第十六話 シュタイン・ドッチ
赤王をその身に吸収してから数日たったが、シュタインは未だ京の都にいた。
火災は、御所及び周辺を焼いただけで済んだのは晴明のおかげだ。
大規模火災を食い止めるのは現代でも不可能であり、まして平安の時代では延焼を食い止めるための打ち壊しがせいぜいだったはずだ。
シュタインは、御所の中でも火災を逃れた北部の皇后宮常御殿に呼ばれていた。
狩衣ではなく、正装に値る束帯姿だ。無位の黄色が、銀髪西洋顔のシュタインには非常に似合っていないのを自覚しつつも、憧れの平安絵巻に自分が入り込んでいることに、感激を隠せないでいた。
貴族でもなく、ましてこの時代の人間ですらないシュタインが宮中にあがるなどありえないことなのだが、そこには晴明が裏で動いていた結果である。
そしてそれが、シュタインがわざわざ呼ばれた理由でもあった。
皇后宮常御殿は、火事があったことなど嘘ではないかと思わされるほど色彩豊であり、これぞ平安とシュタインは感慨深げに眺めていた。
「あぁ、これが、僕が観たかった京の都だ……言葉が見つからない。素晴らしいという言葉しか出てこない。僕がこの世に存在したことへ、感謝しなければいけないな」
布切れの音が近づいてくるのに気がつき、胡坐ではあるが背筋を伸ばした。ぬっと姿を見せたのは、黒い袍羽織った晴明と黄緑の細長に身を包んだ花蜜だった。
半尻ではなく女の子らしい姿になった花蜜を見て、シュタインは頬を緩ませた。
「まさしく平安美人だ。この目で直に見ることができようとは……」
「やましい目で見るではない」
「素直に感想を述べただけさ」
晴明にギロリと睨まれつつもシュタインは飄々と受け流した。
「ようやく、手筈が整ったのでな」
晴明がシュタインの対面に坐した。ニコニコ顔の花蜜がシュタインの左にちょこんと座る。
「花蜜はこっちだ」
「しゅたいんは、はなみつの、しんじゅうなのでしゅ。ゆえに、はなみつは、こちらがわなのでしゅ」
「むぅ」
苦虫をする潰しきった顔の晴明が、シュタインを睨みつけた。
晴明の過保護っぷりを理解したシュタインは、それもさらっと受け流す。
自分を消滅させる手段を持つとはいえ、そこまでは踏み込んでこない。
もし実行すれば、花蜜が泣き叫んで「だいきらい!」と叫ぶからだろうと、あたりはつけていた。
晴明にとって、それは死刑宣告と等しかろうと、シュタインは同情すらしている。
ただ、微笑ましく思うことはあれど、その立場は勘弁願いたい、とも。
「手筈というと、僕を帰す準備が整った、と理解していいのかな」
シュタインがそう返すと、花蜜の小さい手が袍の裾を掴んだ。
「……花蜜におぬしを償還したときの陣を描かせておったのじゃが、覚えておらんのか、描けぬとつっぱねるのでな」
「は?……ということ、は?」
「現時点で、お主を帰すことは能わぬ」
晴明が小さく首を振る。
「しゅたいんは、はなみつの、しんじゅうゆえに、はなみつと、ともにあるのでしゅ!」
花蜜は目を輝かせながら、シュタインの袖をグイグイと引っ張る。
シュタインは嬉しそうな花蜜を見て、わざとなのか本当になのかと判断をつきかねた。
追われて命を狙われていたあの時は必至だったろうし、本当に偶然に自分が呼ばれてしまったのは間違いないのだし。
ただ、これからどうすればよいのか、という不安が湧き上がっていた。
化け物とはいえ、あまりにも場違いすぎているのだ。
存在していくことはたやすいが、それは同時に、人による迫害と陰陽師による退魔を覚悟せねばならないということだ。
憧れの平安とはいえ、それは避けたいというのがシュタインの正直なところだった。
「……えっと、個人的に言わせていただくと――」
「これは、勅命であり、おぬしの意志ではないことを先の伝えておくが」
「ちょく、めい?」
「おぬしのような化け物に勅命などあってはならぬことだが、主上とその威武のためと考えれば、それも致し方ないと思慮した末の決断じゃ」
「えっと、話が見えないんだけど……」
シュタインを置いてけ堀に、眉を寄せた晴明が絞り出すように語り続ける。
今更だけど、どうなってしまうんだか。
にっこにこの花蜜と苦そうな顔の晴明を見比べるシュタインは、さすがに困惑を隠せないでいた。
「大江山の酒呑童子が保昌に討たれておって、困ったことになっておる」
「藤原保昌に成り代わっていた、アイツか。でも酒呑童子は朝廷とは敵対していたはずでは? 何か不都合が?」
「敵対はしていたが、それは表向きじゃ」
「表向き?」
「まつろわぬ彼らではあるが、あの技術は都には不可欠じゃった。故に、代々帝はひそかに通じておった。技術を共有し合う協力者としてじゃ」
「協力者……」
「そして、まつろわぬ朝敵としての存在も、京の秩序には不可欠じゃった」
「秩序……」
史実とは違う、晴明から紡がれる言葉に、シュタインはおうむ返しになっていた。
協力、秩序、か。
顎に手を当て、ふと浮かんだ考えに「あ」とこぼしてしまった。
「まさか、なんだけど」
「皆まで言ってはいかんぞ」
「僕をその座に」
「……おぬしは、シュタイン・ドッチと申すのだろう?」
「ち、ちょっと待って、その先は言っちゃダメだ!」
「酒呑童子と、よく似ておるではないか」
「だからって!」
思わず立ち上がろうとしたシュタインの袖がぐいと引っ張られた。
もしやと目を向ければ、いたずらが成功したとばかりに輝く花蜜の瞳が。
「ま、そのうち、花蜜が陣を思い出すやもしれん」
苦虫を潰していたはずの晴明が、ニヤリと笑った。
さてさて。
女だてらに陰陽師となった花蜜が従えた〝大江山の酒呑童子〟が、近隣のまつろわぬ者たちを平定したとか、見たこともない奇異な服装を好んだとか、山ブドウから香ばしい酒を創り出したとか、色々な逸話を生み出したと伝えられているが、その話は、また今度。