第二話 襲撃
目も眩む閃光に包まれたシュタインは、本能に従い屈みこみ、床に手をついていた。
材質は木、研磨が甘い。漂うのは、粗末な木の香り。
白くフラッシュする視界の先に、ぼんやりと浮かぶオレンジの炎を見た。
「ここは――」
「えぇぇぇ!!」
シュタインの呟きは幼子の声に遮られた。
「し、しっぱい、しちゃったの?」
シュタインは泣きそうな声の主を見た。
数歩ほど離れたところある小さな篝火の、その脇に幼児がいるのを見つけ、シュタインは唖然とした。
彼の知っている、小説の挿絵で見たことのある、半尻姿の幼児がいたのだ。
黒髪を背に流し、黒い瞳は炎を映しだしていた。
「まさか、狩衣か!」
彼は無意識で距離をつめ、その子の服を手に取った。手のひらで優しく撫でる。
「ぴゃぁぁ」
「感触は、思ったほど悪くない。ややざらつくのは材質のせいだろう。む?」
幼児の悲鳴を無視したシュタインはひとしきり触ったあと、服についている煤に気がついた。
ついと顔をあげれば、目に涙をためこんだ童の顔が。
頬にも煤がついているのか、黒いあざのようだ。
「し、しんじゅう、おししょうしゃまを、たしゅけて!」
その童は、そう叫んだ。
ウォォォン
シュタインの耳に遠吠えが入る。ピクリと動く片眉。
「あいちゅらがきちゃう!」
童の声と同時に荒々しく簾が破られた。夜空に浮かぶ満月を背に、五つの影が立ちはだかる。
「悪あがきもここまでだ」
影からは男の声。
シュタインは目を凝らす。
黒い装束に身を包み、同じく黒い布で鼻まで覆い隠していた。
「あいつら、とは、アレらのことか?」
シュタインは童に聞き返す。
突然の状況下で何ひとつわからないが、唯一、童が危ういことだけが事実として眼前にあった。
「はわわわわ」
童は黒装束を見た混乱の極みにあるようで、シュタインの背に隠れてしまった。
「珍妙な輩がいるな。まぁいい。その幼女を渡してもらおうか」
五つの影のどれかから、くぐもった声。
シュタインは即座に判断する。
背にいる童を横抱きにし、ステップバックと共に篝火を蹴りたおす。
床に落ち火花を散らす篝火。
シュタインはそれをすくうように腰の位置に蹴り上げ、左足を軸に大きく回した右足で黒装束へ飛ばす。同時にその軸足で床をも蹴った。
「ふん!」
飛ばされた篝火は影の手刀で叩き落とされた。だが、その影は真後ろにせまっていたシュタインの蹴りをまともに受けた。
「ぐあっ!」
「ぴゅぁぁぁ!」
男と童の悲鳴が重なる。
黒装束を蹴り飛ばしたシュタインは、外に出た。周囲に視線を巡らせ、状況を把握しようとする。
木造平屋。見たことのない様式。いや、小説で描かれている世界の様式だ。
闇夜に満月。砂利が敷かれているのは庭か。枝ぶりの良い松の木が数本。
正体不明の黒装束、五。狙いはこの童。幼女といったか。
シュタインが思考を巡らせている間に、黒装束らは抜刀した。
月光を反射する刀身は、シュタインが見覚えのあるものだった。
記憶にあるモノとは違いそっけない意匠ではあるが、見間違えようもない。
「日本刀……」
彼が読んでいた小説に出てくる日本刀だった。
「死にたくなくば幼女を渡せ」
黒装束らは嗤う。数的有利がそうさせているのだ。
「た、たしゅけて、おししょうしゃまぁぁぁ」
腕の中の幼女が泣きだした。
シュタインは幼女をそっと地面に立たせ、そして自分の背後へ誘う。
「怖かったら目を瞑っているといい」
シュタインは幼女の頭をそっと撫で、地面の石をひとつ拾った。
視線は黒装束にむけたまま、庭に映える松へ、手首のスナップだけで石を投げる。
バキリと炸裂音を夜闇に響かせ、松の枝が落ちた。
シュタインは幼女を背に匿いながらその枝に足を進めた。
訳が分からないであろう幼女が「ふえぇぇ」と泣いている。絶体絶命を理解したのだろう。
黒装束の口もとの布が歪む。嘲りの笑み。シュタインの行為を無駄と断じた証しだ。
シュタインは視野に黒装束を捉えつつ、松の枝を拾った。
まっすぐ伸びた枝は長さにして百センチ。握る手にしっくりくる太さ。
シュタインは根元部を手に持ち、手首の返しで一振りする。
シュっと鋭く空気を裂く音。
「間に合わせだが、なかなか、いい枝だ」
「お、おししょうしゃまぁぁ」
シュタインは、もはや泣くしかできないでいる幼女の頭に手を置く。
「ふむ。少し、ここで待っていられるかな?」
「ふぇぇぇ」
両手で目を塞いで泣く童に、シュタインは小さく息を吐いた。
「わざわざお待ちいただき感謝する」
「そんな枝で抵抗するつもりか?」
「ふはは、やる気でいるぞ」
「しれモノめ」
余裕の黒装束たちに対し、シュタインは右足を半歩前にだし半身になる。軽く腰を落とし重心を下げた。
彼我の距離、十歩程。
刀の間合いには、遠い。
だが、シュタインには、もっと遠い。
「En garde」
シュタインは肩の無駄な力を抜き、軽く肘を曲げた姿勢で、枝の先端を黒装束の真ん中に立つ男に定める。
「……ふん、怪しげな構えだが、それがなんだというのだ!」
黒装束の五人から、枝を向けられた影が一歩踏み出した。
「Allez!」
シュタインはその間隙を縫い、二歩で間合いを詰めた。右足で地面を踏み込み、ヒュッと鋭い枝を突く。
驚愕でカッと目を開いた黒装束の心臓を的確に捉え、呻くこともさせずに吹き飛ばした。
「なんだと!」
「こしゃくな!」
予期せぬ一撃に動揺を隠せない影ふたりが左右にわかれた。
シュタインはその隙も見逃さない。
右から襲いくる影の眉間に松の枝の一撃を食らわせ昏倒させたシュタインは、間髪入れず手首を内側に返し、左から襲いくる影の喉笛をついた。
「むぉぉぉ」
「ガハッ」
電撃の突で影ふたりは同時に沈んだ。
残された影ふたりが怯み後ずさった瞬間、シュタインは腰を落とし、体勢を前かがみに倒し、松の枝を持った右腕を伸ばしきる。
影のみぞおちに突き刺さる松の枝。
くの字に曲がり膝をつく黒装束。
「う、ぐふ」
顔面から地に崩れる影の脇をシュタインはすり抜け、逃げようと背を晒した影の腰に枝をつきたてた。
「あがぁぁ」
苦悶の表情で影は地に附した。黒装束の影五人がピクリともできずに転がっていた。
「Rassemblez Saluez」
シュタインは汚れを払うように下方へ枝を振り、ビシリと背筋を伸ばした。
「ふん、他愛の無い。おっと、彼女を忘れていた」
シュタインが振り返ると、「びぇぇぇ」と泣き叫びながら突進してきた幼女に抱きつかれた。
「し、しんじゅう、つよいぃぃ。はなみつ、すごいぃぃ。おじじょうじゃま、だじゅげでぇぇぇ!」
幼女はシュタインのズボンに縋りつき、イヤイヤをしながら泣き叫ぶ。
シュタインは泣き止みそうにない彼女の頭に手を乗せた。
「いったいどうなっているのだ……」
シュタインは満月を見上げ、嘆息した。