第三十四話 おいとまさせていただきます
「……と、いうわけで、再来週からのソニヤ姫の国外出張へとお付き合いせねばならなくなりました」
「む?」
王都トルテにある、魔王の常宿でもある『白鷺亭』の一階食堂にて、ラーメン定食(まことに遺憾ながらメニューにあったのである。)を食しながら、俺は箸を魔王へと突きつける。
んー。ちょっとはしたないかな?
「ですので、申し訳ありませんが、しばらくはマオール様のところへと参ることができません」
「むー……」
箸を突きつけられた魔王は、目をパチパチとしばたかせながら、きょとんと、こちらを見ている。ラーメンの麺を口に咥えながら、だ。
そして、ずずーっと、麺を口の中へと吸い込み、しばし咀嚼した後に、一つ頷いた。
「うむ。そうなのか?」
「はい。そうなのです」
しばし、見つめ合う私たち。
「ふむ。……だがそれは、ソニヤの用事なのであろう。侍女など、お前以外にも城には多くいるであろうに。なぜに、アインスまで駆り出されるのか」
「え、えーと、きっとそれは私が優秀だからですよ!」
胸のあたりに手を添えながら、ちょっとだけポーズを決めてどや顔をしてみせた。
そして、コップの中の水を一口すする。
「……。まあ、そのことは置いておくとして、アインスが海外へと行く必要がないように、一つ俺がソニヤのところに行って、直談判でもしてやろうか?」
「ふぐぅっ!」
一瞬、口の中の水を全部吐き出しそうになった。
いやいや。そういうことはやめたげて。
そんなことをされると私が非常に困るので。
「え、えーと、あのー、そのー……。マオール様のそのお優しい気持ちだけ、ありがたくいただいておきますね」
「む。そうか?」
少しだけ残念そうな顔をしている魔王。
いやいや。そんな顔をしないでくださいよ。
まあ、魔王が動くと、経験上、だいたいろくなことにはならないので、余計なことに首を突っ込まないようにと事前に釘を刺しておかないといけない。
と、いうよりも、そもそもこんな危険人物を王都トルテに一人置いておくのも、本当は大変心配なのだけれども。
「あー、えーと。で、ですので、マオール様も、しばらくは、ご実家? などに戻られたらいかがですか? この機会に、ね」
「ふむ。実家か……」
そこで、腕を組み、しばし黙考する魔王。
「はい。というか、そろそろご実家に戻らないと色々と不味いのではないのですか? マオール様はたしか、貴族様?でしたよね?」
前に、魔王は伯爵だかの息子を騙っていた気がするし。
「それはそうなのかもしれんが……」
でもまあ、本来的には、私一人がしばらく王都からいなくなるだけなので、こんなことを魔王にお願いするのは筋違いだし、内心、無茶な注文のような気もしているのだが、最近は、単にお願いを言うだけならば無料である、という心持ちで、なんでも魔王に直言してしまっている。
なにしろ、魔王様は聞き分けがよいし。うまくいけば儲けものなのである。
さあ、今回は、私のアドバイスに従って、どうにか自分の巣へと、潔く戻ってくださいよ。魔王様!
「……うむ。良いことを考えたぞ、アインスよ」
「良いこと、ですか」
魔王の『良いこと』はだいたいろくでもないことなのだが。
「ではこうしよう。……俺も、ソニヤやアインスたちと同じく、その外国へと行くことにしよう」
「え!? ちょっ、おまっ!」
え? え?
どこをどうすればそうなるの?
って、本当になんでそうなるの?
魔王様の脳みその回路、やっぱりどこかオカシイんじゃないですか?
「……えーと、えーと」
私は手をバタバタとさせながら、必死に頭を働かせて、抗弁を開始する。
「で、ですが、マオール様にもご用事というものがあるのではないですか? ……ほら、今回の海外出張は、行き帰りの移動の時間を含めると一ヶ月以上にもなりますよ。本当に長いんですよ!?」
身振り手振りをまじえながら、必死に大変ですよアピールをしてみた。
「……いや、心配にはおよばん。俺には特に予定はないからな」
どやーっと、ろくでもないセリフとともに、無慈悲にも魔王様は断言なさった。
「……ぬぐ」
さすが、ゲーム中でもソニヤ姫と、ひたすらナカヨクしているだけのダメ魔王。
王としての自覚、まったくなし!
