を出す。そういえば肘の違和感は無くなっている。完全に治ってるな。さすが異世界、サンキュー異世界。
師匠に手を包まれる。そして師匠は目を瞑り、俺の手に集中している。こういうの童貞には刺激強めです!
「よし、おっけー!」
何がだろう。心拍数が上昇するかどうかの話だろうか。それならオッケーだ。
「たぶん魔法使えるよ」
「いやいや~」
そんなんで使えたら、さっきまでの一時間のの苦労は何だったのかって話になるじゃないですか~
右手を前に突き出し、火の玉を放つイメージ。そのイメージに寸分違わず同じ火球が生まれ、まっすぐに飛んでいく。
「えっ」
「おお、よかった」
「すげえ!!」
初めてアニメを見た時の興奮が蘇る。
もう一度生み出し、今度はキープする。
「おお、熱い」
「そりゃ火の塊だからね」
目を輝かせてる俺の真横からマジレスが飛んでくる。
「おお! おおお!! すげえ!! すげえ!!!!」
「で、弟子くん弟子くん」
袖を引っ張られてそちらの方を見る。
師匠が何か言いたげな表情でこちらを見つめている。
「え? なんですか? あげませんよ?」
「いや、いらないよ? そうじゃなくてね、その」
「なんですか?」
言っていいのかよくないのか、といった表情。
なんだろう、魔法が使えるようになって素敵! 結婚して! みたいな感じだろうか。なんだ、師匠も可愛いところがあるじゃないか。
生み出した火球を大きく膨らませて直上に飛ばし、師匠の方にキメ顔で向き直る。
「弟子くん。服、燃えてるよ?」
どおりで熱かったわけだ。
まあ、お気に入りだったTシャツが全焼した引き換えに、魔法を使えるようになったと思えば。なんてことはない。
「まあ、まあまあ。魔法がこれから使えるなら服の一つや二つくらい……まあ、うん」
「私が魔力をあげない限りは魔法使えないけどね」
「えっ?」
「ごめん。上半身裸でそのアホ顔は笑っちゃう」
服と尊厳を失った。
その代わり師匠の笑顔を得たと思えば。うん、差し引き大赤字だな。
☆☆☆☆☆☆
「というわけで服屋です」
「岩肌で柔肌を露出することになるとは思ってませんでした」
「その格好だと何言っても面白いから卑怯だね」
「じゃあ、師匠も脱ぎましょうよ」
「今日は新商品あるかな~」
今日のスルースキルも最高だぜっ。
なるべく目立たないように店に入り、物色を開始する。
竜人族の服屋に人間サイズはないと思ったのだが、ちゃんと人間用も存在していた。
「竜人族相手にこんなの売れるんですかね」
「まあ観光店だしね。それに、ヒュマコンとかもいるし」
ヒュマコン? ロリコン的な? だとしたら結構ヤバめなのでは? 俺ここにいて大丈夫? 貞操の危機とか考えなくて大丈夫?
