第三十一.五話 閑話 やみにうごめくものたち
がきーーんっ!
闇の中で、時折、火花が散る。
金属と金属とが、ぶつかりあう不快な音が辺りに鳴り響くが、その金属音の発生源は、闇夜に紛れて見えない。
シュガークリー王国南部。
エクリア城や、ゼクスのプライベートビーチに程近い港町。
そこの路地裏は今、自らの命をチップとした鉄火場であった。
「……その太刀筋。相当の修練を積んでいますね」
「……」
月明かりが、雲の合間から漏れ、二つの影を照らす。
一人は、どこか近代軍の士官服に似ている詰襟の黒の制服、制帽を着こなした、薄水色のセミロングの少女だ。
そしてもう一人は全身、黒色の服を着込んでおり、短く刈り込んだくすんだ金髪を持った、がたいのよい人物だ。
ただし、その顔には、奇っ怪な面を付けており、その表情を伺い知ることはできない。
少女は日本刀によく似た両手持ち剣を正眼に構え、奇面の者は、腰を低くし、両手にナイフを構えている。
「……貴様に遺恨はないが、これも仕事なんでな」
そう、奇面の者が声を発した。
声から推測すると若い男のようだ。
「とりあえず、聞いておきますが、私のことを誰かと知った上での狼藉……」
少女が言い終わる前に、仮面の男が、走り出し、回し蹴りをしかける。
「遅い!」
その蹴りだされた足を斬ろうと、少女……特殊陸戦隊のシルフィ中佐は、刀を振り下ろすべく上段に構えた。
「!!」
が、すんでのところで、急に、シルフィが横っ飛びに飛んだ。
がいんっ!
先ほどまでシルフィが立っていたところに、何本もの光の槍が突き立てられていた。
「……複数名での魔法による奇襲。しかも『聖光槍』ですか」
新たに闇の中から現れ出でた、顔を奇面にて覆った黒装束の集団。
しかも、それぞれが全くの隙を見せない達人レベルの業前を持ち、さらには、魔力すら行使をする。
「一対一では遅れをとるとは思えませんが……」
個人としての技量は、シルフィの方が一日の長があると思われる。さらに、シルフィ自身も魔術を行使できるので、相手が一人であれば圧倒できる、と判断している。
しかし現状、相手が複数名であることと、さらなる伏兵がいた場合のことを合わせて考えると、とても対処しきれない。
言ってみれば、非常に不利な状況だ。
シルフィはぎりりっと、奥歯を噛みしめる。
先ほどの部下との定時報告を受けた後の、このタイミングでの奇襲。
そこから推測するに、部下が裏切ったか、はたまた、彼らが部下を追って、自分のところまでたどり着いたか。
どちらにしても、精鋭たる特殊陸戦隊の猛者にも気配を気取られない隠密能力。
そこまで思考を進めると、そんなことができる者たちは西方でも数えるほどしかいない。
「その技量に、その魔術のレベル、そして、異形の仮面。……なるほど。あなたたちが、あの悪名高い、教会の犬どもですね。……しかしなぜ、教会が私に刃を?」
「……」
返事はなく、無言で輪を狭めてくる、黒装束たち。
その陣形には隙がなく、さらには、魔力の高まりすら感じる。
シルフィも魔力を高め、魔術攻撃への耐性を高めて攻勢に備える。
じりじりとした、ひたすらに精神を消耗する持久戦。
体感的には何時間も経ったのではないか、と思えるほどの時間の後。
「……ちゃんばらも面白いのですが、もう少し、派手な魔法のやりとりでもしてくださいよ」
突如、脇からかけられた言葉に、はっとして、シルフィはそちらに向けて剣を構え直した。
……迂闊。まったく、気がつかなかった。
しかし、不意を食らったのは奇面集団も同様だったらしく、陣形を変え、周囲に気を配る車座の防御型の陣に変わっている。
……あいつらの仲間でもないのか。
シルフィは、冷や汗を垂らす。
『教皇の長い腕』、『黒き使徒』、『歩く断頭台』、『生ける死神』などと恐れられ、隠密能力、探索能力に秀で、さらには、暗殺術にも長けた教皇直属の暗殺集団『第十三騎士団』。
その中でも、わずか十名の者にしか与えられないといわれる、古の神を象った仮面『古神面』。
その仮面を与えられし十名の『聖騎士』たちの、その索敵能力すら凌駕する相手が今、突如、戦場に乱入してきたのだ。
一瞬の静寂の後に、かつんかつん、と闇夜に足音が響く。
そして、蠢く闇が、突如、人間の姿をとったかのように、そいつが現れた。
「……子供?」
シルフィは訝し気な声音でもって呟いた。
現れたのは燕尾服を着こんだ執事風の美少年だった。
柔らかそうなショートの黒髪、体格は小柄だ。
「ほらほら、早いところドンパチをしてください。……早くしないと、やっと隔離できた彼が現れてしまいますから」
そういって、パンパンと手をたたく燕尾服の少年。
奇面の者たちは、声をかけあうことなく、ハンドサインで、何やら連絡を取り合うと躊躇なく、全員でもって、『聖光槍』を少年に叩き込んだ。
