第三十二話 へんきょうはく
「ふひひひ! しゅ、シュガークリーの宝石に讃えられる、そ、ソニヤ姫とお会いすることができ、ま、まっこと、光栄にござります!」
「あ、あははは。わ、私も光栄です辺境伯」
南部に俺が、慰安旅行で滞在しているのを聞き及んだ、地元の領主の一人である辺境伯が、この機会に是非ともお目通りしたい、ということで、仕方なくこうして辺境伯のお城にお呼ばれすることになった。
まだ、若い辺境伯だと事前に聞いていたのだが、辺境伯は、普段からの不摂生のためか、肌は脂ぎってテカテカと光っており、ピンク色の顔色と、ぷくぷくに膨らんだお腹回りとが相まって、あんまり、お近づきになりたくない雰囲気を醸し出している。
とりあえず、その汗を拭いてよ。
「ご、ご公務の慰労のための南部滞在と、お、お伺いしておりましたので、こ、この機会に是非に! と、思いまして。わ、私、この辺り一帯の統治を任されている辺境伯のアランと申します。そ、ソニヤ姫、よ、よろしくお願いいたします。ふひひひ」
「ご、ご丁寧にご招待をいただき、まことにありがとうございますね、アラン辺境伯」
こちらにやたらと近づいてきて、鼻息荒く、両手をがっちりと掴むのはやめて欲しいのだが、地方の有力者と聞いているので無下にもできない。
アラン辺境伯は、伯爵の中でも、国境近くにおける防備の要衝を司る『辺境伯』であり、その領地内における自治が大幅に認められている。
謂わば、シュガークリー王国内の私的自治領なのである。
そうであれば、こうやって、王家に連なる者が、定期的に訪問をし、友誼を結ぶのは、まあ、ある意味、大事な政治上の仕事なのである。
「ささっ。た、立ち話もなんですので、客間へとご案内いたしまする。あ、お付きの方は、従者の間にて、しばし、お、お寛ぎください。ふひひひ」
「……では、ソニヤ様。私は、こちらにて、お待ち申し上げます」
侍女のカミーナが、一礼をする。
「あ、うん。また後でね」
私個人としては、カミーナと離れ離れになるのは、非常に心細いのだが、このあたりは、マナーなので仕方がない。
またもや、心細くなる私。
でも、さすがに国の要の辺境伯ともあろう人が、私に害をなす、なんてことはないだろうと安心はしている。安心はしている。……安心だよね?
「さ、ささ……。こちらでございます、姫。ふひひひ」
「あ、ありがとう、辺境伯」
私の手をがっちりと掴みながら、鼻息荒く、にこやかな笑顔の辺境伯。
すみません。早く手を離してください。
「わ、私めのことは、あ、アランと呼び捨てにしてください。私たちは同い年と聞いておりますので。ふひひひ」
「あ、あら、そうなの? ……じゃ、じゃあ、アラン……伯、で良いかしら」
とりあえず、フレンドリーに呼ぼうとしたのだが、辺境伯の満面の笑顔を見て、ひよってしまい、肩書をつけてしまった。
し、仕方がないよね!
