第七十九話 たねもしかけもございません
「なんだ、あのみすぼらしい兵士どもは」
ゲーゼルライヒ『白熊』騎士団の精鋭『銀魔狼』騎兵隊、一二〇〇騎を預かる、アナルグ騎兵隊長は、バカにしたような声音で、イ・ハ元辺境伯の居城を背にして隊列も組めずにただ並んでいる、数百の兵士を見て呟いた。
「あんな、ぼろぼろの装備で我々に歯向かうとは……。隊長。連中に、本当の戦いってやつを教えてやりましょう」
アナルグ騎兵隊長に永年付き従っている副官が、馬上にて、隊長とくつわを並べて走りながら、呆れたような口調で話しかけてきた。
「獅子は相手が兎であったとしても、全力を尽くして狩りをするものだ。……まあ、俺たちは獅子ではなく白熊だがな、わははは!」
アナルグは内心では副官の言葉に同意をしながらも、隊長としての責務を気にしてか、口から出た言葉は割と慎重なものだった。
なんとなく、長年の歴戦の直感というか、何か、相手には裏があるのではないか、という疑いの念が沸き起こってくるのだ。
アナルグは、先程からころころと変わる空の移り気を見て、嘆息をする。
「ふむ。しかし、こうも天候がくるくると変わるというのは、あまりよい気分はせんな」
「放った斥候からの報告も、あまり的を得たものではありませんでしたしね」
「……あの気の触れた報告か」
最初の斥候からの報告は、死人の軍隊やら、ゴーレムやら魔物やらと、魑魅魍魎が辺境伯の領土に溢れている、とかいう眉唾物の話だったのだが、再度、斥候を放ったところ、まったくそのようなものは発見できず、最初の報告は握りつぶされている。
ただ、イ・ハ辺境伯に代わって、その娘のミオ・ハが、カレハ族すべての代表『巫女』を名乗り、カレハ族の一部部隊をも統制下に置いているとの未確認な情報は入っていた。
「神憑りの小娘相手に、我らが、栄光ある『銀魔狼』騎兵隊が出張らねばならぬとはなあ……」
「隊長。さっさと、こんなしょうもない任務を片付けて、勝利の祝杯でもあげましょう」
「ふっ。団長はすでに杯を傾けているだろうし、我々もさっさと祝杯をあげるとするか」
副官の言葉にアナルグは相づちをうつ。
ただ、先程までの晴れ間が嘘であるかのように、今はどんよりとした曇り空が辺り一面に広がり、目の前の敵兵たちが何か、陰鬱な姿を晒していることが、気になると言えば気になる。
アナルグは一つ頭をふると、その目に指揮官としての意思の強さを宿し、まっすぐに辺境伯の軍を見据えた。
一切の懸念を捨て去り、歴戦の勇士でもあるアナルグ騎兵隊長は、配下の部隊に号令をかける。
「ゲーゼルライヒ王国の北方において最も恐れられている、『白熊』騎士団の鋭い爪たる我ら『銀魔狼』騎兵隊の槍の鋭さを奴等に教えてやれ!」
「「おうっ!」」
「槍、構ええ! ……突撃いい!」
「「おおーー!!」」
隊長の号令一下。
『銀狼』騎兵隊は、一匹の巨大な鉄の魔狼のごとく、粗末な辺境伯の兵士たち肉壁を食い破らんと、その鋭い鉤爪たる騎兵槍を構え突撃するのであった。
◆◇◆◇◆
「な、なかなかに迫力がありますね」
「ここは、平然とした顔をしていてくださいね、ミオさん。あなたが怖がると、皆さんにも伝播しますので」
「わかってます……」
私のアドバイスに対して、ミオさんは、やや顔を強ばらせながらも静かに頷く。
巫女としての演技も、だんだんと板についてきているみたいだ。
そうそう。あなたが役を作るのではなくて、役があなたを作るのですよ。
私は密かに心の中でミオさんにエールを送る。
「では、手はずどおりに」
「……はい」
私の言葉にミオさんが頷くと、彼女は一人だけで前に進み出て騎士団の方へと向かって声を張り上げる。
「我が名はミオ・ハ。カレハ族の正当なる巫女である! 我らが神聖なる土地に無断で足を踏み入れる野蛮な者どもよ。天の怒りを思い知るがよい」
