第四話 だっしゅつしまーす
「……ふふふ。シロット殿下は、本当にリードがお上手ですね」
俺は小声で、ともにダンスを踊っているシロット王子の耳元にささやきかけた。
人生はじめてのダンス--しかも人前でのだ--をうまく踊れるのか、すごく心配していた俺だったのだが、シロット王子がうまいことリードをしてくれているためなのか、たまにステップを踏み間違えたりはしたものの、なんとかここまで醜態をさらさずにすんでいる。
一応、俺にも武術の心得が前世(?)ではあったのだが、やはりダンスへの応用となると、身体の使い方が全然違うので、上手く動かしがたい。
というか、そもそも女の体であるので、使い勝手がよくわからない。
ちなみに、ソニヤ姫の身体はすごく柔軟であったので、体を動かすことそれ自体には特に支障はなく、ダンスも外見的にはきれいに踊れてはいる。
……しかし、そういった要素を差し引いても、この王子、なかなかダンスがうまいな、と思える。
こちらのステップのミスにも躊躇なく補正をしてくるし、クルリと回るときの俺が回る空間を大きく開けてくれて、入りやすくしてくれている。
それでいて、外からは優雅に見える。
この男できるな、と素直に心の中で称賛をした。
だがまぁ、こいつはゲーム中での戦闘では、からっきしのど素人だったのだが。
当たり前と言えば当たり前か。
たぶん王族ではあるので、騎士の一通りの作法として、剣や槍、弓なんかの使い方は学んでいるとは思うが、それでも実際に戦場に出ての槍働きなどしたことはないだろう。
「……ふぅー。シロット様。私、少し疲れましたので、少々、下がらせていただきますね」
「そ、そうですか……」
俺は、先日から温めていた計画を始動するために、王子へとお別れを告げる。
一昨日から、思い出せるだけのゲーム中の描写を全て思いだし、羊皮紙に書き出した内容について、そこから睡眠時間を削りに削って考えに考え、そしてこれならなんとかなるかも、と立案した俺渾身の傑作ともいえる計画だ。
……要旨を一言でいえば、ゲーム内でのシーンの『状況描写』を活用して、脱出に使う。
俺にとって、乾坤一擲の作戦だ。
失敗すれば、ジエンド。
ゲームと同様に、慰みものとなる人生が待っている。
「あ、では、私もご一緒に……」
シロットが俺と行動をともにしようというセリフを、口から出そうとするが、俺はそれに被せるように、確固とした口調にて、シロットの言葉を制す。
「あ、もうしわけございません。シロット様。こちらの控えの間は男子禁制でございます。ですので、シロット様は、ホールにてしばしお待ちいただければ幸いに存じます」
そういって、俺はさっさと控えの間へと下がった。
シロットは、俺の断固とした口調、態度に唖然としている。
すまんな。俺にも心の余裕がないのだよ。
俺は、きびすを返すと、控えの間へ続くドアを、がちゃりと開けて飛び込んだ。
◆◇◆◇◆
俺は控えの間にて、着込んでいたひらひらのドレスを脱ぐやいなや、手伝いの者にトイレと偽って部屋を出て、近くの小部屋へと隠れた。
そして、そこに事前に用意してあったメイド服へと素早く着替えた。これで遠目にはソニヤ姫だとは気づかれにくいだろう。
そして、着替えに使った小部屋を出て、ダンスホールを抜けた。
まぁ、途中で従者たちに、仮に見つけられて正体がばれたとしても、実はこれはゲストを驚かせるためのサプライズなんだー! とでも言ってごまかそうと考えている。
そんなことをすると、侍女のカミーナあたりには、白い目で見られそうではあるのだが。
だが、もはや背に腹はかえられない。
……しばらくすると、ソニヤ姫が見当たらない、ということで、少々騒ぎになった。
俺は、顔を臥せながら、ワイン庫で空き瓶を片付けたり、廊下の掃除をしたりしてやり過ごした。
空き瓶を取りにホールへと戻る。
「ソニヤ様を見ませんでしたか?」
後ろの方でカミーナが、周りの人間たちに聞いて回っている。
すまない、カミーナ。
俺は心の中で、カミーナへと謝罪をする。
ある程度の時間がたち、さすがに、そろそろばれるかな、と思った矢先、ホールの入り口へと、兵士が駆け込んできて、突然、大声で叫んだ。
「ま、魔王軍の襲撃です! 皆様、この砦はもはや長くはもちません! 地下道の秘密出口より、お逃げください!」
兵士の突然の報告に、最初は何の余興だと反応が鈍かった参加客たちだったが、負傷した兵士が何名もやってきたところで、ことの大きさに気づき始めパニックになった。
