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第六話 人狼

 月は、すでに山に堕ちた

 保昌は付き人もなく、灯りすら持たず、鷹司小路を御所へ向かって歩いている。

 シュタインは検非違使庁に入ることなく、本能に従い保昌を()けていた。

 引っかかるものがあったのだ。


「昔の日本人が夜目が聞いたかどうかは知らないけど、普通の人間がこの闇を歩けるとは思えない」


 保昌から半町後ろを歩くシュタインもまた常人とは離れているだろうが。


「やしゅましゃしゃまは、すごいおかた。しゅたぃんは、しんじゅうだもの」


 花蜜は「ふしぎなことではないのでしゅ」と続けた。花蜜から、何故か全幅の信頼を得ているシュタインは苦笑する。

 

「まぁ、夜にひとりで笛を吹いていたという逸話もあるくらいだから――」


 シュタインがボソリと呟いた瞬間、先を行く保昌が突如走り始めた。保昌の背は角を曲がり見えなくなる。


「くっ、ばれたのか」


 シュタインは舌打ちをした。


「見失うわけにはいかない」


 花蜜に「しっかりつかまっているんだよ」と声をかけたシュタインは深く膝を曲げ、地を蹴った。左腕から「ぴぁぁぁ」と悲鳴が上がる。

 保昌が消えた方角へ、高さにして十メートル。

 重い夜の空気押しのけ、シュタインと花蜜はあばら家の屋根に、音もなく舞い降りた。


「ととと、とんじゃの? とんじゃの?」

「花蜜、静かに。彼に気がつかれてしまう」

「だ、だって、しゅたぃん、とべる、しゅごい。しょうかんした、はなみつも、しゅごいぃぃ!」


 花蜜は嬉しそうな顔をぐるりと巡らせ、ぱちぱちと手を叩く。

 屋根の上からは、京の所々に設置された篝火が見えた。多くはないが、とある屋敷の周辺だけ、異様とも思える数があった。


「静かにしてほしかったのだがっと、彼を見失うわけには――」

「誰を、かな?」


 花蜜を嗜めたシュタインに、背後から低い声がかかった。シュタインは瞬時に跳躍し、空中で左に佩いた太刀を抜く。


 ギン!


 背後に振るった髭切りの太刀が激しい音を立てた。散った火花で声の主が浮かび上がる。


()()を纏った、狼。


 髭切りの太刀とカチあったのは禍々しい爪を持つ毛だらけの手だった。


 筋肉で狩衣は盛り上がり、はち切れそうだ。

 ぬめりのある牙を見せつけ、瘴気をまきちらす獣が、そこにいた。


「ぴやぁぁぁぁ!」


 狼の頭を見たのか花蜜が悲鳴を上げる。シュタインは一瞬だけ花蜜に視線を落とし空中を蹴った。

 宙で向きを変えたシュタインは数軒先の屋根に降り立つ。花蜜はシュタインの首にしがみつきっぱなしだ。


「保昌をつけていたのだが……お前はだれだ」


 シュタインは青光りする太刀の切っ先をその人狼に向けた。


「おかしな気配がつけていると思ったら、骨董品の蝙蝠とはな」


 ククク、と人狼が嗤う。シュタインの眉がピクついた。

 本能が、目の前にいる人狼はつけていた藤原保昌ではないと告げている。


「俺は、ここでは渡辺綱と呼ばれている」


 目の前の人狼が嘯くとシュタインの額に皺が寄る。

 よりによって頼光四天王がひとり渡辺綱と名乗ったのだ。


 渡辺綱は頼光四天王の筆頭であり、シュタインの愛読書にもたびたび登場する、武勇の誉れある英傑だ。

 一条戻り橋の上で鬼の腕を切り落とした話は、シュタインの好きな場面でもある。


 シュタインの額に血管が浮き上がる。

 彼にとっての英雄を穢された気がするのだ。


「藤原保昌はどこにいる」

「くくく、頭は一足先にもどったぜ」


 シュタインの唸るような言葉に、人狼はニタリと口を開け、牙を見せつけた。

 狼がしゃべるというありえない光景に「ふぇぇぇ」と花蜜が泣き始めた。

 

