第八十話 そしてわがやへ
「……ん」
「お。目が覚めたか」
微睡みから目が覚めたところで、隣から声がかかった。
私がそちらの方へと視線を向けると、魔王様が椅子に座りながら、果物、リンゴだろう、の皮をナイフを使って器用にむいているところだった。
「……魔お……ーる様?」
「うむ。気分はどうだ、アインスよ? ところで、これ、食べられるか?」
「あ、はい。いただきます」
私はベッドでモソモソと上半身を起こすと、魔王様がむいてくれたリンゴをいただく。
リンゴをじっと見てみると、きれいな形に切られている。魔王様はなかなか器用にリンゴをむくなあ、などと変なところで感心をしてしまう。
一口頬張ると、シャリシャリと口の中いっぱいに甘酸っぱい果汁が広がる。
「ところで、ここどこですか?」
リンゴを咀嚼し終えたところで、魔王様に聞いてみた。
ベッドの設えといい、部屋の飾り付けといい、結構豪奢である。インテリアの雰囲気が、ゲーゼルライヒとも、カレハ族のものとも異なり、ここがいったいどこなのか、少しだけ混乱する。
「ん? ああ、ここはお前の国の王都だな。えーと、トルテだったか。で、この部屋は俺がたまに利用している館のものでな。さすがに俺の部屋でお前を看病するわけにもいかんしな」
「看病、ですか」
そこで、意識が途切れる前のことが、急に思い出された。
「……あ! ところでみなさんはどうなりました!? ミオさんたちとかも……」
そこまで言ったところで、頭が、また少しだけくらりとする。
「まあ落ち着け、アインスよ。お前の体内の毒は魔法で何とかしたが、身体へのダメージは完全に消えんのでな。少しは養生していろ」
……頭がふらふらとしてあまり考えがまとまらない。
「まあ、あとのことは俺たちに任せておけ。……といっても、こちら側のことはだいたい俺もゼクスに任せているがな。あいつは何かと頼りになるしな」
魔王様が珍しく人をほめている。
「そういうことだから、お前はゆっくりと休んでいろ。……それと、お前の友人のカミーナも、先程まで付きっきりで看病をしていたんだが、今は別室で休ませている。今しばらくは俺がお前の面倒を見てやろう」
魔王様が偉そうに胸をふんぞり返らして威張っている。
なんだか、とってもおかしい。
「ふふふ。では、私が眠っている間、そばを離れないでくださいませ」
「うむ。任せろ」
そして私は、ベッドに勢いよく倒れこみ、意識を、ぽいっと投げ出した。
◆◇◆◇◆
「なぜだなぜだなぜだ……」
ゲーゼルライヒ北方『白熊』騎士団の団長は、執務室の上で、アルコール度数の高い蒸留酒を浴びるように飲んでいた。完全にやけ酒だ。
カレハ族と、辺境伯の軍とがお互いの戦力を削りきったところでの騎兵による強襲。
当然のごとく、作戦は簡単に終わるものと確信していたのにも関わらず、なぜか失敗をしてしまい、それどころか自騎士団の同士討ちという醜態までやらかす始末。
騎兵隊長のアナルグに、全ての責任を押し付けて処刑することで、なんとか詰め腹を切らせることに成功し、自分への責任追及を最小限にとどめることができはしたものの、現状、イ・ハ元辺境伯をどうにかするだけの手持ちの戦力がない。
彼は今や、ゲーゼルライヒ王国から離脱し、カレハ族へと復帰したことを高らかに宣言したことで、巫女と並び、カレハ族の英雄だ。
さらには、元辺境伯は電撃的にカレハ族のヨウ・ハ族長たちと和解したというし、着々とその戦力を増強してきており、ゲーゼルライヒ王国内での、北方騎士団の戦力拡充は、緊近における必須の課題であるともいえる。
こんなところで足踏みしている時間はないのである。
「……な、なんとかせねば。わ、わしの地位と栄達が」
そこまで団長が呟いたところで、部屋の片隅から、聞きなれない声が聞こえてきた。
「……安心してください。あなたにはここで安らかな眠りが待ってますから。これ以上、苦労をしなくても大丈夫ですよ」
「だ、だれじゃ!」
団長が視線を向けた部屋の隅には、最近雇ったばかりの青い髪の侍女が静かに立っていた。
……だが、その髪の毛の間からは、猫耳がピョコンと飛び出している。彼女は獣人だったのだ。
「き、貴様、獣人だったのか。……だ、だが我のような心広き貴人に見つかって命拾いをしたな。早々にこの場から消え失せるならば、今回は貴様を見逃してやらんでもない」
「……いえ。ですから、あなたは、ここでお眠りになるんですって」
はぁ、とため息をはきつつ、聞き分けの聞かない子供に嘆息する、先生や母親のような呆れた声音で、青い髪の少女、シルフィ中佐は呟いた。
シルフィはメイドドレスのスカートの中をごそごそと漁り、鈍く黒金色に光るゴツい短剣を取り出した。
「ぶ、無礼者! だれぞ出会え!」
団長は腰の長刀を抜き払い、部屋の外の衛兵に向けて大声をかける。
だが、誰からも反応がない。
「あ、この部屋には『沈黙』の魔術をかけてますから、部屋の外には声は漏れませんよ。安心してください。……あと、申し遅れました。私の名前はシルフィ。商工組合の特殊陸戦隊にて隊長を勤めさせていただいております」
シルフィは、優雅に挨拶をした。
「!! と、特殊陸戦隊だと! ギルドのごみ処理屋か!」
