第五十八話 かいてきなそらのたび?
……ふふ。夜風が頬に気持ち良いな。
私は目を細め、どこか悟りきった聖者の表情で、眼下を見下ろす。
太陽はとっくの昔に地平線の向こうに沈み、今は二つの月が、漆黒の空を明るく照らしている。
地面までの高さはよくわからないが、かなりの高さを高速で移動しているように感じる。
……気がついたら私は空を飛んでいました。
そう。空を飛んでいたのです。
大事なことなので二回言いました。
うーん、しかし、これはやけにリアルな夢だなあ。
早いところ夢から覚めないかなあ、などと思っていたが、いつまでたっても夢からは覚めてくれない。明らかにおかしい。
しかしこれが夢ではないとすると、私がおかれているこの状況は、一体なんなんだろうかという疑問が当然のこととして浮かんでくる。
もう一度眼下を見下ろすと、森の木々が見えてきた。
やっぱり、かなり高いところを飛んでいるみたいだ。
それに、王都トルテからもだいぶ離れているように思う。
月明かりがそれなりに明るいので、少しは夜目がきく。
そこで、自分の状況を確認してみると、身体中をロープでぐるぐる巻きにされて、宙吊りにされていた。
夜着もぼろぼろ、素足や下着が丸見えだ。
上を見上げると何か大きな羽の生えた生物(私の知識に照らすとドラゴンに近いと思う)が飛んでいる。
どうやら、私はこいつにくくりつけられ、簀巻きにされた上で、荷物みたいに運ばれているみたいだ。
あまりにも現実離れしている異常な状況に突然放り込まれ、なかなか頭の理解が追い付いてこない。
あれれ?
たしか、私は、宮殿の自分の部屋にて、先程まで寝入っていたはずなんですけど。
しかし、素足がすーすーするな。
それに痛いし、寒いし……。
「ねえ、ちょっと! 早くおろしてよ! おろしてってば!」
一応、力いっぱい上方のドラゴンに向けて叫んでみるが、ドラゴンは私のことなど一顧だにすることはなく、黙殺している。
私の言葉を理解できないのかもしれない。
ほかに、私の言葉に反応するものは周囲にはないみたいだ。
「ちょっとー! 離しなさいよー! ねえ!」
無意味な大騒ぎを少々続けたものの、体力を無駄に消耗するだけだった。
大声を出し続けて、精も根も尽き果ててしまったので、その疲れからボーッとしてしまい、少しだけ意識がとんでしまった。
「……ん、んん」
気がつくと、いつの間にか、どこぞの見知らぬ岩山まで連れてこられていた。
あれ?
山の頂きに木造の建物が見える。
そこは、山城というか、砦というか。
木造の建物で、周囲に丸太を組んで作った防護柵もあるそれなりの規模の建築物が見えてきた。
防護柵に一部設けられている、その入口の前に、私はどさりと、ゴミ袋を投げ棄てられるかのように下ろされた。
「いったーい。もうちょっと、レディには優しく接して欲しいんですけどね」
つい、口から愚痴が漏れてしまう。
すると、私の到着に合わせるかのように、防護柵の入口の門が開き、中から続々と豚顔の魔物、オークたちが出てきた。
顔以外の体つきは、ほとんど人間と変わるところがないが、誰もが金属鎧で武装している。
腰には剣を履き、ほとんどのオークが槍や弓を持っている。
結局、八匹ほどでてきた。
さすがに、このオークたち相手に大立ち回りをするのは難しそうだ。
「……立て」
オークの一匹が、私を縛るロープを持ち、後ろから小突く。
ロープは、身体中に巻き付けられ、手首は後ろ手に縛られている。
足は縛られていないので、走ることはできそうだが、ロープをがっちりと掴まれているので逃げるのは無理そうだ。
「わ、わかったから、乱暴にしないでよ」
私は抵抗を諦めて、オークたちに連れられて、素直に砦の中へと入っていく。
中に入ると、途中、さらに四体くらいのオークがいた。
建物全体では、いったい何体のオークがいるのかはまったくわからない。
左右をオークに囲まれて、狭い木造の廊下を歩かされる。
「……あなたたちはいったい? あ! 今、あなた私の胸、触ったでしょ!」
オークたちが、いったい全体、この私に何のようなのだ。
しかも、オークの一匹が、どさくさに紛れて私の胸さわったし!