「そ、それと、ひ、姫のことは、そ、ソニヤとお呼びしても?」
「え? あ、えーと、一応、主従のけじめはつけないといけないのよ、えーと、アラン……」
頬をひきつらせつつも、がんばって、ファーストネームで呼んでみた。
だいぶ精神力が削がれたが。
「ふひひひ。そうでしたそうでした! や、やはり、一足飛びはよろしくないですね!」
何が、うれしいのか、ふくよかな身体全体を小刻みに揺すりながら、喜びを表現する辺境伯。
「ま、まずは、な、長旅でお疲れでしょうから、あ、汗をお流しした方がよろしいかと。ふひひひ」
「……あ、いえ結構よ。早速、予定通り、昼食会をお願いしたいのですが」
一瞬、身体全体を怖気が走り、つい、反射的に答えてしまった。
なんとなく、私のレーダーに引っかかる。
強いて言うと、その姿形のイメージが遠の昔に追放した宰相(第二話参照)と被る。
「ふひひひ。しょ、承知いたしましたよ、ソニヤ。あ、失礼。間違えました、ソニヤ姫」
そういって、辺境伯は、名残惜しそうに、私から手を離し、周囲の付き人(皆、若くて可愛い美人さんだ)に、怒鳴り声をあげて、こちらに、ウインクを一つ飛ばした後、廊下を歩いていってしまった。
「……」
……あれとの会談は五分で切り上げよう。
心の中で強く決意を固める。
「……姫。替えのお召し物を用意して御座いますので、どうぞこちらへ」
薄水色のセミロングの少女が、私を案内するために声をかけてきた。
「へ? いや、今、着ているドレスで良いのだけど」
今、着ているのは、カミーナと一緒に選んだ、ピンク色のドレスだ。マナー的にも問題はないはずなんだけど。
「申し訳ございません、姫様。わたくしどもの主人が、ソニヤ様に是非に、と新たなドレスを用意しておりますので……」
ま、マジですか。
うーん、ここで、断るのも無粋かなー。
「……はぁ。はい、正直、気乗りはしませんが、わかりました」
「ありがとうございます。では、こちらへ」
そうして、結局、着替えをする羽目になった。
◆◇◆◇◆
「なんじゃこりゃー!」
つい、鏡の前で叫んでしまう。
おおっと、まずい、まずい。
姫様の発言としてはちょっと、はしたないかな。
でも、これは……。
「……あ、あのー」
「なんでございましょうか?」
無表情な顔をしている薄水色のセミロングの侍女。
しかし心なしか、こめかみ辺りがひきつっているような気がしないでもない。
「え、えーと、どこから突っ込んでいいのか。……とりあえず、この服、やけに胸元が開いているっていうか、ほぼ、見えちゃっているというか、それにスカートの丈が短すぎない? っていうか、こっちは、もろに下着が丸見えだし」
しかも、白の布生地が全体的に薄いので、うっすらと、これ、ヤバイところが見えちゃってない?
具体的に描写しちゃうとノクターン直行になるから描写できないけど、これ、どう考えても、エロゲーとかで、殿方を誘惑する、すけすけのエロい服じゃない?
あと、なんとなくだけど、全体のイメージ的にはエロいウェディングドレスっぽい。
「ほ、本当にこれが正装なんですか?」
「……はい。主人はそう、おっしゃっております」
なぜか、氷点下の声音で話す、侍女さん。
私の胸元を凝視しながら。
なんで、この人、逆ギレしているの?
よくよく耳を済ますと、この胸であの方を誘惑しているのか、とか、ねたましいねたましい、とか、ぶつぶつ呟いている。
え。この子、ちょっと怖いんですけど。
「……では、こちらへどうぞ」
「え、ええ……」
有無を言わさずに連れ出される。
あまりにも恥ずかしいので、腕を使って、身体全体を抱きしめ、隠すように歩く。
なんですか、この羞恥プレイは!
そして、歩くこと数分で連れていかれたのは、なぜか、立派なベッドが、真ん中に一つだけででーん、と置いてある部屋だった。
ベッドには天蓋がついており、金の精緻な刺繍が施されている、かなり金がかかっていそうな立派なものだ。
それに、布団は、羽毛布団なのかふかふかで、絹で出来ていると思われる生地もさらさらだ。
ここで、眠りこけば、さぞ、気持ちが良いだろうな、と思えてくる。
「では、失礼いたします」
そういって、従者の少女がいなくなった。
……でも、部屋に一人取り残された百戦錬磨の私にはわかっている。
だいたい、この後の展開は予想できる。
「ふ、ふひひひ。ぼ、僕の愛しの、マイスイートハニー。もう我慢しきれなくて、ぼ、僕を誘っちゃったんだね。でも、安心していいよ。き、君のことは完全に理解しているからね。ふひひひ」
「……」
ほら。現れた。
