第2話 迫真のピンクパンツ
夢から覚めるあの感覚。手足の感覚と脳の処理が合致してくるこの感じ。
先程までの光景を夢にするべく、寝起きで働いていない頭を無理くり動かし、表情筋を操作して言葉を発する。
「ゅめかっ!」
「おはようグッモニ! 朝食のブレックファーストはデニッシュでフィニッシュ?」
頭の頭痛が痛くてヘッドがへディック。そんな頭の痛くなるような文章で俺の寝起きを迎えてくれたのは。
「びっくりしたよ~急に倒れるんだもん」
さっき助けてくれた少女だ。鎧を外して普通の服装をしている。髪は下ろされ、綺麗で長い髪が揺れている。ただ、スカートが短いのはおじさんどうかと思うよ。紳士なので口には出さないでおくけどね。
いや、っていうか、
「倒れた……?」
少女は香りの強い飲み物を渡してくれる。それを受け取って口に運ぶ。
「そうそう。あまりに急だから死んじゃったかと思った」
「死んじゃったって、そんな軽々しく……そういえば……えっと、ここは?」
辺りを見る。木製の家。ロシアとかの家のイメージ。なかなか味のあるつくりだ。
「私の家よ」
「うおっ!?」
急な背後からの声に驚き、振り返る。枕元に人が座っていた。
いや、人ではない。トカゲのような頭に皮膚。頭頂部には角が生えていて背中には翼や尻尾が見えている。服を着ていて、さっきの大物に比べればいくらか人間らしさがあるが、どう見ても……
「ド、ドラゴン……」
「違う違う。竜人族」
少女がお盆に何かを乗せながら、俺の言葉を訂正する。
「ええと、りゅーじん……?」
「私達は人語を介して意思疎通が出来るのよ。ビックリしちゃった?」
まるで普通の人間の女性のように胸に手を当てて片目を閉じ、いたずらっぽく笑う。その表情に、恐怖よりも好感を覚える。
「い、いえ」
「さ。そろそろここが異世界だって信じてくれた?」
「異世界……」
読んで字の如くならば異なる世界。そのまま過ぎるか、異世界ねぇ。
「まだ夢だと思ってます」
「えいや」
ベチンッ!
少女の伸びきった中指。音を発すると同時に痛むデコ。
つまり、これは……デコピン! いや、じゃなくて、
「夢じゃない……」
「あなたがどうしてここに来たのかは知らない。でも受け止めなきゃ」
「なきゃ?」
「死ぬよ?」
まるで常識のように、当り前のことのように、人は呼吸をするものだと説くように。口調に見合わない重々しい言葉を吐く。
「死ぬんですか……」
「死ぬんですよ。前の世界と一緒」
「はい……ん? いや、というか」
最初から感じていた違和感。言葉の端々から感じていた親近感。どこか少女に感じていた不思議なこの感覚。
「前の世界っていうのは、もしかしてあなたも……?」
「あ、そうだよ。私もここに来たの。この異世界に」
脳のキャパシティーをオーバーし始めている。
「俺は異世界に来たけど夢じゃなくて、あなたも異世界に来て……?」
「そうそう。誰がとか、どうやってとかは全然分かんない。分かんないけど、来させられたからには、ここで頑張るしかないでしょ」
なんでそんな前向きなんだ。というか今でもまだ少し夢だと思っている。相当質の悪い夢だと。
「とりあえず。はい、朝ごはん」
渡されたのは白米に味噌汁。デニッシュでフィニッシュとは何だったのか。
「てか米はあるんですね」
「自生してなかったから私が一から作ったんだよ」
「へえ、一から作ったんで……作った!?」
「うん」
「え……え?」
「いいからいいから。食べちゃお」
促されて席につく。俺を助けてくれた少女と、先程の竜人族と呼ばれていた女性と一緒に朝食を食べる。日本的な食事だ。白米に味噌汁。具材は……なんだろう、これ。黄色い……ワカメ?
