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第三話 花蜜

 泣きじゃくる花蜜が名前を名乗るまで回復したのは、黒装束の影五人を縄で縛りあげ、松に吊るした後だった。

 屋敷の一室に戻り、小さな油火を挟み、シュタインと花蜜は向かい合って座っていた。

 夜風が炎を揺らし、そのたびに花蜜が不安げな顔になった。


「そうか、花蜜というのか」


 こくりと頷く幼女こと花蜜。


「蘆屋道満の娘とは……」

「ごさいでしゅ。こどもではありましぇん」


 花蜜は顎を上げ、凛々しい顔をする。

 髪は暴れ顔は煤で汚れてはいるが、丸くて可愛らし面持ちだ。

 鶯色の半尻姿は少年のように見えるが、腰まである黒髪は乙女を主張してくる。


「……そうか、失礼した」


 シュタインはこめかみを指で押さえた。

 花蜜の言葉が突拍子もなく、理解はできても納得ができないでいたのだ。


 いまシュタインがいるここは遠い島国の日本であり、しかも平安京が華やかりし時代だという。


「すまぬが、いまは何年だろうか」

「ちょうとく、がんねんでしゅ」


 舌ったらずな答えに苦笑しつつ、シュタインはチョッキの内側に差し入れてあった本を取り出した。五芒星の光陣に呑まれた際に、なくしてはならぬと懐にしまい込んだのだ。

 薄暗い中、シュタインは素早くページをめくる。


 長徳元年。


 作中の年表にはこう書かれていた。つまり、シュタインが愛してやまない作品と同じ時にあるというのだ。


「聞き覚えがあると思ったら……ありえないことだ」

「よくにゃいことが、おこっちゃので、げんごうをかえたのでしゅ。これも、しゅじょうのちせの、たまものなのでしゅ」


 今の今まで泣いていたとは思えない尊大な言い方で、花蜜は胸を張る。

 シュタインは何とも言えぬ表情を花蜜に向けた。


「しんじゅうは、なんというの?」


 首をコテンと倒した花蜜が訊ねる。


「未だに信じられないのだが、本当に僕を呼んだのかい?」

「はなみつがよんだの。だって、おししょうしゃまは、きょうのみやこでいちばんの、おんみょうじだもの」

「ふむ。なおのこと信じられない」


 シュタインは首を振る。


「でー、なまえはー?」


 答えないシュタインにぷっくりと頬を膨らませる花蜜。愛くるしさに、シュタインの頬にしわが刻まれた。

 シュタインには子がないが、彼女の仕草には和まされてしまう。


「あぁすまないね、僕はシュタイン・ドッチというんだ」

「しゅ、たぃ、ん、どちら、さま?」

「そうだ、シュタインだ」

「しゅたぃん。しゅたぃん。いいにくいけど、いいなまえ」


 花蜜はニカッと笑った。

 シュタインは、心の中でため息をついた。彼に幼子をあやした経験はなく、どう接してよいのかわからないのだ。

 泣き止み機嫌が良くなったことに、心底安堵したのだ。

 だが、その安寧もすぐに崩れ去る。


「しゅたいん、おししょうしゃまを、たしゅけて」


 花蜜が形の良い眉を山にし、目にいっぱいの涙を浮かべたのだ。


「その、お師匠というのは、まさか――」

「おししょうしゃまは、おししょうしゃまが……ふぇぇぇぇ」


 花蜜が再び泣きだし、ふりだしに戻ってしまった。 

 シュタインは胸ポケットに忍ばせてあったハンカチを取り出し、ぽろぽろとこぼれる涙をふいた。


「……いやなこうのにおい、くしゃい」


 花蜜がハンカチを押しのけた。ハンカチからは葉巻の臭いが。


「おっと、レディにとんだ失礼を。申し訳ない」


 シュタインは花蜜の頭に手の乗せ、ふわっとひと撫でする。

 ぐすんと鼻をすすった花蜜が、思い出したように叫んだ。


「おししょうしゃまを、たすけにいくの! そのために、しゅたぃんをよんだの!」

「助けのために僕を?」

