第四十二.五話 閑話 おりーぶのさくぼう
「……こちらはマオール様のためだけにご用意させていただいた最高級品になりますの。是非とも御賞味下さいませ」
私は、オリーブ。公爵家に列なる高貴なる家柄の出だ。
だが、王子に取り入ることに失敗した私にはもう、この人に取り入るよりほかに選択肢はないという状況にまで追い込まれている。
隣に座っているこの男、マオールという名前らしい、の気を少しでも引こうと接待の限りを尽くす。
夜になれば女の武器を使うことにだって躊躇はしないつもりだ。
なにしろこの男、魔王軍への太いパイプを持つらしく、この男に取り入っておけば、何かと便宜を図ってもらえるはずだ。
我が公爵家の威光を高めることは何よりも大事。
……でも、威光を高めなければならない大事な理由があったはずなのに。
今はもう、その理由はすっかり忘れてしまった。
机の反対側に座ってお茶を飲んでいるマオールの下女には目もくれてやらない。
そいつは見た目だけはよく、公爵令嬢として様々な人間に接してきた私の目から見ても、トップクラスの美少女であるとは思う。
マオールの情婦なのかもしれない。
「うむ。これはなかなかの味だな。そうは思わんかアインスよ」
「そうですねー」
マオール様は私のことなど少しも気にもとめず、下女ーアインスと言うらしいーへと親しげに会話をし始める。
しかもそれに対して、下女はあまり興味がないような生返事しかしない。
卑しい身分でありながら、この不遜な態度。軽い怒りを覚える。
「お口にあえばとても光栄ですわ。ところで、マオール様は……」
めげずに会話をしようと試みる。
「俺はこのキュウリのサンドイッチをもらうぞ。お前はタマゴのサンドイッチな」
「はぁ」
またもや下女が気のない返事をしている。
マオールはこちらには気にも止めてくれないのが、これまた悔しい。
それに、たまに下女がこちらを気遣わしげに見てくるのもイラッとさせられる。
まるでこれでは私が道化みたいではないか。
「……アインスよ。お前は先ほどから生返事ばかりだぞ。疲れているのか?」
「そういうわけではないのですが」
ぶちっ……。
下女に対する親しげでかつ、心配しているのが本当にわかる言葉遣いに対し、ついに自分の堪忍袋の緒が切れたのがわかった。
「……ところで」
私は精一杯の自制を働かせながら、アインスとかいう下女の方に視線をまっすぐに向けた。
「マオール様。そちらの女性はどのような方でしょうか」
「うん。アインスか? そういえば、お前たちはお互いの挨拶がまだだったな。……とりあえず、こいつはアインス。まあ、俺にとって便利な奴というか、そんな感じだな。そして、こいつはオリーブ。ここライナー王国の公爵家の娘だ。たしか、現国王の姪だったよな」
「左様でございます、マオール様」
私はマオールの紹介にあわせて、礼儀正しく礼をする。
「とりあえず、予定の会合まではしばらく時間があるからオリーブの家のところで世話になることにした。アインスも俺と行動を共にしてもらうことになるからそのつもりで」
「え? そうなのですか?」
ビックリしたような声を出す下女。
しかし私にはわかる。
こいつは、完全に計算をしてこのような態度をとっているのだ。
マオール様の気を、少しでも引き付けようとする話術。
こいつはなかなかに手強い相手だと悟る。
「そちらの方もご一緒に、でございますか?」
私は冷ややかな目線を下女に送った。
こいつはもはや敵であることがはっきりしたので、敵意を隠す必要もないだろう。
「ああ。こいつも客として扱ってくれよ」
「……承知いたしました」
いかに異論があったとて、マオールの眼前で直接、異を唱えるわけにはいかない。
私はマオールの不況を買うわけにはいかないのだ。ここは、ぐっ、と我慢をする。
「あ、あの。ど、どうぞよろしくお願いいたします……」
下女が弱々しい声で返事をしてきた。
!!
こいつは私が異論を唱えることができない状況であることをわかった上でこのような演技をしているのだ。
わかる。こいつは心の中で舌ベラをだし、私を嘲笑っている。
私はできるだけの負の感情を込め、下女に怒りの眼差しを向けた。
◆◇◆◇◆
「マオール様。こちらのプディングは、ここいらで最も有名なものなのですよ」
「……」
下女を屋敷にとどめおき、マオールだけを外に連れ出すことには成功したものの、マオールはこちらの話にはあまり気乗りしないのか、黙ってお茶ばかり飲んでいる。
せっかく、雰囲気を出そうとカフェに連れてきたというのに、これでは意味がないので焦る。
一生懸命に笑顔を浮かべて接待をするが、マオールは相変わらずの仏頂面だ。
「マオール様。この後は、ご依頼のあった件につきまして、伯爵と綿密な打ち合わせをさせていただきたいので、伯の屋敷へと御同行願います」
「……うむ。わかっている」
相変わらずの仏頂面だ。
最小限の事務的な受け答えはしてくれるが、それ以上の交流は一切許さない雰囲気を醸し出している。
……鉄壁にも程がある!
