第4話 俺が抱えているモノ
抱き合ったままでいると、師匠は何かに気づき、俺から離れて歩き出す。
胸の下まであるお湯をかき分け、温泉を囲っている木の枠の所まで歩いていく。
「見て、綺麗な夕日……」
師匠の横まで歩いていく。
山の中腹辺りに作られているこの温泉。他に高い建造物が無いおかげで、夕日が遮られることなく見ることが出来る。
前の世界にとてもよく似た、というか原理的には何も変わってはいないのかもしれないが、昔よく見た夕日。
赤く染った空。まるで全ての赤色を凝縮したような夕日。空を飛ぶ……あれは鳥なのだろうか? フォルム的に違う気がするが、それら全てが美しい。
「いってえ……」
右腕が今更ながらに痛み、声が漏れる。そういえば骨折してたんだった。
「大丈夫?」
「あ、はい。たぶん」
「おいで」
師匠が、自らの腕と温泉の枠の間に俺を呼ぶ。そこは精神衛生上、良くないんじゃないですかね。
そう思いながらも入り込み、師匠と面向かう。温泉で濡れたせいで師匠の胸元が大変なことになっている。だが、師匠は気がついていない。気がついてないならしょうがないな、目に焼き付けておこう。
師匠は自分の服の袖を千切り、俺の肘に巻く。
「ぎゅっとしとかないとね」
師匠の笑顔付きの包帯。それだけで痛みがだいぶ和らいだ気がする。
「どんな感じ?」
「いい感じです」
「よかった」
夕日に照らされた師匠の笑顔。少女だと思っていたが、大人びて見える。まあ俺と四つしか離れてないし、そりゃ程々に大人か。
「綺麗だね」
師匠の腕から滑り出て、横に並んで夕日を見る。
「そうですね」
怒涛の一日だった。師匠に救われ、師匠に諭され、師匠に助けてもらう、そんな一日。不甲斐ないなあ……
「さて、これからどうする?」
師匠が俺の方を向き、夕日に負けないくらいに輝いた笑顔で聞いてくる。
「もちろん、師匠について行きます」
答えはこれ以外存在しない。帰る方法への近道という打算的なものではない。ただ、楽しかったからだ。もっと一緒にいたいと、そう思ったからだ。
俺の答えに満足したのか、師匠はより一層口角を上げて笑う。
「でも明日からまた大変だよ? 戦闘とかバリバリしていくよ? 辛いよ? 大丈夫?」
「大丈夫です。だって……」
「だって?」
「師匠のおっぱっっっっ!?!?!?」
濁り湯をかき分けて飛んできた師匠の拳が鳩尾を捉え、濁り湯ごと吹き飛ばす。普通の生活では出ないであろう発音を口から叫び、意識を失いそうになるその瞬間、頬を染めた師匠が目に入る。
夕日に負けないほど赤く染まった師匠の頬。恥じらいか、怒りか。どちらにせよ、とても美しかった。
☆☆☆☆☆☆
「悪かったですって」
「……」
「すみませんでした」
「……」
「だって目の前でスケスケだったんでつい」
「なあああ!! 言わなくていいから!!!!」
少し距離が開いた師匠と一緒に温泉につかったまま、謝罪する。
着替えを用意してから、師匠ともう一度温泉に浸かりに行くよう竜人族の姉妹に促されたので、お言葉に甘えることにした。
竜人族の温泉は少し特殊で、混浴しか存在しない。この構造には俺も胸を痛めた。痛めた胸を抑えると、今までにないくらいドキドキしていた。気持ちと動悸が一致しない。不思議だなあ。
「もっとこっち来ませんか?」
「だって弟子くん見るし……」
「もう見ないです一切見ないです興味もないです」
「それはそれで……」
何か言っていたが、師匠が近づく時の水音で聞こえなかった。でも、こういう時に聞こえない言葉って、だいたいツンデレ系のやつですよね! 僕は偉いのでそういうの知ってます!
