第十三話 因果
シュタインは、眼下の赤狼を見据えた。焔に囲まれ逃げ惑う人々を蹂躙する様は、シュタインにある記憶を想い起こさせる。
二百年程前。
シュタインは気ままな吸血鬼として、北欧のある都市に居を構えていた。
そんな彼の元に、バンシーが訪れる。
彼女は、百年前にアイルランドからプロイセン南部の山間に移住したマクドナルド一族についてきた、バンシーだという。
バンシーは、もともとはその家に生まれた女性であるといわれる。
勇敢な人物が死に瀕するとき、悲しみに叫び声をあげる。
マクドナルド家は代々傑出した武門で、島国気質の祖国に嫌気がさし、大陸に移った。やや変わり者のケルト人だ。
彼らは山を拓き農地とし、小作人を雇い、裕福ではないが、幸せな家庭を築いていた。
当時はフランス革命後の混乱もあり、所有者無き土地は切り自らのものとすることができた。
それゆえ、彼の一族は人跡未踏の山地に入っていったのだ。
だがある時、山に猟に入った当主が何者かに襲われ、重傷を負った。
もはや助かる見込みのない当主に、バンシーは哭いた。
襲ったのは、人狼の群れ。
その山の隣地が人狼のテリトリーだった。
マクドナルド一族は人狼の存在を感知しており、それ故邪魔しないよう隣地を選んだのだが、それが気に入ら無かったのか気まぐれか、人狼は狩りを始めたのだ。
次期当主は、まだ成人もしていない少年だった。
若き当主は、父親の死にもめげず、開拓に邁進した。
だがそれは、人狼をさらに刺激したのだ。
群れとなって襲う人狼に、人間はなす術などない。
少年もろとも一族の男は殺され、女は連れ去られた。
海を渡ったバンシーは取り残され、プロイセンで立ち尽くし、涙にくれた。
彼女は、遠く離れた土地に住む偏屈な吸血鬼のうわさを聞きつけ、シュタインの元にやってきたのだ。
「一族の恨みを」
彼女の願いはそれだけだった。
だが、シュタインとてただで引き受けることはできない。人狼とことを構える以上は。
「差し出せるのは――」
彼女が提示したのは、魂だった。
魂というと語弊があるが、ようは〝存在〟である。
吸血鬼などの怪物は、生きているとは言い難いモノだ。
生きているとは、生物としての継続的な活動だ。
人間であれば、子孫を残しDNAを引き継いでいくことになるだろうか。
シュタインは、そのようなモノではない。
彼は吸血鬼であり無機の王である。
そもそも生きてはいないのだ。
それはバンシーも同じである。
生きてはいないが存在はする。
その存在を、シュタインに捧げるというのだ。
自己の消滅をかけて、彼女は復讐を願った。
シュタインはその決断を重く受け止め、承諾した。
バンシーと対峙したシュタインの姿が滲むように闇になっていく。
涙するバンシーを包んでいくシュタインの闇。月が満ちるよりも早く、バンシーの姿は闇に溶けていく。
「あなたにモリガンの加護を」
祈るように目を閉じた嘆きの妖精は、シュタインの一部となり、消えた。
約束通り、シュタインはプロイセンに出向いた。人狼に直接の恨みはないが、それは人狼にとっても、彼の一族に対してそうだったはずだ。
因果はまわるのだ。
シュタインが向かった先で見たものは集落を襲う人狼の群れだった。
炎と血で染まられた大地に人間が伏してゆく。
老いも若きも。
男だけが。
女は戦利品として持ちかえるつもりなのだろう。
シュタインは背に負った細長い木箱をおろし、中にしまわれていたレイピアを取り出した。
ゴクスタという、古代ヴァイキング船の名を戴いた、ダーインスレイヴの刃こぼれから出来上がったという曰くつき魔剣だ。
深紅の刃と闇色の柄。
吸血鬼を体現しているようだった。
シュタインは、己が分身ともいえるを握り、集落へ跳んだ。
手当たり次第に人狼を屠る。
