第九話 窮地
シュタインは橋に立つ人狼に狙いを定めた。玉砂利を蹴散らし突貫する。
「En garde」
突き出された太刀が空気を裂きながら橋を駆け抜ける。「ハッ」と人狼が背をさらし、頭を橋につけ、ブリッジで太刀の突きを躱した。
「くらえ!」
「背中ががら空きだぜッ!」
ブリッジの人狼の右足が跳ねあがると同時に背後から別な人狼が襲いかかる。
シュタインは左に体を捻るように跳躍。橋の欄干に飛び降りるも、そこには既に三体目の人狼が迫っていた。
「もらったッ!」
「これしき!」
繰り出される右の爪を太刀で斬り捨て、シュタインはその人狼の頭を足場に再び跳躍、宙へ逃げた。
しかし、そこには既に人狼が。
「喰いちぎってやるぜぇ!」
牙をむき出しに迫る人狼を強引に背を逸らして躱すが、控えていた両の爪を避けきれず、スーツの上着が切り裂かれる。
「お気に入りを!」
シュタインはすれ違いざまに人狼の背に太刀を見舞う。が、足場がない空中で力が籠められず体毛を突破できない。
そしてシュタインの背後には別な人狼がいた。ぬめる、血に飢えた牙。
シュタインが舌打ちをする。
「終わりだ!」
「やらせん!」
凶悪な牙を剥く咢。シュタインは振り向きざまに太刀を突きいれる。
人狼の喉を突き破り、太刀が後頭部から姿をあらわした。
「グルァァア!!」
人狼の目が妖しく光る。
喉を貫かれた人狼が身を乗りだし、より深く太刀を呑みこむ。シュタインの右手首が口の中に入り込んだところで、その手首ごと噛みちぎった。
「クッ!」
シュタインが右腕を引き抜く。ストライプのスーツは無残にも袖がなくなった。
太刀を呑みこんだ人狼の顔を蹴り、空中で一回転して橋の欄干に降りる。太刀を呑みこんだ人狼は腹ばいで地に伏せた。
「しゅたぃぃぃん!」
右手首を消失したシュタインを見て、花蜜が叫んだ。
だが、シュタインの表情は凪いでいる。右手首の、あるはずの出血も、ない。
「僕としたことが」
シュタインが右手首に視線をやる。同時に太刀を呑んだ人狼の口から夥しい数の蝙蝠が飛び出した。
「こここ、こうもり?」
花蜜の動揺を余所に、蝙蝠はシュタインの右腕に集まった。蝙蝠たちは漆黒の何かに形状を変える。
そして、何ごともなかったかのように、シュタインの右手が現れた。
「しゅ、しゅごい! しゅたぃん、しゅごい!」
目を輝かせて手を叩く花蜜。だが、シュタインは怪我こそしていないが、武器を失っている。
髭きりの太刀は人狼の首にあった。
後頭部から太刀を生やした人狼がゆっくりと立ち上がる。
彼が右腕を背後に回し太刀を掴むと、ジュワと音と主に煙があがる。だが、「ヌン」と気合一発、引き抜いてしまった。
太刀を肩に担いだ人狼が、歪んだ笑みを浮かべる。
「おお、イテェ」
仄かに青白く光る太刀を睨み、人狼が嗤った。
橋の両端にはそれぞれ人狼が立ちはだかり「どうするんだ」「蝙蝠野郎が」とせせら笑っている。
武器を失い、かつ敵は意気軒昂だ。
「碓井、卜部。そいつを足止めしとけ」
髭切りの太刀を肩に担いだ人狼が、花蜜のいる松へを足を向けた。「ぴやぁぁぁ」と花蜜が悲鳴を上げる。
「抜け駆けか?」
「独り占めは許さんぞ」
碓井、卜部と呼ばれた人狼が色めきだった。
まずい、とシュタインが欄干を蹴ろうと膝を曲げ、松へと跳躍する。
太刀を持つ、坂田公時と思われる人狼が即座に反応。太刀振りかざし、上空のシュタインへ飛びかかった。
