第5話 罪と罰
風呂から上がり、晩御飯を食べ、夜は明け……ないっ!
大事な大事なナイトタイム。エロ漫画や官能小説ならここからが本編。
「じゃあ私はこっちの部屋だから」
「え?」
「何かあったら呼んでね」
パタン。
無機質な音が廊下に響き、取り残される俺。膝から崩れ落ち、思わず涙が零れて視界が滲む。
「……あー……一緒に寝る?」
師匠がドアの隙間から顔を覗かせ、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟く。
「うんっ!!」
この世界に来て、一番元気のいい返事をした気がする。
☆☆☆☆☆☆
正直、誰かと一緒に眠りたいと思うほど子供ではない。ただ怖いのだ。あんなドラゴンが出てくる世界で一人で眠ることが怖い。十分子供だな。
寝返りをうち、師匠の方を見る。瞼が重そうな目付きだ。
「……師匠」
「ん? なに?」
「万が一の事があったら助けてくださいね」
「大丈夫大丈夫。万が一なんて滅多にないからさ」
だから万が一という言葉があるのでは? もしかしてこの人はバカなのか?
師匠の瞼が閉じ、呼吸のリズムが一定になる。
誰かの隣で寝るなんていつぶりだろうか。十何年ぶりとかだろうか。布団に包まれて体温が高まり、瞼が重くなってくる。開けている時間よりも閉じている時間の方が長くなり、やがて視界は完全に闇になる。
☆☆☆☆☆☆
「なにっ!?」
聞いたことのない声が隣から発せられる。
「な~に~?」
今度は師匠の声だ。半裸の男二人が餅つきしてそう。やっちまったんだろうか。
目をゆっくり開けると、師匠の上に誰かが馬乗りになっている。
「くっ!」
馬乗りになった人が両手を上げ、師匠に向かって振り下ろす。ガッという、金属が硬いものにぶつかるような異音が響く。
「なぜだっ!」
馬乗りになっていた人はそう叫ぶ。少女の声だ。
ようやく暗闇に目が慣れてくる。焦げ茶のフードを被った少女が、師匠に馬乗りになっていた。そして少女の手には小さなナイフが握られている。そのナイフは、師匠の胸の中心に向けて振り下ろされている。
「だ、大丈夫ですか師匠!!」
「へ? なにがあ?」
普段と変わらない声のトーン。
むしろなんで大丈夫なんだよ。
「くっ……! ならっ!」
少女はナイフを投げ捨て、師匠に口づけを行う。
「んぐっ!?」
少女は、まだ状況を把握していない師匠の両手を掴んで押し倒し、キスをし続ける。
「ぷはっ! ま、まっ」
師匠が一瞬口を離して何かを言うよりも早く、少女はもう一度唇を奪う。
二人の女性の口から聞こえる水音、そして艶かしい呼吸音。俺は何を見せられているんだまったくいいぞ、もっとやれ。
「ぷはっ! はあ……はあ……これでっ」
少女が達成感のある言葉と共に口を拭う。
「ななななにすんのさっ!」
「な、なんで!?」
「それは私のセリフだよ!」
「なんでコリコネ毒が効かないんだっ!?」
少女の口から不穏な言葉が聞こえる。
「師匠! この子捕まえましょう!」
「え? なんで?」
なんでまだ状況を把握してなんだこの人は。
☆☆☆☆☆☆
正座させて両手を後ろで縛り、頭の部分だけフードを取る。十代くらいの風貌。この子は少女と呼んでも差し支えなさそうだ。というか、この世界に人っぽい人っているんだな。なんか少し安心した。
「さて、君はなんなんだい? なんで師匠にあんなことしたのさ」
「なんで毒刃も流毒も効かないんだ!」
俺の質問はスルー。どくはってのはさっきのナイフかな、発音的に。るどくってなんだろう。キスの別名だろうか。
「私に毒は効かないよ。あと刃物も効かないの」
「そんな……バカな……」
俺も同意見。チーターがここにいます。
「なんで私の命を狙うの?」
「……」
「喋ってくれないの?」
「……」
少女はダンマリだ。まあ、言えないわな普通。
「仕方ないね、弟子くん」
「え?」
「拷問だよ」
少し口角を上げ、嬉しそうな師匠。俺の師匠はサイコパス。
師匠に一時退室を命じられ、素直に部屋を出る。拷問って何をするんだろうか。爪とか剥ぐのだろうか?
やだな、ハイヒールで踏まれる方が良い。比較的な話だよ?