「あ、おいしい」
「よかった~」
少女は笑う。その表情は年相応のもので。
その顔を見ながら米を口に運びつつ、脳内で情報を処理する。にしても温かい飯とかいつぶりだ? おしいなほんと。いや、違う違う。
万が一に、だ。万が一にもこれが夢じゃなかったとして、この世界から戻ることを最優先に考えよう。前の世界に未練はほとんどないが、この世界の人に慣れる気がしない。そして戻るには、この少女の力が何より必要だ。あんなドラゴンがポンポン出てくる世界で生きていける気がしない。
いや、ポンポン出てくるのかは分からないが。
さっきの強さがあるならば俺の命の危険はないだろう。打算的ではあるが、この際は仕方がない。
だが、どう切り出したものか。情に訴えるか。
「あの」
「ご飯中は喋らない」
「あ、すんません」
☆☆☆☆☆☆
食後に運ばれてきた赤色の温かい液体。香りも味も完全緑茶だが、何故かおいしい。
「はっきりさせとこうよ」
「なにをですか?」
この飲み物の原材料だろうか。俺も知りたい。
しかし、意外に真剣な少女の表情に、自然とこちらの背も伸びる。
「君は……何歳なの?」
どんな真面目な質問かと思えば、そんなことか。
「俺は24ですよ」
「あっへえ。そ、そうなんですか」
少女の急な敬語。
「えっと、あなたは?」
「え? しょ、初対面のレディに年齢を聞くのは失礼じゃなくて?」
「語尾おかしくなってますよ。それに、聞かれたら聞き返すのは普通だと思うんです」
「……わ、私は20ですけど何か?」
「あっ年下……へえ」
完全に舐め腐った態度をとりつつ、見下すような目で少女を見る。というか、この子が少女に見える時点で、俺よりも年上ではないだろうなと思ってはいた。
「でも異世界では私の方が先輩だから敬語を使ってよね?」
「そんな芸能界みたいなシステムなんですか!?」
「ほら、敬って?」
「うわあ、やだなこんな先輩。でもいるよなあ、年下の上司。え、僕っすか? みたいな態度で全責任を俺に擦り付ける奴。そういう奴に限って上のご機嫌とるの上手いせいで可愛がられてさ。ありえないよなあ、そういう矢田みたいな奴」
「実名出ちゃったし黒歴史回想モードに入っちゃった!」
「ブラック企業だけにな! ってやかましいわ!」
「ないよー、ないない。今のは寒いよ弟子くん。アイスコーヒー並に寒いよ。ブラックだけにねっ!」
「弟子くんってなんですか?」
「スルーされた!?」
いや、めんどくさいし。つまらないギャグとか俺は苦手。むしろ嫌い。
「いやでも、弟子くんって良くない?」
「なら、俺は師匠とでも呼べばいいんですか?」
何気なく発した言葉に、少女が目を輝かせる。まだ短い時間しか一緒にいないが、それでも分かる。俺がやってしまったという事がね。
「いいね! 最高! 気に入っちゃった!」
気に入っちゃったんならしょうがないね。満面の笑みスマイルでサムズアップ。もしこの一瞬を切り取れるならば、今この瞬間は名作の洋画にも引けを取らないだろう。
洋画だから、しょうがないっ!!
自分のギャグに才能を感じながら、嬉しそうにしている少女にノリを合わせる。
「じゃあ色々教えて下さい師匠」
「うむ! 任せたまえよ弟子くんっ」
「あらあら。仲が良さそうでよかったわ」
そう言って竜人族のお姉さんが笑う。その一言で少し気恥ずかしくなり、少女を直視出来なくなる。
それは少女も同じだったのか、不自然な咳払いをして話し始める。
「そ、それで弟子くんはどうしたいの?」
「どうしたいっていうのは……ええと……」
「この世界で何かしたい事とかさ」
「帰りたいです」
即答。
「無理だね」
師匠も即答。
「無理なんですか?」
「無理だね」
「……そこをなんとか!」
「仕方ないなあ」
「流石師匠!!」
「特別に『この世界で冒険をする時に私も一緒に付いてい~く券』を差しあげましょう」
「いらないです。かえしてください」
「返品不可です」
「そっちの返してじゃないです。元の世界に帰してください」
「無理なんだって。私もこの世界に来て半年くらい経ったけど、何の手がかりも無いし」
し、なんだろう。他にも何か無理な理由でもあるのだろうか。
「帰りたくないしね~」
なんでですか? そう聞こうと口を開くよりも一瞬早く、部屋の扉が開く。
「あ、起きられたんですね」
入って来たのは、先程から後ろで看病をしてくれていた人と同じ姿に見える人。双子だろうか、瓜二つだ。というかこの人達は「人」でいいのか?
