崖の下
あのね、私がまだちっちゃかったころの話なんだけど。
うん、まだ保育園くらいのころかな。夏の間、保育園がお休みだったから、伯父さんに海に連れてってもらったことがあって。
そうだよ、あの毎年花火大会があって、すごく混んでるところ!でも私が行った時にはあんまり人がいなくてさ、貸し切りみたいな感じだったな。そこで泳いで、昼過ぎくらいかな、ちょっと行ったところに観光名所があるでしょ。
うん、そう、自殺の名所でもあるよね、あそこ。まあ、当時はちっちゃかったから、何も知らなかったんだけどさ、そこに行ったの。
あそこって断崖絶壁になっててさ、見晴らしがすごくいいんだよね。その時もすっごくいい天気で、水平線がきらきら光ってきれいだったなあ。崖の上から海のほうを見ると、白い波がざっぱーん、ざっぱーんって、とげとげした岩に当たって砕けるのが見えてさ、それもまたきれいなの!
落ちないように伯父さんに手をつないでもらっていたから、あんまり乗り出しては見えなかったんだけどね。
真下を見ると吸い込まれそうっていうのかな、くらくらっときちゃう感じがして。手をつないでなかったら落ちちゃってたかもね。
それでね、真下の崖のほうに何かがひっついているのが見えたの。
なんだろうって思って目を凝らしてみたんだけど、それが、人、っぽかったんだよね。
うん、人。なんていうのかな、崖にしがみついている感じじゃなくて、ひっかかってるみたいで。手とか、たこみたいにぐにゃっとしてたし、あれ、折れてたのかな。
でも、首はこっちを向いてた。目が合った感じがしたの。顔とかはよく見えなかったんだけど、こう、視線を感じたっていうか。それから目が離せなくなっちゃって。
表情とかわからないのに、それが笑ったのがわかった。ぐにゃぐにゃの手をちょっと振って、おーい、みたいな、友達みたいなかんじに。
つられてこっちも小さく手を振っちゃったの。そしたらそれはもっと激しく手を振り出した。それはかなり下のほうにいたから、手を振ると水がばちゃばちゃ跳ねて、けっこう水飛沫があがって、それを見た伯父さんが、「お魚でもいるのかな」って言ってくれて。
それを聞いてはっとして、それから目をそらすことができたの。伯父さんには見えてないみたいだった。
それから伯父さんの手をひいて急いでそこを離れたの。でも後ろからはまだばちゃばちゃ音がしてた。
あのまま見続けていたらどうなってたのかな。引っ張られちゃってたのかな。怖いよね。だってあれから私、高いところに行っても下を見れないもん。下を見たらまたそれがいるような気がしてさ。
ううん、気のせいじゃない、だって、聞こえるんだよ、ばちゃばちゃって音。
次に見たら、連れていかれちゃう。