第一話 流転
企画開催内では終わらないことを、ことわっておくしだいです。
水平線から静かに昇る月に向かい、シュタインはワイングラスを高く掲げた。
潮騒が木霊するバルコニーには丸テーブル。シュタインは一冊の本と共に、そこにいた。
緩やかに後ろに流された銀髪。
彫刻を思わせる堀の深い顔。
細身の眼鏡。
ダークストライプの三つ揃えに深縹のネクタイ。
バーで呑んでいれば美女が放っておかないない、ナイスミドルだ。
「今宵も雅なる世界へ誘われるとするか」
シュタインはグラスを丸テーブルの上に置き、ロッキングチェアーに腰を下ろした。優雅に足を組み、しおりが挟まれたページに指を走らせる。
表紙には、蒼い狩衣の男が紙の扇で口もとを隠しているイラストが。
ON-MYO-ZIという筆跡が躍る。
「晴明が上皇に呼ばれた場面まで読んだんだったな」
シュタインは小さく笑みを浮かべる。
安倍晴明は、彼が最も好きな登場人物だ。
式を操り九字で鬼を滅する。
魔性の力は悪を挫く。
彼にとって、晴明はヒーローだった。
わざわざ首都の書店に足を延ばし、口を開けば薀蓄が止まらない書店員を相手に二時間を費やし手に入れた甲斐はあると、彼は痛感していた。
遥か遠い日本から訳されてやってきたこの小説を、シュタインは大事に大事に、何度も読んでいた。
「晴明が唱えた九字が一条の光となりて悪鬼を貫く」
シュタインが右手を挙げ、指二本を伸ばす。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
ひとことごとに縦に横に空を切る。だが、空間は闇のまま。
「……まぁ、出るわけもなし」
シュタインはふっと息を漏らす。
作中の登場人物に自分を重ねるのは、誰しも一度はあるはずだ。シュタインも例にもれず、自らを晴明に重ねていた。
「出ても困るのだが、ん?」
苦笑い途中で、バルコニーが輝きだした。床に光が走り、陣を描き始めた。
光のペンは弧と直線を連ね、一筆書きの星型を描き出す。
「五芒星だと!」
シュタインの驚愕の顔が、五芒星の陣によって照らされた。