そこで、一旦、ミオさんは言葉を切ると、なにやら、踊りのようなものを始めた。
ちなみに、これはアドリブである。
元辺境伯の兵士たちはよくわからずに喝采をあげている。
まあ、ミオさんの踊りに、何か感じるものでもあったのかもしれない。
で、私たち裏方としては、ここで動かないといけない。
私はみんなに一つ頷くと合図を送った。
……間髪いれずに、辺り一面の平野に、いきなり霧が立ち込めた。
◆◇◆◇◆
「な、んだ、これは!?」
アナルグ騎兵隊長は兜の下で、驚きの声を上げる。
気がついたら、いきなりさんめーとる先もみとおせない、濃い霧のただ中にいたのだから、驚くのも無理はない。
「アナルグ隊長! どうしますか!」
隣を並走している副官が怒鳴り声をあげてくる。
「構わん! 突っ込め!」
ここまできて攻撃を中止するなど愚の骨頂。少しばかりの天候変化など気にせずに突撃を続ける。
……が、違和感が直ぐに現れた。
先程、視認していた距離であれば、すでに辺境伯の軍と接敵しなければならないのに、待てど暮らせど、辺境伯の兵士たちに出会わないのである。
そろそろおかしいな、と思ったところで、目の前に建物が急に見えてきた。
しかも、見張りと思わしき、一団もいる。
「よし! 捕捉した! 突っ込めええ!」
「「おうっ!!」」
アナルグ隊長の号令一下、一匹の意思ある魔狼となった『銀魔狼』騎兵隊の一撃は強烈だった。
不意をつかれた敵の防衛部隊は、ほぼ一方的になぶられ続ける。
「放てっ!」
『銀魔狼』騎兵隊の弓騎兵が、火矢を次々と放ち、あちらこちらの建物から火が燃え上がる。
「敵襲、敵襲!」
「応戦しろ!」
駐屯する兵士たちも次々に矢を騎兵隊へと射かけ、槍でかついて応戦する。
……しばらく戦った後に、ふと、お互いの相手が誰であったか気がついた。
「バカもん! 貴様ら、同士討ちをやめぬか!」
坊主頭にカイゼル髭を蓄えた、ぷるぷるとしまりのない贅肉姿の騎士団長が、大声で喚きつつ兵士や騎士たちに怒鳴り散らしている。
「だ、団長……」
アナルグは、いましがた自分達が襲っていた相手が、『白熊』騎士団の兵士であったことに気付き、震え上がった。
◆◇◆◇◆
「どうやら、うまくいったみたいですね」
「……」
私が声をかけても、隣でぼーっと立っているミオさんからは返事がない。
「あの、えっと、アインス、さん? あのー、いったいどうなったのでしょうか?」
ミオさんのパートナーのリ・エトさんが、後ろの方から恐る恐る聞いてきた。
なにやら、最近は、こちらに対する口調も、前よりもずいぶん丁寧な気がする。というか、少しだけ、私たちを恐れていませんか?
霧が晴れてみると、目の前にせまりつつあった騎兵隊がきれいさっぱりといなくなったのである。
そこに、何か超常的なものが介在したと兵士たちが思うのは自然なことであろう。
「巫女様のお力です」
私はニンマリと笑みを浮かべて、今起こった目の前の奇跡についての種明かしを彼らにしてやった。
私は一つ、ミオさんに目配せをする。
ミオさんは一つ頷くと、朗々たる声音で勝利を宣言した。
「神の奇跡により、彼らは立ち去ったのです! 神の偉大さを讃えましょう」
「「おー!!」」
……ふー、やれやれ。
私は一仕事を終えたその喜びを噛み締めながら、額の汗をぬぐう。
……っ!
その時、首筋に何かチクリとしたなあ、と思ったところで、ぐらりと地面が傾き、立っていられなくなり、そのまま意識を失った。
ただ、倒れ際、誰かに優しく抱き止められ、「また、お前、何かしたな!」とか言う声が聞こえたような、聞こえなかったような……。
なんとか更新です。
次回で、傭兵編はエピローグの予定です。たぶん。
次回更新も、なんとか来週中に仕上げたいと思っております。