完全に予想通りだ。
しかもご丁寧にも、すでに服を着ていない。
とりあえず、その小さいのを隠せ、とアドバイスをしてさしあげたい。
しかし、まあ、ここまでは予想通りなんだけど、さて、これから、どうやってこの修羅場を切り抜けようか。
1.腕力で叩きのめす。可能性としては、なんとなくできそう。その結果、辺境伯を敵に回し、シュガークリー王国で、内乱勃発。ちょっと困る。
2.辺境伯のパトスを受け入れる。私の処女喪失。悲しみのあまり、父王とかが辺境伯を殺しちゃう。その結果(以下略)。
3.とりあえず、逃げ出す。でも、この城の間取りには明るくない。捕まる。襲われる(以下略)。
4.話術を駆使して時間を稼ぎ、辺境伯が諦める、または、誰かに助けに来てもらう。可能性は高くないが、一番マシな案。
よし。まずは説得しよう。
「あ、あのー、あ、アラン? とりあえず、落ち着こうか?」
まずは、対象を冷静にさせるために、努めて静かな声音で話しかける。
「ふー、ふー、ふひー」
辺境伯は目が完全に見開き、ビーストモードになっている。
うーん、もう、人語を介しないかも。
「えっとね。今のあなたに通じるかはわからないけど、私に手を出したりすると、色々とあなたにとってはまずいと思うの」
「ふー、ふー、ふひー」
「……えっと、それに、ほら、こういったことって、まずは、お友達から始めるべきだと思わない? まずは、最初のデートプランを考えてみるとか」
まあ、向こうから誘われた瞬間に断るわけだが。
「ふー、ふー、ふひひひ。だ、大丈夫だよ、ソニヤ。だって、僕たちはもう、前世からの運命でつながっているからね。ふひゅー」
勝手に私を、あんたの運命に巻き込まないで欲しい。
「ふひひひ。……も、もう、我慢できないっ! では、い、いただきまーす!」
「ひっ!」
猛烈な勢いで辺境伯が、ベッドに向かって突進してきた。
さすがにこれは怖い。
やばいやばいやばい。
「……はぁ。本当はこのまま見ておきたかったのですが」
そんな声が聞こえたかと思うと、いきなり、アラン伯がなにもない空間で、つんのめるようにしてすっ転び、そのまま動かなくなった。
そして、大きなイビキをかきはじめた。
とりあえず、息はしているので、死んではいないみたいだ。
???
あまりにいきなりのことで、理解がついていかない、私。
少し待っても、何事も起こらないので、そーっと、部屋を出た。
「会談、お疲れさまでした」
「わっ!」
入り口近くには、先ほどの少女が深々とお辞儀をしていた。
「え、ええっと……」
どうやって、説明をしたものか。
「ご主人様は、お休みになられましたので、ソニヤ様も。そろそろお帰りのお時間かと」
「あ、え、えーっと」
とりあえず、服を着替えたいな、と申し出ようとしたところで、廊下の向こうから、ゆらりと、カミーナが現れた。私の方をすごい目で見つめている。
「……前々から、疑ってはおりましたが、ソニヤ様は露出狂の気がございますね」
「え? ちょっ、これはちがっ……」
「よろしいでしょう。シュガークリー王家は武門の家柄だということを、そのお体に叩き込んで差し上げます。そうすれば、きっとソニヤ様は自らが何者なのかを思い出していただけるでしょう」
「……」
だめだ。もう、何を言ってもこの状態のカミーナには無駄だ。
私は自らの不幸を呪うと同時に、とりあえず、危機を無事に切り抜けたことについて、心の中で、神に感謝を捧げるのであった。
◆◇◆◇◆
「さっすが、ゼクサイス様はなんでもお見通しですね」
薄水色の髪の少女、特殊陸戦隊のシルフィ中佐は鼻唄混じりにアラン辺境伯の、机を漁る。
裏金の帳簿や、人身売買の取引記録などごっそりとある。
だが、彼女の目的はそこにはなく、商工組合との黒い繋がりを調査し、人知れず闇に葬ることである。
「あったあった」
証拠がどんどんと出てくる。
あのアホ辺境伯が、ソニヤ姫を襲うために、人払いをしていてくれたおかげで、仕事がやりやすくなった。
まあ、本来であれば、姫が危ない状況になる前に、アラン伯を行動不能にすることもできたのだが、なんとなく、姫にけしかけてしまった。
決して、これは私怨ではない。作戦なのである。
「しかし、あの姫の侍女。……あれはできますね」
一瞬しか、視線を交わさなかったが、あの姫の従者には、ただ者ではない気配を感じた。
「少しだけ警戒レベルをあげてもいいかも知れませんね」
小国と侮っていたシュガークリー王国に、予想以上に強力な存在がいることに、困惑を隠せないシルフィであった。