段々と気持ちが焦ってくるのがわかる。
そんなとき、周囲で警備についている部下が耳打ちをしてきた。
「お嬢様。弟君が、お客人とともにこの店に来ておられるようです」
「シュタインが?」
私の可愛いシュタインが、なぜここに?
しかも、客人なんて。
「はい。あちらでございます」
部下が指し示す方に視線を向ける。
カフェの端の方にたしかに、弟のシュタインが女と一緒に談笑しているのが見てとれた。
しかも、その女というのが。
……あの、下女か。
苦々しい。弟に馴れ馴れしくされるのは非常に不愉快だし、家からあの女を出すなと召し使いたちに言明しておいたはずなのに。
「お。アインスじゃないか」
下女に気づいたマオールがシュタインたちの方へと歩いていってしまった。
止める声をかけるタイミングすら失ってしまった。
「なんだ、お前もここに来ていたのか。声を掛けないなんて、水くさいぞ! それと、このガキは誰だ。ん?」
「!! ま、マオール様であらされますか。私はオリーブの弟のシュタインと申します」
シュタインが直立不動で立ち上がり挨拶をしている。さすが、我が弟。実に立派な立ち振舞いだ。
「ん。まあ、よろしくな。坊主」
気楽に手を上げ、挨拶をするマオール。
その後は、シュタインや下女たちと楽しそうに談笑を始めた。
私にはあのような笑顔を見せてくださらないのに。
心の中に怒りと羞恥の感情が芽生えるのがわかる。
「……ところで、マオール様はこちらで何をされていたのですか?」
「ああ。オリーブの知り合いに頼んでな、会合の席を確保してもらった。これで、俺も潜り込めるな」
いきなり、マオールが会合の話をし始めた。
あの会合にマオールを出席させることは我が国でも極秘事項なので大いに焦る。
「ま、マオール様! この後は、先ほどお話した方と!」
さすがにこれ以上は不味いと判断し。不興を買うことを覚悟で会話に乱入した。
「あー。そうだったな。ま、仕方がないか。……というわけで、アインスよ。俺はちょっと野暮用があるからこれから出かけねばならん。お前は抜け駆けなどせずに、ちゃんとオリーブの家で待っていろよ」
「……あー、はい」
「じゃあ、またあとでな」
そういって、マオールは下女に手をヒラヒラとさせて、私には一言も何か言うでもなく、外に出て行ってしまった。
私はたまらず、下女の方へと向かってしまった。
「あー……」
惚けた風に下女が何か言おうとしているが、この態度すら全て計算し尽くされた態度であることは明白だ。
「シュタイン。これはどういうことか、と聞きたいところですが、私もこの後、大事な用事があります。あなたもすぐに帰宅なさい」
私は、シュタインとこの下女が共にいることに苛立ちを覚えたので、速やかな退去を求めることにした。
なにしろ、シュタインは公爵家の次期当主なのだから。このような得体の知れない下女とともにいるなど、我が家の体面が傷つく。
「……僕がどこでなにをしようと、姉さんには関係はないです」
……衝撃を受けた。
昔であれば、私の言うことにはなんだって素直に従っていたシュタインが、私を拒絶した。
「……ふん。言うようになったわね。ま、いいわ。でも、私の手を煩わせることだけはやめてちょうだいね」
私は踵を返し、歩きだした。
でもなぜだろう。瞳からはポロポロと涙が出てくる。こんな関係になりたいなんてこれっぽっちも思っていなかったのに。だって、私が頑張っているのだって……。
この泣き顔をシュタインにだけは絶対に見せたくないと思った。弱い自分は大嫌いだ。
◆◇◆◇◆
「皆様、静粛に! 静粛にお願いいたします!」
司会者の声が聞こえてくるが、あまり気にせずに、隣のマオールに話続ける。
「マオール様。無事に会合に参加できましたでしょ」
「む。そうだな。その点については、そなたの尽力は評価しよう」
鷹揚に頷くマオール。
「まあ、私だけではないのですが、それでも少し位は感謝してくださいませね」
「わかっている」
私は隣のマオールに微笑みかける。
ああ。やっと、この方に誉められた。
礼拝堂内は、大きな長机が複数個繋げられ、真ん中がぽっかりと空いた大きな四角形が会場に設置されている。
私は父のつてを使って、ライナー王国の出席者の中に、公爵家の関係者としてマオールを紛れ込ませることに成功した。
しかし、このマオール様が、いったいなぜこの会合に出席したかったのかはよくわからないのだが。
ただ、事前に、ホログラムの魔王が登場し、伝言を今回の会合で伝えることになっていることは聞いてはいるが。
