第1話 初めての出会い
「ここは……?」
目の前には石や岩。
体育座りのまま空を見上げる。うん、今日もいい天気だ。問題は何県の天気かというところだ。俺の記憶が正しければ、全国的に雨模様だったはずだが。
「あれ?」
「う゛お!?」
背後からの唐突な可愛らしい声に驚き、立ち上がって振り返る。
高校生くらいのポニーテールの少女が立っていた。その可憐な容姿には見合わない白銀の鎧を着込み、身の丈ほどもある大剣を背負っている。
何かのコスプレか?
「こんな所で何してるの?」
「え……えっと、え?」
「ここは竜人族領だよ?」
「りゅーじんぞくりょー?」
何を言っているんだこの子は。思わず、君は意味の分からない事を言うのが得意なフレンズなんだね! とか言いそうになった。とりあえず仕事に行かなければ。こんな所でコスプレをしたJKと喋ってる場合ではない。
「えっと、新宿駅は……どこですか?」
7時32分発の電車に乗らなければ遅刻する。可愛いコスJKと喋る事か、仕事を失う事かを選べと言われたら当り前だけど迷うよね。択の片方が魅力的過ぎて、上げた腰が地面とくっつきそう。
などと考えていると、
「新宿……? どこかで……? あっ! あーね!! うっそこんな事ってあるー!?」
こんな事って何だろう。見知らぬ土地でコスJKとキャッキャウフフする事だろうか。無いだろうな。俺も初体験だ。
「凄いよね!!」
主語、述語、配慮の三つが足りていない少女は笑顔で俺に向かって手を伸ばしてくる。生き別れた戦友に伸ばすような手を。まあ、そんな手を見たことはないんだけどね。
とりあえず、伸ばされた手を取ろうとした瞬間、
ゴァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
上空から轟音が聞こえ、見上げる。幸か不幸か、爆音の正体を見てしまう。
「あっ」
空気が抜ける音のような一音を発して、思考がフリーズ。行動もフリーズ。
「うん?」
背後のソレが見えていない少女は微笑んだまま、こちらに手を伸ばし続けている。さっきの轟音が聞こえていなかったのか? いや、そんなはずは……
「ひっひゃ……」
俺の口から漏れ出たのは、助けを求める言葉でも少女に危険を知らせる言葉でもなく、なんとも情けない声だった。
「あーね」
少女は俺の顔を見ると、何かに納得したように頷いて背中の剣の柄を握る。そして、どこにそんな力があるのかと疑問に思うほど、軽々と剣を抜き取って片手で持ち上げる。
「ちょこっと待っててね」
赤子をあやすような笑顔と優しい声でそれだけ言うと、俺に背を向ける。それと同時に十メートルほどの大きさの「ソレ」が上空から降りてきた。
陽の光を反射して赤く輝く鱗を纏い、翼を生やした巨大な蛇。
いや、違う。昔に読んでいたモンスター図鑑に乗っていた名前を借りるならば、こいつは、間違いなく「ドラゴン」だ。翼を大きく上下に動かして地上4、5メートルの辺りを浮遊している。
翼が上下する度に地面には竜巻のような突風が吹き荒れる。あまりの風量に呼吸が出来ず、顔を右腕で覆い隠す。
ドラゴンは少し高度を落とし、口を大きく開く。人が一人は縦に入れそうなほど大きな口。その喉奥が太陽よりも眩しく輝き始める。
体表が焼けるような、産毛が灰になってしまいそうなほどの熱気を感じた時には、既にドラゴンの口から炎の球が吐き出されていた。
全てを焼き尽くさんとする勢いで飛んでくる炎球。
少女の背中越しに見る炎球はあまりにも大きく、絶望するには十分だった。
死が目前まで迫っている。少女を飲み込み、俺をも飲み込もうとする死が。しかし、体は動かない。いや、動けない。手足が石のように重く、目は少女の背中だけを見つめている。
そんな俺とは相対し、少女は毅然として前を向いたまま、右手で柄を握って大剣の腹を左腰に添える。左手は炎球を掴むかのように前方へと伸ばしている。まるで居合のような構え方。
まさか、炎球を斬るつもりだろうか。いや、まさか。まさかな。
「へんにゃ」
重そうな大剣を振り回すには、あまりにも弱々しすぎる声を出す。それと同時に、右足を軸にして、見えるか見えないかほどの速さで一回転。再びドラゴンに向き合う時には、既に大剣は半分ほどが背中の鞘に納められていた。
あまりに一瞬の出来事に、少女がまったく動いていないように見えたくらいだ。
そう思った直後、爆音。
横薙ぎに振られた大剣の軌跡に沿うように、炎球が二つに斬り裂かれた。真ん中から上下に分かれた炎球は火の粉となって空中を舞い、風に揺られて消えていく。
「すっげ……」
鼓動が鳴り響き、正直な感想が口をついて出る。まるでファンタジーの世界の出来事を見ているようだ。子供の頃に憧れた、剣や魔法やモンスターが出てくる世界。
こんな夢を見るなんて、まだまだ大人になれていない証拠だな。などと考えていると、
メギギギギギギギギギ……
と、ドラゴンの方から音が鳴る。
そうだ。まだドラゴンがいるじゃないか。炎球を斬ったという事実で頭がいっぱいおっぱいだった。いや、ふざけている場合ではない。