「あ、私は妹のペイです。よろしくお願いします」
「あ、こちらこそ。部屋を使わせて頂いていて……」
丁寧な挨拶に、思わず頭を下げる。さっきも思ったが結構日本文化的だ。
そんな事を思っていると、後ろから声をかけられる。
「気にしなくて大丈夫ですよ。私達もこの子にはお世話になってますしね」
後ろのお姉さんは、そう言って少女の方を見る。
こんなに小さい子に助けられている……? まあでも、俺も最初に助けて貰ったしな。ありえない話ではないのか。
「ええと、お姉さんの方の名前は」
「ペイです」
「え? でも妹さんも……」
「ペイです」
「ですよね」
「二人ともペイだよ。発音は違うけど」
姉がペ↑イ、妹がペ↓イ。二人合わせてペイペイだ。なんだか、
「姉妹揃うと清算方法みたいだよね」
「……」
「何その顔。うっわ~思考回路が一緒なの本当に嫌なんですけど、みたいな顔は」
「そのままです。俺の知能指数が意外に低くてショックを受けているところです」
「酷くないかな!?」
「酷くはないです。非道なだけです」
我ながら上手いこと言ったと思い、ドヤ顔を見せつける。
「そんなことより弟子くん」
全身全霊のギャグを「そんなこと」扱い……?
「私達が前いた世界には戻れないって考えた方がいいと思うよ」
「……そう……なんですか」
「なにか未練とかあるの?」
「いやまあ、ありますけど」
女の子と付き合いたかったしデートしたかったし、一緒に遊んでみたかったし結婚してみたかったし、笑いあったり泣きあったり喧嘩も仲直りもしてみたかった。未練だらけだな。
それに、今は考えつかない事もあるだろう。むしろ未練がない方がおかしい。
「そっかあ……そうだよねえ」
まるで自分の事のように、心の底から落ち込む少女。いい子だなあ。
「まあ、旅しながら探すことにします」
「そっかそっか」
となればどこへ向かうべきなのか。というか、この世界にはどんなところがあるのだろうか。
「それでは、お世話になりました。これだけの事をして頂いておきながら、こちらから何も返さないというのは流石に失礼が過ぎるので、後日何らかの形で返しに来させて頂きます」
立ち上がって胸を張り、両手を横に揃えて腰を45度に折って感謝の意を述べる、最上級の礼。完全に身に染みている。悲しいかなブラック。
「せい」
ベチンッ!
気の抜けた声に見合わない力で尻を蹴られる。床を転がり壁に頭を打つ。
「お゛あ゛っ!?」
凄く痛い。頭を抑える。目の前がチカチカしている。もう少しで朝食が出るところだった。
「めちゃくちゃ痛かったんですけど」
「弟子くん」
俺の目の前に仁王立ちする少女。いや、少女ではなく師匠だったなそういえば。
「な、なんですか?」
「私もついて行きます」
「え、あ、はい」
この後お願いするつもりだったし、わりと願ったり叶ったりだ。
「この世界には魔物が溢れています」
「魔物?」
「ゲームとかで出てくる敵みたいなやつ。弱いのもいるけど強いのもいるの。超危険」
それは超危険だ。師匠のスカートがヒラヒラしていてチラリズムしそうなのも超危険。いやマジで。あと、あとちょっと……もうちょっとフワッと……
「なのでついて行きます!」
「え? ああ、はい。それは本当にありがたいです」
「感謝してよねっ」
「今したじゃないですか」
「それじゃあ、私と弟子くんの異世界冒険旅~~っ! レッツゴー!!!!」
目の前で思いっきりジャンプする師匠。嬉しそうで何よりだ。
先程まで見えるかどうか状態だったが、今ではもう出血大サービス状態。チラリズムなどではない。モロリズムだ。ポリリズムだ。いや、それは意味が分からんな。
だがしかし、俺は、モロも、大好きだ。
「というわけで何でも聞いてね? 弟子くんっ」
ならば問おう。貴方がピンクのマスター……じゃなかった。紳士的に気持ち悪くなく、尚かつ遠回しに。
「師匠のパンツはいつもピンクなんでっっっ!?!?」
『自分の心に嘘をつくな』祖父からそう教えられたのは何歳の頃だったろう。
キックボクサーのような綺麗な蹴り。師匠の右足は俺の左頬を捉えて、壁ごと外に吹き飛ばした。
後悔はしていないし、反省もしていない。ただ、家の壁に穴を開ける原因を作ったことは申し訳ないと思っています。