しばらくすると、マオールが、いきなり眉ねを寄せたり頷いたりしている。
私はその視線を追ってみた。
会場の端の方に、ひどく印象が曖昧な少女が座っている。
知らない顔のはずなのに、なぜか、どこかであったことがあったようにも思える。
不思議な気持ちだ。
会合がしばらく進んだ後、自己紹介のときに先ほどの少女が発言をした。
「あー、私はシュガークリー王国の第一王女ソニヤです。此度の会合はオクトーバー司教をはじめ、多くの教会関係者の方々の尽力があってこそ開催されたもの。まずは感謝させていただきます……」
あの少女が隣国のシュガークリーの姫か。
周りを見回してみると発言者が女だからか、侮蔑や嘲り、さらには好色な視線を向けられているようだ。
それでもあの少女は微笑みを浮かべながら着席をした。相当、メンタルが強いのだろう。正直うらやましい。
小休止のときに、マオールが急に席をはずし、少しだけ焦ったが、すぐに戻ってきたので、安堵のため息をはく。なぜかマオールは上機嫌になっていた。
その後、再開した会合では事前に聞いていたとおり、ホログラムの魔王が現れたが、割と自然体で過ごせた。
しかしなぜかマオール様はこんな重要なときに居眠りを決め込んでおり、どういうつもりだろうか、という疑問は残ったが。
そんな中、空気を読まないシュガークリーの姫が質問をしていた。
「すみませーん。一つだけ質問させてくださーい」
あの声はどこかで聞いた覚えが……?
◆◇◆◇◆
「ようこそいらっしゃいました。ソニヤ姫。どうぞこちらへ」
「ありがとうございます。オリーブ様」
会合で出会っただけの隣国の姫、ソニヤが我が家を訪れた。
なんでも、歳が近い私にわざわざ会いに来てくれたとか。
私という人間の価値が、わかる人にはわかるのだろう。鼻が高い。
姫を部屋の中へと通し、共にお茶を飲む。
……しかし、なぜか、変なデジャブを感じる。
「……ところで、ソニヤ様。私にお話がある、ということでしたが」
「はい。是非ともお話ししたいことがありまして」
「……ところで、ソニヤ様とは先日の会合でお会いしたかと思うのですが、他にもどこかで……?」
私はなんとなく抱いていた不思議な気持ちをソニヤ姫にぶつけてみた。
もしかしたら、過去にどこかのパーティー会場であっているのかもしれないし。
そんなことを私が呟いた瞬間、ソニヤ姫が片手を上げると同時、その顔がいきなり変化した。
そう本当に変化だった。
「きゃっ!」
不意打ちを受けてしまったので、つい叫び声をあげてしまった。
目の前の少女が、うっすらと邪悪に微笑んだ。
「ごきげんよう、オリーブ様」
目の前に、マオールの下女アインスがいきなり現れたのだ。
「あ、あなたは、アインスとかいうマオール様の下女! な、なぜ、あなたがソニヤ姫になりかわって!?」
なけなしの勇気を振り絞って詰問をした。
しかし、相手は変化の魔術を行使する魔女。
その美貌と相まって、人間であるのかどうかも怪しいものだ。
「アインスというのは仮の名。この私こそが、正真正銘のソニヤ姫ですよ」
目の前の魔女は、そういいながら、ニヤリと嗤った。心の奥底まで覗き込まれているような感覚に陥る。
まるで、お前のことは全部わかっているんだぞ、と言わんばかりに。
「……ひっ!」
あまりの恐怖に腰に力が入らなくなり、しゃがみこんでしまう。
「……」
冷ややかに、ソニヤ姫を自称する魔女が、私を見下ろしている。まるで私という人間の値打ちをそろばん勘定しているかの如く。
「まあ、いいでしょう。さて今回、こうしてオリーブ様にお会いしたかったのは、魔王様との関係をきれいさっぱりと切っていただこうかと思いまして」
「魔王様?」
魔女がいきなり、わけのわからないことを言い出した。
魔王様って、いったい何のことよ。
あの会合にはホログラムの魔王を登場させるまでの話は聞いていたが、魔王と直接、何か繋がりができることでもないはずだ。
「はい。あなたがマオール様に積極的に近づいているのは、魔王狙いだからなのでしょう?」
魔女が、眼窩に邪悪な光を湛えてこちらに詰問をしてきた。
ここで、嘘でもついた日には、私の首など簡単に物理的にネジ切られてしまう、と直感的に感じる。
「!? そ、それは誤解です! あのマオールという方は魔王軍と懇意にしている有力な方だと。そしてあの方に取り入れば、色々な便宜が図っていただける、ということでしたので、最大限おもてなしさせていただいただけです!」
私は最大限の誠意を持って答えた。
「……あら。あなた、あの方がまさに魔王であることを知らなかったのね」
……え? え?
