第三十七話 あとしまつ
「あ、暑い……」
胸元の服の裾をパタパタと扇ぎ、服の中へと風を送りこむ。
少しでも涼を得ようという涙ぐましい努力でもある。
「アインスよ」
向かいに座っている魔王から声をかけられる。
「なんでしょうか?」
「……その、なんというか、胸元をそうやってパタパタするのをやめた方が良いと思うぞ」
魔王様から注意されてしまった。
「そうですかね?」
一応、下着でちゃんと胸は隠しているから大丈夫だと思っているんだけど。
自分で服の中を見てみる。
うん。大丈夫。
「なんというか、その……淑女としてはしたない」
「……あー。まあ、そうかもしれませんね」
それはその通りかもしれない。
「でも暑いんですよ」
「そうか」
「そうなんです」
私は、今日は割と薄着にて白鷺亭を訪れている。暑すぎるから仕方がないのです。
こんな姿を侍女のカミーナにでも見つけられた日には、どのような注意を受けるのか。
でも、今日はカミーナは用事があったみたいだから、きっとばれないと思う。
うん。大丈夫なはず。
……しかし、最近は、ソニヤ姫の物まねが板につきすぎて、内面の方も引っ張られている気がするなあ。
気をつけないと、自分の自我というものが曖昧になってきてしまう。
というか、実は最近、昔の記憶が段々とあやふやになりかけている。
これは物忘れがひどい症状に似ており、昔のことを思い出すことに一苦労するのだ。
もしかすると、この世界からの同調圧力のようなものかもしれない。
そういうわけで、仕方がないので、夜中にせっせせっせと当時の記憶や知識を文字として書き出している。眠いけど。
これくらいがせめてもの防衛策だ。
ただ、リスクとしては、その書類を誰かに読まれたりしたら大変なことになる。
一応、サインとかはしていないから、私が書いたという証拠はないとは思うけど、筆跡でばれるよなあ。うーん。
でもこればっかりは鍵をかけて、金庫にしまっておくことくらいしか対策はできない。
暗号で書いたりすれば多少はましだろうけど、そんな手間隙なんてかけられないしなあ。
「アインスの嬢ちゃん、疲れているねー。これでも飲んでくれよ、サービスだぜ」
「あ。ありがとうございます」
疲れたような顔をしていたのかな。
食堂の店主が気をきかせてくれて、レモン水の蜂蜜入りを作ってくれた。
しかも無料で。
こくこく……。
んー。生き返る。
のど越しスッキリで、さらにキンキンに冷えているので、火照った身体にはとっても気持ちが良い。
……。
視線を感じたので視線をあげてみると、魔王様が新聞(活版印刷技術で作っているらしい。しかし、ここはファンタジー世界なのだと(以下略))を広げながら、私の方をじっと見つめていた。
だが、よくよくもっと観察してみると、私の手元のレモン水を見つめているみたいだ。
「あげませんよ」
私は、その視線を遮るかのごとく、グラスを両手でもってぐっと掴むや、ごくごくと飲んでしまう。
「……むぅ」
魔王が呻き声をあげた。
いや。そんな声をだしてもあげませんよ。
これ私がもらったものですから。
しばらく無言で過ごす私たち。
「……あの」
さて、気を取り直して魔王様に声をかけてみる。
魔王は新聞に目を落としつつ、炒った豆をポリポリと食べ、温くなってしまっている麦酒を飲んでいる。
まさに、酒場の親父である。
しかし、見てくれがいいので、これはこれで絵になっている。
何か考え事をしている書生というか、詩人みたいに見えるのがうらやましい。
「なんだ?」
「あのですね。先日、私たちを襲った、例の仮面の男達なんですが、結局あの後どうなりましたか?」
先日、私たちを襲った例の仮面男たちの事件について、気になっていたので、聞いてみることにした。
彼らは、ゲームと同様に簡単に魔王にあしらわれてしまったなー。
やはり、魔王様は強い。正攻法では勝てないなー、という強い印象をもった。
でも、ゲームではたしか、ソニヤ姫が一矢報いるルートがあったような。
えーと、あれはたしか……。
「ん。ああ、あの連中か?」
魔王の声に思考が中断される。
「はい。結局、あのあと、どうなったかなー、と」
カミーナがきれいに縛った後の、男たちの処遇については、全て丸投げしてしまったし。
まあ現場には、魔王と、事件後にふらりと現れたゼクスとがいたから大丈夫だと思ったから任せたのだけど。
それに、私なんかがいたところで、役に立たないだろうしね。
だって、私には荒事なんて向いていないもの。
これといった特技なんて何も持っていない、普通のごく一般的な人間なものですから。
「そうだな」
そこで、少しだけ思案をする顔になる魔王。
「やつらにはとりあえず、俺達を始末したという偽の記憶に差し替えておいた」
「偽の記憶……ですか?」
「そうだ。そして、俺たちの細かい情報についても、記憶から消させてもらった」
本当になんでもないことのようにさらっと言った。
そのあとは興味がなさそうに、手元の新聞にまた目を落とした。
ん。以上で説明終わりですか?
「で、でもどうやって、そんな偽の記憶にさしかえるなんていう芸当ができたのですか?」
一応、突っ込んでおく。まぁ、十中八九、魔法を使ったんだとは思うが。
「む? 方法か? ……そうだな。そんなことは簡単だ。催眠術を使ったのだ。そう。誰にでも使える簡単な技法だぞ」
魔王様が重々しく断言なされた。
えー、本当ですかー?