「えーとですねー。でも、ほら、マオール様。お金はどうするのですか? お金。まさか、私たちと一緒に行くってことはないですよね。そんなの無理ですからね。わかってますよね? ね?」
これならばどうだとはわかりに、必死にない知恵を絞って、論破しようと試みる。
「ああ、金か。金ならばいくらでもあるから大丈夫だ。心配するな。逆に少しくらい融通してやっても良いのだぞ、アインスよ」
「え? もしかして、お小遣いいただけるのですか♥」
「うむ。構わんぞ」
「え? それじゃあ……って、だめだめ!」
……って、危ない危ない。
あやうく、魔王の魔の手に引っかかるところだった。
じゃ、じゃあ、これならば……。
「で、でしたら、旅行の間は野盗の襲撃とかの恐れもあって、とても危険な旅になるかもしれませんよ!」
「ん。俺のことを心配してくれているのか。アインスよ。……ふっ、だが、安心するがよい。俺様は腕っぷしには自信があるのだ。野盗程度ものの数ではない」
さらなるどや顔の魔王様。
まあ、そうですよねー。
「ついでに言えば、そなたがソニヤと一緒に旅行をするくらいならば、俺と一緒の方が安全であることも保証してやろう」
「は、はは……。そ、その優しいお心遣いだけいただいておきますね」
武力という点であれば、魔王の言い分は事実だろうが、私の貞操という観点だと、安全なのか危険なのか、判断に迷うところだ。
「うーん、でしたら……」
……私はこの暇人魔王様の思いつきを思い止まらせようと、様々な説得の言質を弄したものの、結局は、魔王の首を縦に振らすことはできなかった。
「ぜーぜー。……ここまで、言葉を重ねても、諦めてはいただけませんか」
「俺はもう行くと決めたのだ。わかれ」
一切の妥協を許さないという、王者の貫禄でもって断言なさる魔王様。
イケメンがそういう風に断言すると、超さまになっている。
くっ、ちょっとかっこいいじゃない。
「う、うぐぅ……」
もうどうしようもないのか……。
「……あ、ところで、一つ思い出したんだが」
いきなり魔王が切り出してきた。
「え? え? な、何を思い出したのですか?」
どうせ、ろくなことではないとわかっているので、つい、身構えてしまう。
「うむ。今日の昼からここの中央公園だったかな? そこで、『感謝祭』とやらが開催されると、聞き及んだのだが」
「感謝祭ですか」
「うむ。で、だ。……感謝祭とはいかなるものなのだ?」
え?
魔王様、感謝祭知らないの?
「え、えーと。私にも正確な意味での定義はわかりかねますので、今回の王都トルテでの感謝祭の説明をすればよいのですよね?」
「うむ。それで構わん」
「はい。えーっと、一般的に、感謝祭とは、農作物の収穫などの自然の恵みに対して、神様に感謝をするイベントですね」
「なんだ、単なる収穫祭のことか」
「ま、そうなります。ですので、神様への『感謝』を示す『祭り』と書いて感謝祭です。……で、祭りの意義はそういったことなんですけど、元々は、神前にて神に感謝を捧げる儀式から始まったと聞き及びますが、今では、神様への感謝の儀式は薄れてきてしまって、公園に多くの人々が集まって、わいわいと騒ぐだけのものになっているそうですよ」
とりあえず、侍女のカミーナから聞き齧った情報を、さも、自分の博識であるかのように伝える。
これでも、私は記憶力には定評があるのだ。
なにしろ、元の世界では学士様だったしな。えっへん。
「うむうむ。なるほど。神前の儀式であるならば、俺にもわかるぞ。あれだろ? 二人一組になって、どちらか片方が動かなくなるまで、戦い続けるとか、そういうのだろ」
おいおい。どこの世界の剣闘士ですか。物騒すぎるだろ、魔王軍。
「い、今はその形も形骸化し、残っているのはわいわい人が集まっている、という部分だけですからね? まかり間違ってもその辺の一般人捕まえて戦っちゃダメですよ」
一応、念を押しておく。
「ふん! そんなことはわかっている」
そんな殊勝な事を言って、魔王はそっぽを向いてしまった。
おやおや。拗ねるなんて、魔王様にもかわいいところがあるじゃないですか。くくく。
「よし。ではいくぞ」
「へ? どこにですか?」
「決まっている、感謝祭を見に、公園へと行くぞ」
え、今から行くんですか?
えーと、だから、なんで私の予定を事前に聞かないんですか。
「え、でも、これからの予定が……」
「ほら。行くぞ!」
「……う、うぅ。は、はい」
まぁ、どうせ、こんな展開になるんじゃないかと、事前に予定は空けておいたわけなんですが。さすが私。自分で自分を誉めてあげたい。
ああ、最近は、なんだかんだと、魔王に予定を合わせている自分がいることに気づく。
べ、別に、魔王のことを意識しているとかじゃないんだからね(ツンデレ気味に)!
◆◇◆◇◆
「……師父。やはり、トルテでの魔術反応が異常だと思われます」
王都トルテの教会のとある一室。
若い男が机に座り、何かしらの道具を一心不乱に動かしている。
「そうか。……じゃあ、測定されている魔術強度はどうなっている?」
机の隣に立っている、短く刈り込んだくすんだ金髪のがたいの良い男が、機器を覗き込みながら、若い男に問うた。
「少しお待ち下さい……」
何かしらの道具を操作し、機上の数値を観測する。
「……!? こ、これは……誤作動でしょうか?」
「先程のテスト測定の時には正常に作動していただろ。そうであるならば、この数値は正確なものと考えた方が自然だな」
「そ、そうしますと、相手は少なくとも脅威レベル十を超える化物になりますが……」
「こりゃ、本当にビンゴかも知れないな……。おい、近くにいてすぐ呼び出せる『聖騎士』は何名だ?」
「……少々お待ち下さい。……えー、『神剣』のジャヌアリーと、『魔弾』のノーベンバーの、お二方かと」
「そうか。とりあえず、三名で情報収集をするしかない状況か。ま、最悪、逃げればいいか」
「せ、『聖騎士』が三名もいるのであれば、ほぼ地上最強ではありませんか!」
「あーん? 良いかい、坊や。戦場じゃあ、相手を舐めたやつから、最初に退場することになる。そこのところは、よーっく覚えておきな」
「す、すみません!」
「ふん。まあ、いい。さてと、俺も狩りの準備をしないとな」
金髪の男が、猛禽類の笑みを浮かべ、短剣の刃を研ぎだした。