「藤原保昌が頭? 貴様()はなんなのだ。なぜ狼風情が京を闊歩しているのだ」

「蝙蝠に言われたくはねえな。そんなことよりそこの小娘を渡せ」


 フンと鼻を鳴らした人狼の爪が伸び、(けだもの)の目が紅く染まる。

 シュタインはちらと花蜜を見た。

 あの香しい魔をおびた赤い血潮を思い出す。


 だがそんなことは関係なく、そもそも彼の心は決まっている。

 彼の愛する物語を冒涜する存在は許しておけないのだ。


「断る。花蜜、しっかり掴まっているんだ」

「ふえぇぇぇん、わがっだぁぁぁ」


 太刀を握る右手に力がこもる。

 呼応するように明滅する髭切りの太刀。

 シュタインは月の如く煌めく太刀を頭上に掲げた。


 太刀が奏でるは声なき讃美歌。

 漲る(ちから)に吊り上る頬。

 シュタインの瞳が紅く輝く。


「狼狩りは、二百年ぶりだ」


 シュタインと人狼が同時に跳んだ。





 髭切りの太刀が闇に閃光を走らせる。


En(アン) garde(ガルド)!」

「ケッ!」


 眉間を狙ったシュタインの突きは人狼の爪で逸らされた。バックステップで下がった人狼が砂塵を巻き上げる。


「ハッ、剣筋がミエミエなんだよ」


 人狼が地を這うように間合いを詰めた。シュタインは下から襲いくる爪を太刀で受け止めるもズシリと肩に衝撃が走る。


「ふむ、剣が違うとタイミングがずれるな」

「その余裕もいつまで――」


 「もつかな!」と人狼の目が花蜜向けられ、追うように凶悪な爪が迫る。


「おっと危ない」

「グァッ!」


 後ずさり際にシュタインが振るった太刀が人狼の腕を斬り落とす。京の小路に獣の腕が転がる。


「チッ!」


 落とされた腕を拾い上げた人狼が飛び退って距離を取り、苦々しげに口をゆがませた。

 だが、斬られた腕からは血が落ちていない。


「まったく、花蜜を狙うとは紳士じゃないな」

「ふぇぇぇぇ!」

「みろ、すっかり怖がってしまっているじゃないか」


 首にしがみつく花蜜を抱きかかえたままシュタインは半身になり、髭切りの太刀を人狼に向ける。


「ケッ、今のうちにおとなしくソイツを渡せば見逃してやろう」


 人狼は腕を落とされてなお強気だ。人狼が持つ凶悪な再生能力故だろう。

 人狼が斬られた腕の断面を付け合せると、何事もなかったように凶悪な爪が蠢き出した。

 それを見たシュタインがふぅとため息をつく。


「まったく、体力だけは無駄にある獣はこれだから――」


 おこりも見せず、シュタインの体が瞬時に人狼の眼前に現れる。


困ったものだ(Allez)!」

「チィィ!!」


 シュタインが神速で突き出した太刀は、両手でガードする人狼の手を刺し通し、狼の眉間に吸い込まれていく。 

 シュタインの手には仕留めた感触があった。

 だが、人狼の目は死んでいない。


「これしきじゃ、満月の狼は、死なねえんだよ!」


 人狼が、半ばまでめり込んだ刃を貫かれた手で掴み、吠えた。怪力でグググと太刀が押し戻される。

 シュタインは眉を寄せ、小さく息を吐いた。


「死ぬまで付き合うのも面倒だが仕方がない」


 シュタインは、人狼を刺したまま太刀を頭上に振り上げた。急激に振り上げられた太刀からズルリと剥がされ、闇夜に放り投げられる人狼。

 人狼は空中で膝を抱え一回転すると、軽やかに着地した。


「治りが遅い。なかなかいい剣だな、それは」


 人狼は額から舌たる血を舌で舐めとり、余裕を見せた、


「この太刀であれば滅せると思ったが、満月の狼は思ったよりも厄介だな」


 シュタインは奥歯を噛んだ。

 いかな高速治癒の人狼といえど頭を貫けば行動不能にできる算段だった。()()()の狩りではそうだったからだ。

 もっともその時の武器はシュタイン特製のものではあったが。


「しゅ、しゅたぃん。ひげきりは、それだけでは、だめなのでしゅ!」


 シュタインの首にぶら下がるようにしがみついている花蜜が叫ぶ。


「それだけ、とは?」

「くじをとなえて、ひめられたちからを、かいほうするのでしゅ!」

「できるのかい?」

「まかせるのでしゅ!」


 シュタインの首に縋りついたままの花蜜が髭切に右手をそえた。


「りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ぜん・ぎょう!」


 花蜜が唱えた九字に呼応するように、髭切りの太刀が青い焔を噴き上げる。

 神々しく輝くそれは闇夜に浮かぶ燐火(おにび)だ。

 シュタインは眩しさに目を細めたが、「いくのでしゅ!」と花蜜の命を聞くや地を蹴っていた。

 突き動かされるように一瞬で間合いを詰めたシュタインは、燃える太刀を人狼の胸に突き立てた。


「ケッ、これしきの――」


 余裕を見せかけた人狼に対し、シュタインは太刀を押し込んだ。

 人狼の背に太刀の刃が現れた瞬間、獣は爆散した。

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和語り企画
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