シュタインは太刀を蹴りで迎え撃つが、逆に弾かれ、松とは正反対へ飛ばされてしまう。
玉砂利に着地したシュタインはパンパンとスーツを叩いて襟を正した。
「花蜜をくれてやるわけにはいかないんだ」
シュタインの体が漆黒に染まり、輪郭がぼやけはじめる。ジワジワと夜の闇に溶けだした。
「動くな蝙蝠!」
「そこから動いたら、あの幼女の命はねえぞ?」
橋の両たもとにいる人狼が爪を鳴らし威嚇するが、シュタインの変化は止まらない。
「動かなくたって殺るんだろう?」
シュタインの口もとから二本の牙が覗く。瞳孔が開き切り、紅く輝きはじめる。
ハァァ、と白い煙が口の端から漏れ、頬がヒクついていく。
「坂田ァッ!」
「早く殺れッ!」
碓井、卜部の人狼が牙をむき出しに跳躍した。
「龍神顕現、急急如律令!」
しゃがれた声が屋敷から響く。
ギロリと視線を向けたシュタインは、一条の稲妻を見た。
龍のように空中をくねった稲妻が、空中の碓井、卜部を続けて貫き、爆散。雷光は鋭角に向きを変え、髭切りの太刀を持つ坂田へ襲いかかった。
「なにぃッ!」
稲妻の閃光に気がついた人狼だが、振り向いた瞬間、胸を貫かれた。
「ギュワァァッ!」
人狼は断末魔とともが塵と化し、主を失った髭きりの太刀が玉砂利に突き刺さった。
「お、おししょうしゃまぁぁぁぁ!!」
松の上の花蜜が絶叫する。
「師匠……だと?」
シュタインの紅い眼光がひとりの老人を認めた。
白髪を烏帽子で隠し、純白の狩衣姿で矍鑠と歩みくる、鬼の形相の老人。
体から青い焔を立ちのぼらせ、空間を歪めていた。
「あやかしめ、花蜜を如何にするつもりだ!」
老人は懐から一枚の札を抜き、伸ばした人差し指と中指で挟んだ。
シュタインの背筋に、今まで感じたことのない悪寒が走る。
額には玉の汗が浮かび、魅入られたように、身体を動かすこともできないでいた。
「まさか、晴、明……」
シュタインが感じたのは喜びではなく、恐怖だった。
老人から感じるのは、抗うことが許されないほどの威圧。
膝がわらい、いまにも崩れ落ちてしまいそうだった。
人狼を爆散させた光が花蜜と同じ系統の力だとしたら――
シュタインの喉が、ゴクリと鳴った。
「おししょうしゃま、ちがうのでしゅ! しゅたぃんは、はなみつの、しんじゅうなのでしゅ!」
花蜜の絶叫に、老人の足が止まった。
「……今、なんと申した?」
地底をも震わす低音ボイス。
ビクリと震えたのは花蜜だけでなく、シュタインもだ。
「しゅたぃんは、はなみつの、しんじゅう、なのでしゅ!」
再度花蜜が叫ぶが老人の気迫は薄まることはなく、殺気はシュタインに刺さりっぱなしだ。
「い、いま、おりるでしゅから、おししょうしゃま、おりるでしゅから!」
ワタワタと花蜜が松の幹にしがみつきながら降りようとしている。
が、足を滑らせ宙ぶらりんになってしまった。
「ぴゃぁぁぁぁ!」
「あぶないッ!」
シュタインは飛んだ。
背から漆黒の翼をひろげ。
闇を切り裂くように。
「ぴやぁぁぁ!」
花蜜が地面に叩きつけられる寸前、シュタインの腕が彼女を捕まえた。
「うべぇぇぇん」
「危なかった……」
彼女を左腕に座らせると、ひしと抱きつく花蜜。
安堵の息を吐くシュタインに、背後から影が差す。
「……命拾いしたな、おぬし」
シュタインの背には、晴明の札が突きつけられていた。