「これらとかどう?」
緑と黒のチェックのシャツ。派手すぎず地味すぎないが、普通よりオタク感強めのチョイスだと感じるのは、俺のセンスの問題なのだろうか。
「ちょっと古いですけどカッコいいですね」
「でしょ! 着てみて~」
押し付けられた服を持ち、試着室に入る。サイズも、大きくもなく小さくもない。鏡を見て決めポーズをとる。我ながらイケメン。顔だけなら竜人族よりカッコいい。
自分で勝手に比較対象を作り、人外にしか勝てないのだ。と勝手に落ち込んでいると、試着室のカーテンが開けられる。
「お、いい感じじゃーん地味だけど」
一言余計。
「じゃあこれも」
服を手渡される。今度はわりと動きやすそうな格好。イマドキな感じのブカブカファッション。
袖と首元に心許なさを感じながら、カーテンを開ける。
「おお、いい感じいい感じ」
余計なのがないとないで寂しい。その一言あっての師匠なのに。
「じゃあこれもいってみようか」
着せ替え人形のように着替えさせられる。だが、運ばれてくる服はどれもいい感じにカッコよく、師匠のファッションセンスは馬鹿に出来なかった。ちょっと悔しい。
「じゃあこれとこれと、これね」
3セットご購入。俺の服なのに師匠に金を出してもらうのは気が引ける。しかし、引けたところで出る金はない。ゴチになります。
「こっちの服はいいんですか?」
「動きにくいからね、元から買うつもりじゃなかったし」
「ならなんで着させられたんですか?」
「似合うだろうなって」
「なら買わないんですか?」
「そこまで似合ってなかったからね」
なんだろう。少し傷ついた俺がいる。お昼の情報番組に出てくるオネエキャラのファッション評論家みたいな言い方で、少し腹も立った。しかし、金を払ってくれるのは師匠だ。文句は言えない。
店員の竜人族のお兄さんに服を渡し、会計を行う。
「はい、では2万6千コインです」
「あい」
今日だけで5万6千コイン払って貰っている。どれくらいの価値なのかは分からないが、安くはないだろう。完全にヒモ。こういう人生を送りたかった。
「なんか払ってもらってばかりですいません」
「大丈夫、弟子くんには体で払ってもらうから」
思わず両手で両肩を抱く。
うわっ…私の貞操、危なすぎ…?
☆☆☆☆☆☆
人間は、意味を見出せない行為を続けると簡単に気が狂れる生き物である。
いつの時代かは忘れたが、確か拷問にも使われていたような気がする。午前中に掘った穴を、午後に埋めるという拷問だ。まあ、その行為に意味を見出せる者がいたなら、その人は人生幸せだと思う。
現代ではデバック作業とも呼ばれている拷問でもある。あるのかないのかも分からないものを追い求めて、淡々と同じ作業を繰り返す。そんなの麦わら帽子がトレードマークの海賊団しか知らない。あれは置いてきたと言明されてるだけまだマシか……?
脳内でそんなことでも考えていないと、完全に狂人になってしまいそうだ。俺はまだ大丈夫、人間だ。まだ大丈夫、助かる。まだ助かるまだ助かるマダガスカルそれこ
「弟子く~ん、止まってるよ~」
師匠の声に現実に引き戻される。
両手に力を込め、全力で降ろす。そして膝を使い、全力で持ち上げる。これの繰り返し。
「ああ~いいお湯~」
温泉の下の火に、風を送る仕事を押し付けられた。今回の剣や服やらの対価として、らしい。普段は竜人族の人達の仕事らしいが、労働には対価。対価には労働、というわけだ。
決して貞操の危機ではなかった。どちらかというと瞑想の危機だ。やだ上手。あたしってば天才。
「でしくーーん?」
手放しかけた思考を引き寄せ、もう一度上げ下げを行う。
お湯を温めるため、ふいごの大きい版で空気を送る作業。師匠の姿が見られるのならば頑張れるものの、仕切りに阻まれて覗き見ることすら出来ない。拷問以外の何物でもない。
「がんば~」
頬を伝う汗は冷たい。頑張りへのご褒美がない事に対する涙のように、ただひたすらに静かに流れていく。これは汗か、それとも涙か。いや汗だ、何言ってるんだ俺は。
順調に狂い始めた頃、
「あ、おつかれさーん」
女性の声が聞こえて振り返る。竜人族の人達が歩いてこちらに向かって来ている。
「代わるよー、おつかれだったねー」