私の抗議の声は全て黙殺された。
ムカムカする気持ちを抑えながら、砦の廊下をしばらく歩いていると、地下の一室へと連れてこられた。
窓がなく、入り口は鉄格子で仕切られている。
牢屋だろう。
「入れ」
オークがぼそっと呟いた。
「私を無理やり拉致したあげくに、牢屋に入れって、あんたたち。礼儀知らずにも」
「いいから、入れ」
私が抗議している最中なのにも関わらず、背中を蹴り飛ばされ、牢屋の床へと、倒れ臥し、しこたま身体中を打ち付け、床とキスをすることになった。
うう……。
いったい、私がどんな罪を犯したっていうの。
私はこうして、窓がない牢屋へと放り込まれてしまった。
しかし、どこの牢屋も床が硬いところだけは共通しているな。などと頭のなかで思う。
「ちょっと、この戒めを解きなさいよ!」
さすがに、牢の中でも、縛られたままだというのは納得がいかず、抗議をしてみるが、オークたちは、私の抗議の声に一切反応を示すことなく、歩哨を二名だけ残し、向こうへと行ってしまった。
「う、嘘でしょ! ねえ、ちょっと! この戒めを解きなさいよ! 人でなしども!」
ギャーギャーと文句を並べ立ててみたが、結局、事態は好転せず、いつの間にか寝入ってしまった。
こういう状況でも寝ることができるのは私の特技かもしれない。
なんとか、この最悪な状況を打開する手だてを考えないと……。
◆◇◆◇◆
「ソニヤ様! ソニヤ様!」
カミーナたち、王宮の使用人、兵士たちが、宮殿中をくまなく探し回っている。
カミーナは今日は非番だったのだが、なんだか、嫌な予感がして、朝早くに王宮へと出向き、ソニヤの自室を訪れた。
だが、もう、もぬけの殻だった。
最初はいつもの外出かとも思ったが、ソニヤが自室に隠している、各種の変装道具や、身の回りの品がちゃんと残っていること、そして、兵士の一部が、昨夜、不審な物音を聞いていたことなどから、これは、大事件なのではないかと疑い、今は王宮中を探し回っているのである。
だが、一時間ほど探し回っても、なんらの情報も入ってこない。
「……ソニヤ様」
カミーナが、次の手として、町中を探すべきか、と思案しているところに、カミーナに来客があった。
「あ、ゼクサイス様」
「カミーナさん。おはよう。少しばかり、時間をいただいても?」
ゼクサイスが、いつもの微笑みを消して、カミーナの前に立っている。少しばかり殺気だっている気もする。なにかがあったのだろう。
「……実は、今、王宮が少しだけ混乱しておりまして」
「ソニヤ姫ですね」
「……はい」
「そのことで、少しお話が」
「ここでは、少々まずい話……みたいですね。では、私の部屋に」
「はい」
二人は、カミーナの部屋へと向かった。
「ゼクサイス様! ソニヤ姫は!」
部屋に入るや否や、ゼクスに詰問をするカミーナ。
「慌てないでください。僕たちも、なんとか、容疑者の一人を捕まえて、少し尋問ができた程度です。そして、今からお話をするのは、そこで手にいれた情報になります」
「捕まえた?」
「はい。魔王軍の一部部隊がここ王都トルテで活動していました。そして、その目標は」
「ま、まさか……」
「ソニヤ姫の拉致です。……こんなときなのに魔お、ールさんも、見つかりませんし。少しまずい状況ですね」
いつもに比べて、切羽詰まった様子でゼクスが呟いた。
「そ、ソニヤ様……」
カミーナは、足元がぐらりとする感覚を味わった。
◆◇◆◇◆
……。
…………。
ガチャり。
牢屋の扉が開く音で目が覚めた。
どうやら、いつの間にか眠入ってしまっていたらしい。
「出ろ」
入ってきた屈強なオークが、私に命じた。
もう私には抵抗ができるだけの体力も気力もないので、渋々とその指示に従う。
服はぼろぼろ。下着も丸見えだ。
両手首も縛られて、自力では外せそうもない。
あと、ずっと空を飛んでいたからか、髪の毛もボサボサだ。
……あー。なんとなく、嫌な予感がする。
私は、階段を登り、大きな明るい部屋へと連れてこられた。
そこには、一際立派な軍服を着たオークと、その周囲で直立不動にしている、体つきが立派な複数のオークたちが待っていた。
「お嬢さん、空の旅はいかがだったかな」
がははは。
周りのオークたちがその軍服オークの言葉にあわせて笑い声をあげた。
私はぼんやりと、磨耗しきった脳みそで、耳から入ってくる、その外の世界の笑い声を聞いていた。
無事に更新できました。
次回更新も、来週を目標に。
しかし、今回は、作業時間が短かったなー。。。