じーっと見つめる私の視線を受けても、動じることなく魔王は深く頷く。
「まあ、経験が必要、ということだけは認めることは吝かではない」
「……左様でございますか」
だが、まぁ、いい。
このあたりは、突っ込みすぎると自分に跳ね返ってきて火傷しそうだし。
よし。
私は気合いを入れ直すと魔王に向き直る。
「ところで、マオール様。私の海外出張の件なんですが」
「うむ。俺も行くからな」
それはもう確定なのですね。
そこはもうわかりました。
でしたら……。
「もしよろしければ、ご一緒に旅行しませんか?」
もう魔王が海外へと向かうことは止められない。
それならば、せめて私の目の届く範囲の内側にいてほしい。
じーっと、魔王を見つめた。
「……ふむ」
しばらく目をつむり、顎に手をあてて考え込む素振りを見せる魔王様。
え。そんなに考えないといけないことがあるんですか?
「お前がそこまで懇願するのであればよかろう。俺の移動に付き合わせてやる」
一つ頷くと、私の提案を上から目線で承諾してくださった。
あれ。でも、それだと私が魔王様に同行する感じのような。ま、まあ、その辺りは後で聞くかな。
「……ちなみに、マオール様は会場内部には入らないんですよね?」
今回の会合の会場は、隣国のライナー王国王都の聖堂だ。
王都内までは付き添いの者なども入れることができるが、聖堂内、つまり会場内には王族などのVIPと、その補佐官、護衛程度の少人数でしか入れない。
まかりまちがっても、ソニヤ姫は魔王を一緒に会場内へと連れ込むことはできない。
「む、そうなのか? ふむ。まぁ、わかった、その辺はどうにかしよう」
どうにかしようって言ったって、何ともならないんじゃないですか?
「ま、まあ。わかりました。……あとですねー。私は、その、ソニヤ様のお側に居ないといけないので、マオール様も護衛役の一人として私たちと一緒に移動していただきたいなー、なんて思っているんですけど」
先程の口ぶりだと、私が魔王一派と行動をともにするような感じになっていたが、面倒ごとを避けるためには、私の集団と行動を共にして欲しいんだけど。
実はすでに護衛役の一部に枠を用意してあるのだ。
そして、護衛役として目立たないようにライナー王国へと移動して欲しい。
「ふむ。そんな面倒なことをするのはなー。あ。一人使い勝手の良い有能な知り合いがいるから、そいつになんとかさせよう。そうすれば、アインスは俺と共に行動ができる」
「うえ!? そ、そんなことができる方がいらっしゃるのですか」
「うむ。少し待て……」
そういって、魔王は、小声で何事か呟いた。
「……よし、出てこい」
その刹那、私たちの机の脇に人影がすーっと、現れた。
「お呼びでしょうか……おや、そちらにいらっしゃるのは」
「え!? べ、ベリアル!」
なんといきなり現れたのは執事服を着た少年、大悪魔ベリアルだった。
しかし、どこから現れたんだ。でもまあいいか。
「……アインス様、で、よろしいですね?」
私の顔をじーっとみたベリアルが、にーっと微笑みを浮かべた。
「……え! あ、うん」
「なんだお前たち、知り合いだったのか。ま、良い。……さて、ベリアルよ、お前に頼みがあるのだが」
「……わかっております。アインス様をマオール様とご一緒できるように工作をすればよろしいのですね」
「お。話が早いな。お前が得意の催眠術でもってどうにかして欲しい」
「お安いご用でございます」
そういって、慇懃に礼をするベリアル。
あー、でもこれで一つだけ謎がとけた。
そうか。ベリアルが、魔王に協力して聖騎士たちの記憶操作をしたんだね。
くるりと私の方に向き直り、恭しく頭を垂れるベリアル。
「……よろしいでしょうか?」
ベリアルは、真なる主である私の許可を取りに来ている。
たぶん、ここで私が拒否をすれば、ベリアルはきっと魔王からの頼みでも断るだろう。
でも、その場合に、魔王が私と共に来てくれる保証はない。
それならば……。
「じゃあ、お願いね」
「承知いたしました」
そういって、一礼をして、また一瞬で消え去った。
しかし、いいのかな、いきなり目の前から消えちゃって。
私は魔王様の方を見つめた。
「……これで万事解決だな!」
こいつは何も考えていなかった。
◆◇◆◇◆
「誰もいないわよねー」
私はそーっと、王宮の自分の部屋へと戻ってきた。
ドアの間に挟んでいた栞が落ちていなかったので、誰も、私の部屋には入っていないみたいだ。
ふふふ。スパイや名探偵も真っ青な、私のこの技術はどうよ。
あとは、誰かに気づかれる前にドレスに着替えて、と……。
「お帰りなさいませ、ソニヤ様」
「ひゃっ!……あ……あはは。た、ただいまー、なんてね」
ドアの外にいつの間にかカミーナが立っていた。気配をまったく感じなかった。
「……はぁ。姫様の周りにはゼクサイス様が目を光らせていただいておりますから、あまり心配はないとは思っておりますが、あまり無茶をなさらないでくださいね」
「えぐ! あ、はい。心配しなくても、大丈夫、大丈夫、なんてね。ははは」
とりあえず、冷や汗がぶわっと吹き出すが、微笑みを浮かべながらカミーナに答える私。
スマイルスマイル。
「……それは、そうと姫様」
そこで、目だけは笑わずに口許だけ微笑みの形を作るカミーナ。
「その格好についてだけは、少しだけお話をさせていただければと思います……」
「あ、はい……」
そこから二時間、床に正座をさせられて、カミーナのお説教タイムを過ごした。
明鏡止水の心で臨んだ。
なんとか更新しましたー。
次回も来週更新を目標に執筆しまーす。