「今何か言いました?」
「なんでも~」
左腕に柔肌を感じる。そそそそそんなに近づかなくても。いや、全然いいんですけどね? むしろウェルカムドリンク一気飲み的なね?
「弟子くん大丈夫?」
「へ? え? カクテルの話ですか?」
「本当に大丈夫!?」
落ち着け俺。相手は師匠だ。可愛くて面白くて優しいだけの子だ。うんめっちゃドキドキする。
「そそっそそういえばこの世界にも月はあるんですね」
「ね~」
真上を見る。そこに屋根は無く、夜空が一望できる。なんで無いんだろう。雨とか降らないのかな。
いや、あったら落下してくる時に確実に壊すことになってたから、無くていいんだけどね。
「綺麗ですね~」
「そ!? うだね~」
変なリアクションをされたので、師匠の顔を見る。ちょっと赤い。
「今のはそういうのじゃないです」
「分かってたから通常運転に戻したんじゃん!」
師匠は顔をお湯につけ、ブクブクさせて恥ずかしがっている。この感覚はあれだ、青春感だ。ちょっとドキドキしちゃう。
「あ、そういえば」
「うん?」
「ある程度の高さから水に落ちると、その硬さはコンクリートをも超えるって読んだことあるんですけど」
「ああ、ぶん投げられるやつね」
「そうそう、それです」
「うん、その漫画が? 面白いって話?」
「いや違います。いや、面白いんですけど、その話的に俺ってなんで生きてるのかなって」
「ああ、着水前に私が先に降りて、弟子くんが包まれるように水しぶきをあげたからだよ」
「……え? サキニオリタ? ミズシブキ?」
「いえす。まあ成功して良かったよ。私単体ならどうにでもなったけど、弟子くんを救える確証なかったからね。ほんと、生きててよかった」
「もしかして、さっきの抱き合いながら『生きててよかった』ってセリフ、俺に向けてだったんですか?」
「そうだよ? 私はあんなんじゃ死なないし」
「五階くらいの高さはありましたよね?」
師匠は答えず、笑顔で背伸びをする。
「……まあ、いいです。明日はどうするんですか?」
「……う~ん、どうしよっか」
「俺に聞かれても」
「何かしたいことない?」
「帰りたいです」
「……だよねー」
師匠はまた夜空を見て、うーんと唸る。
「結局、戦闘の練習も出来なかったしなあ」
「……出来なくて良かったですけどね」
「え?」
「いや、なんでもないです」
あんな化け物相手に戦闘とかどんな化け物だって話だよ。まあ、この人も化け物だしな。
「あ、この町を歩いてみたいです」
「お、いいねえ」
「そういえば、竜人族の人達って『人』って呼んでいいんですかね」
「うん、大丈夫だよ。難しいよねそこらへん」
「前の世界にはいなかったですからね」
「ね~」
「他にどんな人達がいるんですか?」
「ん~」
「師匠?」
横を見ると、気持ちよさそうに目を閉じている。師匠も疲れたのだろう。
上を見る。星座は一つも知らないが、それを後悔させるように綺麗な星々が輝いている。
異世界。前いた世界とは全く違う世界。普通の人、と呼ぶのは失礼かもしれないが、俺のよく知っている方の人間がいるのかも分からないし、師匠曰く魔物と呼ばれる存在もいるようだ。
この世界でやっていけるだろうか。
コツンと左肩に何か当たる。見ると、師匠が頭を預けている。痛む右腕を持ち上げ、師匠の頭を撫でる。纏められた髪が少しだけ濡れる。
この人がいるなら大丈夫か。何も心配はいらないな。
「ありがとうございます」
聞こえるはずはない。そう思いながらも、言葉は口から零れ出た。
師匠の頭頂部に俺の頭の左側を乗せる。寝てしまいそうだ。師匠の呼吸の揺れが心地よい。
★★★★★★
今日も蒸し暑い。
ワイシャツの襟を両手で掴み、大きく左右に動かす。内側に入ってくる空気も、同じように蒸し暑い。