慌ててドラゴンの方を見るが、両足を地面に着け、翼を開いたまま静止している。
少女は大剣を納めきり、振り返る。
「さて、自己紹介がまだだったよね?」
「……え? いや、いやいやいや、え??」
「え?」
何故見知らぬ土地でJKと顔を見合わせたまま首を捻らなきゃいけないのか。
「い、いや、まだドラゴンが!」
「ああ、もう大丈夫だから」
その言葉通り、ドラゴンは倒れた。いや、倒れたというよりは、ずり落ちた。それも上半身のみ。
ドラゴンは既に、上半身と下半身に切り離されていたのだ。
鮮血をまき散らすドラゴンの下半身を見つつ、思考を研ぎ澄ませる。
少女が斬ったわけではない。当り前だ。大剣の届く距離ではない。では誰が? どうやって? 空に浮かぶ十メートルほどの巨体を真っ二つにするほどの強力な何か。
誰、もしくは何が、と辺りを見回すが、何も見当たらない。
少し間をおいて、ドラゴンの下半身が前方に倒れる。その衝撃が地面を通して伝わってくるが、あまりの振動の強さに、下半身だけでも相当な質量を持っていたことが分かる。そんなドラゴンを上半身と下半身に切り分けたもの……
少女はもう一度、笑顔で手を伸ばす。もう大丈夫だ、もう安心だと言うかのように。
周囲を警戒しながら、少女の手をとって立ち上がる。少女はドラゴンの死体の横に立ち、腰に手を当てて呟く。
「まーたやっちゃった」
何をやっちまったのか。そして結局ドラゴンを倒したのは何なのか。疑問は絶えることはないが、少女の隣に立つ。少女が見上げている先には山々しか存在しない。その中でも特に大きめの山へ向け、少女は視線を注いでいる。
その山頂の一部が崩れ落ちていく。より正しい表現をするのであれば、滑り落ちていく。それも剣で切られたかのような綺麗な断面で。まるでドラゴンと同じ力で切り取られたかのように。
「またシルルドに小言を言われちゃう……」
面倒くさそうに顔をしかめつつ、大きなため息を吐く少女。
「あ、あの!」
「え? ああ、ごめん。まずは自己紹介だよね」
違う違う。それよりも先に教えてもらいたい事が山ほどある。
「違います。あのドラゴンを倒したのは何ですか? そしてあの山も! いったい何が起こってるんですか!」
弛緩しきった表情の少女。山を切り落とすほど強大なものが、まだどこかにいるかもしれない。敵かもしれない。今すぐ襲ってくるかもしれない。なのに何故この少女は落ち着いていられるのか。
「ドラゴンを倒したのも私だし、あの山を斬っちゃったのも私。あ、炎球を斬ったのも私だよ」
衝撃の事実をあっけらかんと。まるでどうということはないかのように。
「は?」
「うん」
「いや、うんじゃないが」
「うんじゃ? うんじゃって何? もんじゃ焼き的な?」
「ふざけないでください。さっきの……ほ、本気で言ってます?」
「うん。ここを斬ったのも私だし」
言われて地面を見る。所々風化はしているものの、確かに平らではある。先ほどの山のように、ドラゴンのように。
「信じてくれた?」
微笑みながら少女は問う。
周囲を見渡す。少女とドラゴンと山頂は一直線上にある。そして、他に人影は見当たらない。その上で少女のあの発言。点と点が線で繋がった。繋がってしまった。信じたくはないが、まさか。ドラゴンも山も斬ったのは、本当にこの少女なのか?
「は、はは……」
乾いた笑みが漏れる。情けない。いくら夢だとしても、この強大な力を前に恐怖を抱いている。まるで呼吸をするかのように軽々しく地形を変えるほどの力。
少女は手を差し出す。
反射的に俯いてしまう。少女が怖い。怖くて見られやしない。
「怖い、よね?」
言葉自体は強者のソレだが、声は切なそうに。
おっかなびっくり、少女の顔を見る。どこか物悲しそうだが、その顔は可愛らしく、優しそうな笑みを湛えている。邪さの一欠片もない笑顔。太陽のような、温かな笑顔。
あれほど強大な力を持ちながら、俺を守る為に使ってくれたのだと今更ながら実感する。
怖いことがあるだろうか。目の前にいるのは、化け物でも妖でもモンスターでもなく、ただの心優しい女の子だ。
「怖くないです。ちょっとびっくりしただけです。それも本当にちょっとだけ」
「へえ。演技派なんだね」
「よく言われます。特に岩の役を演じた時なんて大絶賛でしたよ」
「あっ……そっか」
察しのいい少女は嫌いじゃない。憐れむような視線がなければの話だがな。
少女はそんな俺を見て息を大きく吸い、元気な声で高らかに告げる。
「ようこそ異世界へ!」
「……え? 異世界? なんですか、それ?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「初耳ですね」
「あ、ごめん」
「いえいえ。で、異世界とは?」
「異なる世界だよ?」
頭痛とは、頭が痛い事である。そう説かれたようなアホらしさを感じる。
気が抜けたのか、視界がぼやけ、暗くなり始める。
ああ、これは夢だ。きっと夢だ。夢ならば、どうか覚めてくれ。