「しょう。おししょうしゃまは、しゅてんどうじが、しゅじょうが、とらわれちゃったの。たいへんで、たいへんなにょ!」


 花蜜が興奮して腕を上下にばたばた振る。

 まったく要領を得ない花蜜の言葉に、シュタインはまたこめかみを押さえた。


「酒呑童子か。ということは、君の師匠というのは安倍晴明か」

「とうじぇんでしゅ!」

「なんと……」


 シュタインは言葉を失った。

 彼の最も好きな登場人物である安倍晴明が花蜜の師匠だというのだ。

 しかも彼を助けるために神獣(シュタイン)を呼んだという。


 ここは小説の中なのか。

 それとも現実か。

 しかし、彼が読んでいた物語には、花蜜は登場しない。


 困惑するシュタインだが、その心の奥底で、この状況を楽しみたいという感情が萌芽しつつあった。


 何度も読んだ小説の舞台で。

 自分のヒーローである晴明を救出するという。


 長らく感じることがなかった、腹の底が熱くなる激情がシュタイン身体を駆け巡っている。


 シュタインは、故あって北欧の田舎に閉じこもっていた。

 雪と寒さに閉じ込められる北欧の冬は人の心を暗くする。

 シュタインも例にもれず、世捨て人の如く寒々しい海岸に居を構え、孤独と同居していた。


「僕はフェンシングが得意でね。もっとも他にも特技はあるのだけど」

「ふえん、すぃん、ぐぅ?」

「あぁ、フェンシングという剣技だ。先ほど僕が狼藉者を退治したのがそうさ」

「しゅたぃんは、しんじゅうで、つよい!」


 パンと手を叩きバンザイする花蜜。

 いちいちオーバーな反応だとシュタインは呆れるが、花蜜から情報を引き出さないと現状すらも把握できない。

 適当に反応しながらも話を進めていった。


「師匠である安倍晴明が、酒呑童子が京を狙っていると主上に申し上げたところ、逆に謀反の疑いで拘束されてしまったと」


 シュタインの言葉に、花蜜はうんうんと首を縦に振る。


「助けようと神獣を呼ぼうとしていたところに黒装束が現れて命を狙われたと」


 花蜜が頷き続けていることで、シュタインはおおよその展開がつかめていた。

 良くある権力争いなのだろうと。


 酒呑童子とは鬼であり、この時代、鬼とは人間を指していたのはシュタインも本で知っていた。

 鬼とは、いわゆるならず者集団であり、山賊の親戚だった。

 権力構造から外れた集団であるが故に脅威であり、協力的でなければ排除もやむなしだった。

 

「安倍の晴明のライバルといえば蘆屋道満といわれるが……」

「らい、ば、る?」

「あぁ、好敵手ということだ」

「おとうしゃまは、はなみつがうまれるまえに、おかくれになったでしゅ」

「そ、そうだったのか。嫌なことを思い出させてすまない」


 花蜜がしゅんとしてしまう。


 古代日本ということが念頭から外れてしまい、花蜜との会話が中断する。

 シュタインは、なかなか進まないことにいら立つも、相手が子供ということもあり、なんとか自制していた。


「僕も腕には自信があるんだ。でも丸腰では、さすがに厳しいかな」


 シュタインは、剣を扱える。現代においてはスポーツと成っているフェンシングだが、立派な剣術なのだ。

 元は中世の騎士が剣術として会得していたものだが、鎧や火器などで廃れ、貴族の嗜みになっていったという歴史がある。

 刺すという直線的な剣の動きは単調に見えるが、実際に相対すると防ぐのは容易ではなく、細い剣であることの合理性が垣間見える。


「なにか剣の代わりになるものがあれば」


 シュタインに呟きを耳にした花蜜が「あるよ!」と叫んだ。

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和語り企画
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