「いいよ~」
今から拷問するとは思えないほど楽しそうな師匠の声が聞こえ、不安を抱きながら部屋のドアを開ける。
師匠を襲っていた少女は、ベッドに寝転がった状態で両手を上に縛られている。
フードは脱がされ、下着のような最低限の大きさの布だけを着させられている。足は片足ずつベッドの足と固定させられていて、強制的に開脚させられている。完全にエロ漫画。
「はい、これ」
「鳥の羽……?」
「そうです。くすぐるのです」
「ああ、なるほど」
痛そうなやつじゃなくてよかった。痛そうなのをするのは専門外だ。されるのは専門分野だ。
「さてさて、早い方がいいよ~」
ウキウキでベッドに四つん這いになり、少女へと近づく師匠。顔を左右に動かし、何かを叫びながら逃げようともがく少女。薄着のせいで体のラインが丸見えな両名。師匠に至っては丈の短いワンピのせいで、大事なものが見えそう。
おお、見える見える。すっごいモロ見え。雲一つない青空のような美しさがそこにはある。いやあ、眼福眼福。
☆☆☆☆☆☆
「それでそれで?」
「私は嫌だったんですけど、やれって言われちゃって……」
「うんうん。誰に?」
「魔界を治めてる人です」
未だに縛られたままだが、少女はスラスラ答えていく。拷問が辛かったのだろう。途中から体を痙攣させて、口からも他のところからも出てたしな。何がとは言わないが。無理もない。
「魔界を治めてる人?」
「サルガタナスという魔族です。治めてると言っても、魔界にはもうあんまり人はいないんですけどね」
少女は少し悲しそうに呟く。
「サルガタナスねえ……そっか! ありがとね!」
師匠は笑い、少女を拘束していた紐を解く。
「ちょ、ちょっと師匠! 何してるんですか!」
「え? もう聞きたいことないし」
「いやいやいや、殺そうとしてたんですよ!?」
前の世界ならば、殺人未遂で即逮捕だ。
「ほら、傷一つ無いじゃん?」
師匠は手を広げる。大きく空いた胸部に傷は見当たらない。だが、それで済ませていいものだろうか。
「内部にあるかもしれないじゃないですか! 触診すべきですよこれは!」
「ほら、もうこんな事しちゃダメだよ?」
俺の魂の叫びを無視し、師匠は少女に注意していた。
「あ、はい。 すみませんでした」
少女は一言だけ謝り、窓から外に飛び下りる。そして、そのまま闇に溶けていった。
「……なにをしてるんですか」
「何の話?」
「殺されかけたんですよ?」
「生きてるし、この世界に法律はないよ?」
師匠は俺を見て、言いづらそうな顔をしながらも続ける。
「法律のない世界は全て合法……なんては言わないよ? けど別に嫌な思いもしてないし、いいかなって」
「まぁ、師匠が本当にいいと思ってるならいいです」
「うんうん」
「……でも。でも、やっぱり」
「寝よ? 弟子くん」
師匠は笑顔で言う。その笑顔は、それ以上踏み込まないで欲しいという合図な気がした。本当にこれで良いのだろうか。
胸を刺されかけ、命を奪われかけ、それをも笑って許容する精神。ここまで優しいと逆に不安になってきてしまう。私が傷つかなければ、血を流さなければ、死ななければ。そう言ってしまう師匠の姿が、簡単に想像できる。
ああ、嫌な想像をしてしまう。寝てしまおう。今日は色々あって心が疲れているのだろう。
「ほら、そんなとこにいないで。体冷えるよ?」
赤子をあやすような声で、こちらの懸念をかき消すような声で、そう言う。それは優しさでもあり、距離感でもある。
そんなネガティブ思考になるくらいには、師匠のことを大事に思っているのか。自分でも少し意外だ。
「冷えたのは肝っ玉です」
「上手いこと言うね、毛布一枚!」
「それはギャグが寒いって事ですか?」
「そんなひどい事は言えないよ」
「それ言ってますからね」
☆☆☆☆☆☆
目が覚める。夢は見なかった。もしくは覚えていない。
体をうつ伏せにさせると右肩に何かがぶつかる。顔を向けると、静かに眠る師匠の顔があった。そうだ、一緒に寝たんだった。にしても整った顔だなあ。ドタバタでそんな感想を抱く余裕もなかったが、改めて見ると綺麗と可愛いが両立してる顔だ。うん、俺の師匠は今日も可愛い。
布団から静かに抜け出して部屋を抜け、軋む廊下を歩いて玄関を出る。朝日が登り始めている気持ちのいい朝だ。早起きの習慣を体が覚えてしまっていたが、この景色が見られるならば悪くはない。
右腕を伸ばし、曲げる。これを繰り返す。少しの違和感があるものの、ほぼ完治している。こんなに完治が早いことなんてありえるか? 脱臼でももう少しは痛むんじゃないだろうか。異世界パワーか? これが異世界パワーなのだろうか。サンキュー異世界。
そんなことを考えていると、後ろで扉の開く音がする。
「おはよ、でしくん」
目を擦りながら師匠が出てきた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
紳士の如く爽やかな挨拶。暗殺されかけて快眠なわけないか。
「うん。ばっちり」
うーんこの神経の図太さ、見習いたい。
「良い空気ですね。ずっと吸っていたくなる感じの」
「そられ~」
「まだ寝てたらどうですか?」
「ん」
師匠が振り返ろうとした瞬間、躓いて倒れそうになる。腹部に手を伸ばし、しっかりと支える。
右腕は問題なく使えるようだ。
「……ありがと」
「いえいえ」
これくらい出来なくて何が男か、何が紳士か。任せてほしいものだ。
「……でしくん」
「はい?」
「むねからてをはなして」
「はい」