寝不足の目を擦って欠伸をする。一瞬の吐き気と共に、喉の奥から酸味を感じ、鼻から抜けた空気は栄養ドリンクの独特な匂いを漂わせる。
何日まともに寝られていないだろうか、もう覚えていない。帰って布団に入っては、すぐにアラームに起こされる生活。慣れたと言えば嘘になる。
線路に電車がやってくる。
一歩だ。
後、数秒。左手に握られたバッグの持ち手に一雫、汗が流れる。
たった一歩で全てが終わる。終わらせられる。右足のつま先が浮く。踵が擦れ、いやに大きな音が出る。俺を止めてくれているような砂利の音。それでも無理やりに右足を出す。
黄色い線を越えて着地する。
左足を出す。
着地地点はない。
体勢は前に傾く。
最後はこんなに長いものか。
右肩に衝撃を感じた瞬間。
俺は
★★★★★★
「弟子くんっ!」
その声に目を開く。心配そうな師匠の顔が目の前にある。
「え、ど、どうしたんですか?」
師匠は質問に答えないまま、俺を抱きしめる。
「よかった……ほんとに……!!」
「え、ええと……」
「泣いてたんだよ」
「え、俺がですか?」
「そうだよ」
「そ、そうですか」
「よかった……」
師匠の腕に力が込められる。少し痛いが、なんだか温かい気持ちになる。
「すんません」
「いや、全然だよ」
「……ありがとうございます」
「……うん。弟子くんがそのままいなくなっちゃいそうで、私……」
今日出会った子に泣かれる。しかも、俺からは何もしてあげられていない。なぜこの子はこんなにも優しいのだろうか。
「大袈裟ですよ師匠。それに俺がいなくても師匠なら」
言い終わるより前に、師匠の腕がより強く俺を抱く。
「やだっ……そんな事言わないでっ……」
何故この子はこんなにも俺を思ってくれるのだろうか。分からない。この子の裏に何があるのか、踏み込んでいいものか、駄目なものなのか、それすら分からない。俺からしてあげられることも、数えるほどしか存在しない。なのに何故か。やはり、分からない。
今の俺に出来るのは、師匠を抱きしめることくらいだ。
☆☆☆☆☆☆
十分ほど経っただろうか。抱きしめたまま師匠は話し始める。
「私さ、強いじゃん」
「そうですね」
疑問を抱く余地もない。当然の事だ、よく知っている。
「だからさ、友達とか出来ないの」
「なるほど。ボッチってやつですね」
愛情とは違い、本気で腕を締めてくる師匠。
「いっ! ちょ、右腕負傷中なんでやめてくださいすいませんでした!」
「……はあ。でね、ようやく話が出来る人ができてもさ、やっぱりあんまり上手く話せないっていうか。だから、対等に話し合える人が欲しいって言うか」
「うん」
「だからさ、弟子くんには傍にいてほしい」
「告白ですか?」
「違うよ!」
師匠は飛び退く。
顔が赤い。そして、目はもっと赤い。
「師匠」
「……うん」
「ずっと一緒にいますよ」
「お、おう。そっか、えへへ。ありがと」
そうやって笑う師匠は、嬉しそうだが、どこか辛そうで、苦しそうで、悲しそうで。過去に何があったのか、踏み込んでいいものか、その距離感を狂わせる表情をしている。
正直、人外の力を持った人間がいたとして、その人と友達になりたいと思うか?
思うは思うかもしれない。
では、友達になれると思うか。
それは思わない。
よそよそしいという師匠の感想は正しいだろう。師匠を相手にした時、友情よりも恐怖の方が勝るだろう。俺だって最初は怖かったものだ。師匠の強さと可憐さ、そして垣間見える儚さが、俺の中から恐怖という感情を消し去ってくれただけだ。
消し去るまで仲良くなる事は、普通は出来ないだろう。だって怖いもん。山削るんだぜ?
「師匠こそ離れないでくださいね」
「いや~それは分かんない」
「あれえ!?」
二人で顔を見合わせて、笑う。
その笑い声は世界に響き渡り、夜空へと消えていった。