「に、逃げろー! 魔王軍の襲来だー!」
「た、助けてー!」
「おい。貴様、押すんじゃない!」
皆、我先にと地下道の脱出路へと殺到する。
まさに修羅場だ。
砦の衛兵たちは、一部はVIPたちを護衛し、残りは城の護りへと向かっていった。
ただ、ここガイコーク砦の守備兵程度では魔王軍の襲撃を防ぎきれないのは、ゲームを通じて嫌というほど、俺は理解していた。
「ソニヤ様、ソニヤ様はいずこにおわしますか!?」
そんな混乱の中で、ソニヤ姫に仕える、カミーナたち召し使いの一団は、危険をも省みずホールに残り、ソニヤ姫を探索していた。
「……私はここです。カミーナ」
俺は、すーっと、静かに名乗り出た。
「ソ、ソニヤ様! 探しましたよ! しかも、なんですかその格好は……。そ、それよりも魔王軍です! ここはもはや安全ではございません。さぁ、早く我々も地下道へと!」
カミーナの必死の形相でのお願いに対して、俺は静かに首をふる。
俺の落ち着きはらった様子に、カミーナたちは訝しげな視線を向けた。
俺は、そんなカミーナたちに向けて静かに語りだした。
彼女たちに俺の計画を開示するときだ。
「……我々は地下道へと向かいません」
「な、なぜですか!?」
納得できないとばかりにまくし立ててくるカミーナ。
「地下道は、すでに魔王軍におさえられています。我々はそちらにはむかいません」
「なぜ、姫様がそのようなことを知っているのですか?」
ますます猜疑の目でこちらを見つめてくるカミーナ。
俺は一つ咳払いをすると説明してやる。
「実は、宰相が魔王軍と密会していた情報を先に掴んでいたのよ。そして、その内容が地下道での我々の捕縛と捕虜に関することだ、とね」
「そ、ソニヤ様はそのような貴重な情報をすでに掴んでおいでで!」
驚愕の表情を浮かべるカミーナ。
俺はしてやったり、といった表情を浮かべ、皆に宣言した。
「やつらの裏をかきますよ」
「い、いったい、どのようにして?」
カミーナの顔に困惑が広がる。
「衛兵たちに、魔王軍を城内に引き入れた後、各所に火を放つように指示をなさい!」
「えぇ!?」
カミーナたちに驚愕と、動揺の表情が広がる。
「そして、その混乱に乗じ、南の城門を強行突破します」
俺の提案に皆、唖然とした顔を浮かべている。
「きょ、強行突破で、ございますか?」
一団の中から、精悍な顔つきの兵士が前に進み出て聞いてきた。衛士長のポストフだ。
「そうよ。雨あられと降り注ぐ矢の中を走るのよ」
俺は怯むことなくポストフの瞳を見つめた。
ごくり、とポストフが唾を飲み込む音が聞こえるようだ。正気ですか姫様、といった顔つきだ。
「やつらの陣を強行突破した後、南の森林地帯『黒の森』へと逃げ込みます。そして、うまくすれば、近隣の城まで逃げることができますよ!」
そう。これしかないのだ。
ゲーム内のテキストで、一部の敵兵士と召し使いたちが南の森林地帯へと逃走した、という記述があった。
俺(魔王)はそんな雑魚どもなど、捨て置けと部下に命じ、その後、ソニヤ姫とお楽しみを繰り広げるわけだが、俺の今の格好はその召し使いと同じ。
つまり、ゲーム内において成功していたと思わしき脱出行に、俺も混ぜてもらうことにした、というわけだ。
魔王軍の者たちや、我が王国の宰相以外の内通者も、まさかこんな形で姫が逃げ出すとは思ってもいないだろう。
「衛兵たちよ! ここが。そう、こここそが、あなたたちの王家への忠義を示す好機です! さぁ、私に従い、蛮勇を振り絞りなさい!」
俺は力の限り、兵士たちを鼓舞した。
「「おぉーっ!」」
力強い雄叫びが、ホール中に木霊した。
◆◇◆◇◆
「さぁ、私に従い、勇気を振り絞りなさい!」
わしたちは今、歴史の中にいるのではないか。
姫の力強い宣言を聞きながら、心の奥底から勇気が、蛮勇と呼んでもよい勇気が沸き起こってくるのをポストフは感じる。
砦の衛兵として、長いこと、この場所にて勤めてきたが、まさに、今、この瞬間こそが、死に時だと。
「我らが忠義。姫様に捧げまする!」
思わず口をついて、決意表明が漏れてしまう。
姫は、瞳をパチリとし、驚きの表情を浮かべた後、それはもう、見た者全てを魅了する最高の笑顔を浮かべ、力強い瞳をこちらに向けながら口を開いた。
「ありがとう。ポストフ。さぁ、準備をするわよ。みんな。これからの一分一秒が、私たちの生死を分ける分水嶺だと、心に刻みなさい!」
我らは、この方のために死のう。
ポストフはそう心に決めた。