マオール様が魔王?
「あ、あの方が魔王……」
その事実が脳の中に染み込んでくる。
私を何十万回と地獄の業火に叩き込める魔族の王が数日間、自らの隣にいた。しかも、不興を買うかもしれないようなことを何回かしでかしてしまった。
……かたかた。
さーっと顔面から血の気が引いて、自分の歯が、知らず知らずに恐怖のために鳴り出すのがわかる。
心臓もがばくばくと早鐘を打っている。
「ま、魔王様のこと、ソニヤ様のこと。だ、誰にも言いませんから! い、命だけは! 命だけは!」
私は土下座をし、必死に赦しを請うことにした。
目から涙が出てくるのを止められない。
頭の中は真っ白だ。
「ふぅー。……ベリアル」
魔女が、ため息を一つつき、なにやら呟いた。
「……お呼びでしょうか、ソニヤ様」
一瞬の後、魔女の背後に燕尾服姿の少年が顕現した。片ひざをついて、恭しく頭を垂れている。
「……!」
私は顔を上げ、その少年と目があった瞬間に確信した。こいつは悪魔だ。それもただの悪魔ではない。人間など、蟻くらいにしか、思っていない、根っからの邪悪の権化だ。
私の身体は生きることに正直なのか、気がついたら壁際まで後退していた。
……いやだいやだいやだ。
私はただこの現実を受け入れたくなかったので、首を振ることしか出来なかった。
そんな中、魔女はひとつため息を付くと、情け容赦のかけらもみせず、静かな声音で従える悪魔に命じた。
「ソニヤが名において命ずる。この娘の魔王に関する部分の記憶を書き換えなさい」
「御意」
悪魔が恭しくお辞儀をすると同時、その顔が悦びに打ち震えるかのように醜く歪み、そこからいく本もの触手が私の方へと延び、絡み付いてきた。
「ああああぁぁぁ……」
口から声にならない声が漏れる。
そして、触手が、私の頭に巻き付いてくるのを感じる。
「……あ、……あ」
あまりの恐怖に悲鳴の一つも上げられない。
そして、私は意識を失った。
◆◇◆◇◆
「……オリーブ様。オリーブ様」
どこからか優しげな声が聞こえてくる。
微睡みの中から目を開けると、ひまわりがぱっと咲いたかのような印象を受ける満面の笑みをソニヤ姫が浮かべていた。
ああ、そういえば、今日私のところに遊びにきて下さるということだったわね。
「……。あ、ソニヤ様。すみません。突然倒れてしまい申し訳ありません。少しばかり調子が悪いみたいでして」
「ふふ。良いのよ」
慈愛に満ちた声をかけてくださった。
「……えーと、私達何の話し合いをしていましたか……?」
私としては先程まで何か大事なことを話していた気がしたのだが、まるでどうでもよいことのように思い出せないし、思い出す必要もない、という心の声に従う。
「安心して。ちょっとした世間話よ。さて、私もそろそろお暇させていただくわ。あなたも少し疲れているようだから、お休みになりなさい」
またもや、ソニヤ様が優しい声をかけてくださった。
「……はい。ソニヤ様」
私はそのソニヤ様の優しさを受け入れ、何も考えないことにした。
「ふふ。ところで、あなたの弟さん、可愛いわね。大事にしてあげなさいね」
おや。ソニヤ姫は私の可愛い弟、シュタインのこともご存じなのね。
シュタインは優しいし、頼りになる自慢の弟だ。
「? ……はい。もちろん」
私は満面の笑みを浮かべた。
それを見ていたソニヤ姫はうっすらと微笑むと一つ頷いた。
とりあえず、オリーブ側からの視点の閑話です。
7000文字を超えてしまったので、二回に分けて更新しようか悩みましたが、まあ、いいや、と一回で更新w
次回更新は、来週できたらうれしいなー、ということで。