団長は、シルフィに向けて、威嚇のつもりか長刀をぶんぶんと振るった。
「ゴミ処理屋なんて、失敬ですね。まあ、あなたにはなんの恨みもないけれど……って、ん。そういえばこの前、あなたに頬を殴られましたね。では、今回はその仕返しということにしておきましょうよ」
「い、いやいや、ま、待ってくれ。……か、金か? 金ならば、いくらでもやる! い、いくら渡せば良い? 一万か? いやいや、十万、ちがうな、そうそう百万金貨。これならば貴様の飼い主よりも良い提案じゃろ?」
「……はぁ。バカですね、あなた。私がそんなもののために働いているわけないじゃないですか。でもまあ、これ以上のあなたとの問答は意味がありませんので」
そこで、シルフィの瞳がギラリと光る。
「ひっ! お、お助け……」
無情にも、団長の断末魔の声は誰にも届かなかった。
◆◇◆◇◆
「何から何まですみません」
カレハ族の族長会議で、正式な『巫女』に任命され、旧ゲーゼルライヒ王国のイ・ハ辺境伯の領土をまるっと相続したミオ・ハは、目の前でニコニコと笑っている、銀髪オッドアイの傭兵、ゼクスに向けて頭を垂れる。
「いえいえ。僕たちは傭兵、依頼があればどこへなりとも赴くのを生業としていますので」
ゼクスの微笑みの下の真の感情をミオは読み取ることは出来ない。そして、その真意を測るのも無駄だとわかっていた。
「貴殿らの働きで、我らの悲願が達成された。これからも、どうか我々に協力してくれないだろうか?」
カレハ族の族長会議に正式に加わり、ヨウ・ハ族長の片腕として副議長を拝命した、巫女ミオ・ハの婚約者リ・エト新族長もあわせて懇願する。
「協力したいのは山々なのですが、我々も次の仕事がございまして」
「では、あなた様がたが、本当はいったいどなたであったのか、それだけでも教えていたはだけないでしょうか?」
すがるようにミオ・ハが懇願する。
はあ、と嘆息をしつつゼクスは何かとっておきなことを考えたとばかりに微笑む。
「我々が何者であるかよりも、あなた方が、これからどうするか、の方が大事でしょう。……ここより西の王国、シュガークリーの姫、ソニヤ様をお頼りなさい。彼女であれば、慈悲深く、必要な支援物資をあなた方へと融通してくださるでしょう」
「ソニヤ姫、ですか」
ミオ・ハとリ・エトは、お互いに顔を見合せるのであった。
◆◇◆◇◆
「久しいな、ソニヤよ。息災であったか?」
ダライ・トカズマ帝国の元皇帝ナレンは、私の背中をポンポンと叩いた。
「ちょっとやめてよね、ナレン。対外的には、あんたと私とはずっと一緒にいたことになっているんだからね。そこはちゃんとあわせてよね」
「わかっておる、わかっておる」
からからとナレンは豪快に笑っている。
ねえ、ちゃんと、本当にわかってる?
やっとのこと、病の床から這い戻ってきたというのに、私のやるべき仕事はたんまりと、机の上に積み上げられている。
もっと、ゆっくりしていたいのに。
「ところで、お主に朗報があるぞい」
「なに?」
「例の、お主が骨をおったゲーゼルライヒの一件な、あちら側から正式に、出兵を取り止める連絡が来おったぞ」
「……。そう」
私は一つ目をつぶり、自分の仕事が一つ片付いたことに、密やかに嘆息をした。
「おや。もっと盛大に喜ぶかと思ったのじゃが」
「別に泣いて喜ぶようなことじゃないわ。そもそも、最初から、こんな無茶ぶりをゲーゼルライヒの連中がふってこなければ、私がこんなに苦労することもなかったのに」
私としては、今回のことは、やむにやまれぬ理由で仕事をすることになったのだ。
面倒事が片付いて、清々した、という以上の感想は出てこない。
「じゃが、お主の活躍で、なんじゃ、ほれ。例のカレハ族の巫女とその婿とがくっついたんじゃろ。それはよかったことではないのか?」
「……あの二人は私がいなくても、ちゃんと、くっついていたんじゃないかしら。私にできたことは、彼女たちの背中をそっと押したことだけよ」
「……相当、強く押したような気もしますが」
ボソッと背後から、侍女のカミーナが呟いた。
「え、えーと、ゴホン。とりあえず、これにて一件落着かしら?」
「まあ、概ねは。あと、ソニヤ様。カレハ族の巫女様から傭兵隊長のアインス様宛に、感謝の手紙を預かっておりますが、いかがいたしますか?」
「……あー、とりあえず読ませてくれる?」
「はい。こちらになります」
私はカミーナから手紙を受けとると、さっと目を通す。
まあ、私たちに対する感謝の言葉が並んでいる。それに、これからの協力の要請も。
「……。カミーナ。この手紙は焼いておいてくれる?」
「よろしいのですか?」
「まあ、ゲーゼルライヒが非道なことを始めたら、それを口実に色々と介入はできるけれど、それまでは、彼女たちの仕事だしね。それに、ほら、アインスは傭兵稼業を廃業しちゃったし」
私はそういって、手紙をカミーナに手渡し、机の上にたまった書類を一つ取り出し、猛然と書類仕事を始めるのであった。
なんとか、傭兵編終了です。
やはり、プロットから考えるのはしんど過ぎました。
次回からは、前作の手直しが中心になるので、少しは楽できるかも。。。
来週更新の予定です。