生き血はすべてゴクスタが呑みこんだ。
歓喜の悲鳴を上げるゴクスタ。
それを振るうシュタインもまた、愉悦に満ちていた。
そしてシュタインは、ひときわ巨大な赤い狼を見つけた。
燃えるような赤毛に包まれた身丈は家屋の屋根を超え、その咢には食いちぎられた人間の姿が。
あれがボスであると、直感で理解した。
シュタインはその赤い狼を追い詰めた。吸血鬼とゴクスタの力をもってすれば、それは不可能なことではない。
内にいるバンシーが泣き叫ぶ声も、後押しになった。
追い詰められたネズミは猫をかむ。
人狼の長であった赤毛の狼は、仲間の時間稼ぎの隙に、逃げた。
一体となったバンシーの怨嗟の悲鳴がシュタインに残されたのだった。
あの時、アイツを狩ってさえいれば。
シュタインは、内にいるバンシーの慟哭を聞いていた。
滅ぼしてくれと。
嘆きの妖精が哭く。
今のシュタインの手にゴクスタはない。あるのは髭切の太刀。
そして、花蜜。
魔剣ではなく、神剣。
怪物を滅するが、かつてシュタインが持ち得たモノとは真逆の力。
「まったく、因果というのものは」
シュタインは笑みを浮かべた。
自嘲と、歓喜を押し殺した笑みを。
「ふん、正体を現しおったな」
背後から突き刺さる晴明の言霊にシュタインは我に返った。左腕の花蜜が不安げな顔で見つめている。
シュタインは、小さく頭を振った。
忌まわしき因縁が目の前にあるが、まずは花蜜の神獣としての役割を全うしよう。
どの道、アイツを滅することになるのだから。
彼女も理解してくれるだろう。
シュタインは、腰に佩く髭切を抜いた。
焔に照らし出されたソレは、かつてのゴクスタのように紅かった。
「花蜜、すなまいが九字を封入してもらえないかな」
シュタインの言葉に、花蜜の目が開かれていく。
「うん、わかった!」
にぱっと白い歯を見せた花蜜が、髭切りの刀身に触れた。
「りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ぜん・ぎょう!」
幼くも凛とした声で九字が唱えられると、鮮やかな紅は厳かな蒼に変わった。
神々しき輝きは、まるで彼女の意志のようだと、シュタインは感じた。
「恨みは、全てがドス黒いわけではない、か」
「うら、み?」
「あぁ、ちょっと昔を思い出してね」
シュタインはごまかしに苦笑を見せた。
花蜜には関係のないことだ。迷惑をかけてはいけない。
あくまでシュタインの問題だ。
「急がないと被害が増える」
シュタインは巻き上げられた火の粉の群れが都へ流れるのを見た。延焼は時間の問題だ。
「いいいそがないとでしゅ!」
花蜜が、シュタインに抱きつくようにしがみつく。一緒に戦うつもりなのだろう。
シュタインとしても九字の効力の問題もあり、花蜜を手放すわけにはいかない。
「玄武莱莱、急急如律令!」
晴明の呪が花蜜に顕現する。花蜜の体が緑の甲羅に覆われ、さながら首だけ花蜜の亀になった。
「わ、わ、かめしゃんなのでしゅ」
「玄武の甲羅じゃ。あらゆる厄災を砕く盾じゃ」
そう言い残し、晴明は札を取り出した。
「わしは都を守らねばならぬ。花蜜よ、主上をお救い奉るのじゃ。昇れ青龍、急急如律令!」
晴明が投じた札は青く明滅、螺旋を描き舞い上る。その龍の如き青い軌跡が数多の粒子と砕け、都へ流れる火の粉に向かう。
火の粉を捉えた燐火はそこで雪に変わり、そして雨となって都に降り注いだ。
「天候すらも生み出すのか」
「おししょうしゃまだから、でしゅ」
感嘆のため息をこぼすシュタインに、花蜜の鼻気は荒く答えた。
「しゅたぃん、いくのでしゅ!」
花蜜は、ビシッっと紅い狼を指差した。得も言われぬ高揚が、シュタインを襲う。
【花蜜に僅かでもあれば、わかっておるだろうな】
頭に響く晴明の声に、「僕はなすだけ」とシュタインは答えた。