俺が持っていたふいごを持ち、三人がかりで上下に動かす。やっぱ一人用じゃなかったよなこれ。
だがこれで労働は終わりだ。休ませてもらおう。温泉の隣の地下室から全力で駆け上がる。地上へ続く扉を開けた瞬間、涼しい風が身を撫でる。湯沸かしのあの場所は熱気がこもってしかたない。
温泉へと全力ダッシュしながら服を脱ぎとり、温泉へ向かってジャンプ。さながら三世の大泥棒のように。
「あ゛あ゛あ゛あああ…………」
体に付いていた汚れ全てが落ちていくように感じるほど、温かく、気持ちいい。汚れを浄化させる魔法の湯、みたいな名前だった気がする。今なら納得だ。
「おづがれ~」
伸びきった師匠の声がする。湯けむりをかき分け、声の方まで歩いていく。
「今日は本当にありがとうございました」
「うん~私も楽しかった~」
結局あの後、服屋を出てご飯を食べて町中を探索した。風に揺られて何度か落下しそうになりながら、たまに落ちたりもしつつも、歩いた町は新鮮で楽しかった。
「明日はどうします?」
「ね~」
脳みそを使っていない返事。仕方ない、この温泉が気持ちよすぎるのが悪い。
「明日は魔王のとこ行こっか~」
「ですね~」
「ね~」
「ね~」
思考回路が溶けて流れ出している感覚に襲われながら、忍び寄る睡魔との戦い。見事惨敗した。
★☆★☆★☆
気がついた時にはもう既に、私は手遅れだった。なぜだろうか。私は正義のヒーローに憧れていただけなのに。助けたかっただけなのに。上から目線でも、偉そうにでもない。あの子の笑顔が見たかっただけだ。
伸ばした手は叩かれ、蹴られ、赤く赤く腫れ上がっていた。あの子も一緒になって、私を見て笑っていた。ああ、この惨めな気持ちは辛いな。本当に辛い。
親に、先生に、施設に。根本的な解決なんて存在しない。いや、存在はするか。私がいなくなればいいのだ。根本的な原因は、私が生きている事だから。
その頃からだろうか。
正義が架空のものだと気がついたのは。
救われない人もいると気がついたのは。
私の行為は偽善と呼ばれているのだと気がついたのは。
誰の顔も見たくない。誰も、誰もかも。
そう。
自分さえも。
★☆★☆★☆
目が覚める。ここはどこなのか。
一瞬思考が纏まらず、あの空間に居ない事に、胃の中の物が吐き出されそうになる。左手で口を押さえた瞬間、
「大丈夫ですか?」
隣から男性の声がする。
「うん、ごめんね」
精一杯の笑顔を作り、彼に見せる。
ちゃんと笑えてるかな。
「師匠」
彼は一瞬、少し躊躇いの顔を見せた後、私の右手を握る。
「な、なにかな?」
ああ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。踏み込んで欲しくない。傷つけて欲しくない。苦しませて欲しくない。幻滅して、欲しくない。
出来れば流して欲しいものだ。いつもの、笑って流せる馬鹿みたいなネタとかにして欲しい。
そんな私の顔を見て、何か察したのだろう。彼は大きく息を吐いておちゃらけた顔をし、いつもの感じで私を笑わせてくれる。
「めっちゃ涎垂れててアホっぽいです」
「うえっ!?」
必死に口元を拭いつつ、彼の顔を盗み見る。口角は上がっていたが、目はどこか寂しそうだった。少し辛そうだった。
いつかは言わなければならないだろうか。彼に、私の全てを。
★★★★★★
起きたら師匠が泣いていた。それも寝ながら。昨日は俺がこんな感じだったんだろうか。ハグしたら怒られるだろうか? セクハラだと訴えられるだろうか?
師匠の体が大きく跳ね、左手で口元を押さえる。
「大丈夫ですか?」
なるべく優しく。昨日、俺がそうしてもらったように。
「うん、ごめんね」
まだ吐き気がするのか、どこかぎこちない笑み。そのぎこちなさは、吐き気からか、それとも。
「師匠」
考えるよりも先に口が動く。ここから踏み込んでいいのだろうか。
師匠の顔は複雑で、読み解けない表情をしていた。嫌そうな、辛そうな、子供が親に怒られる時のような顔。
「な、なにかな?」
踏み込んではいけないのだろう。
「めっちゃ涎垂れててアホっぽいです」
「うえっ!?」
口元を拭う師匠。必死さを演じているその表情。
いつか、本当の事を教えてくれる時は来るのだろうか。