何の前触れもなかった。
彼らは、相手が誰だろうと容赦がない。
よく訓練されている戦士であることは明らかだ。
「……なっ!」
しかし、その後の光景は、シルフィをして、狼狽の声をあげさせるに、十分なものだった。
……そこには、全身を『聖光槍』にて貫かれた少年が、顔半分を吹き飛ばされながら、にこやかに嗤っていたのだ。
「いやはや、神聖魔法は、抵抗しても、ダメージが通ってしまいますね。やはり、制約的に相性が悪い」
そういって、何事もなかったかのように、身体中に刺さっている槍を無造作に引っこ抜く。
「……ねえ、あなたたち。たしかにドンパチをしてくれと、わたくし、お願いしたのですが、わたくしに、ではなくて、お互いに、当ててください」
そういって、無邪気な瞳を向けてきた。
しかし、その相貌の奥底には、深い深い闇しかなく、この少年が、見た目のような年齢の少年ではなく、何かこう、世界の悪意が凝り固まったようなものであることは明らかだった。
「……って、あー。もう追いつかれてしまいましたか。結構、強力な多次元結界を張ったのですが……」
その少年の言葉と入れ違いになるように、なにもない空間にヒビが入り、そこから一人の青年が現れた。
「ふふふ。追い付きましたよ。さすがの僕も次元の狭間に落とされたのは初めてでしたが……おや、そこにいるのはシルフィではないですか」
「ぜ、ゼクサイス様!」
突然のゼクスの登場に、あまりにも驚いたシルフィは、隠していた耳が、ピョコンっとのびて現れてしまったのも気にせずに、喜色を帯びた歓声をあげてしまう。。
でも、ゼクスが来てくれたならば、もう大丈夫という安堵感にシルフィは包まれる。
「……いやはや。二千年間、いろいろな人間に出会ってきましたが、『次元牢獄』を脱出できた者に出会うのはこれが初めてですよ」
燕尾服の少年、大悪魔ベリアルは、ゼクスの姿を見て、本当に驚いた顔をした。
「……えーっと、あなた、本当に人間ですか?」
「失礼な。僕は歴とした人間ですよ。……おや、ところで、そちらの方々はどちら様ですか?」
そういって、ゼクスは微笑みを奇面の黒装束、聖騎士たちに向ける。
「……」
聖騎士たちは、次の瞬間、音もたてずに掻き消えた。
一瞬の出来事だった。
「……うーん。『帰郷』を仕込んでいましたか」
憮然としたようにベリアルがつぶやいた。
「やはり、周囲を魔術結界で覆っておくべきでしたね。でもまあよいです。わたくしの仕事はだいたい終わりましたから。……さて、では、そろそろわたくしも失礼させていただこうかと」
そういって恭しくベリアルが一礼した。
「! ま、待て!」
シルフィが誰何の声をかけるが、来たときと同様に、闇の中に溶けるようにベリアルは消えた。
「良いのですよ、シルフィ。彼はたぶん、自分の周りのリスクを計算したかっただけだと思いますし」
「……はい」
納得はいかなかったが、そういって、シルフィは、刀を鞘に戻した。
「さて、そろそろ夜になりますね。館に戻って夕食にしないと。シルフィもたまには、僕と一緒にご飯などいかがですか?」
「!! ……え、え! よ、よろしいんですか!?」
ゼクスの柔らかな微笑みを見て、シルフィは、ピョコン、っと耳を飛び立たせ、その頬を真っ赤に染めて、満面の笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆
「……次の任務だ」
真っ昼間。
シュガークリー王国の地方にある、とある酒場。
全身、黒色の服を着込んだ、短く刈り込んだくすんだ金髪を持った、がたいのよい若い男が一人で、度の強いブランデーをグラスにて、ストレートで一息に飲んでいる。
相当な酒豪だ。
彼の首には、十字と月をあしらった紋章を象った首飾りがかけられている。
それは、『西方統一聖教会』、略して『教会』の忠実なる僕であることを示す聖印だ。
……つまり、清く正しく生きるべき教会の神父が、真っ昼間から、酒を飲んでいるのである。
当然、信仰心が篤い信者がその姿を見れば、眉をしかめる行為である。
だが、その若き神父は、そんな非難にはなんら痛痒を感じないのか、美味しそうに酒を飲んでいる。
「……おいおい、ちょっと最近、おれらをこき使いすぎじゃないか」
憮然とした表情を見せる若い神父。
神父の後ろの席で、背中合わせに座っている、人の良さそうな年老いた老人が、活版印刷にて刷られた新聞を読んでいる。
しかしその老人は、特殊な話術を用いて、口を動かさず、若い神父に目を向けることもなく話を続ける。
「今回は、単なる様子見だ。しかも、例の美人と噂のシュガークリーの姫様についての内偵調査だぞ。喜べ」
「ひゅー♪」
嬉しそうに口笛を吹く、若い神父。
「あのシュガークリーの宝石に例えられる、美人さんか。しかしなんだって、また、彼女の内偵を?」
「なんでも、魔王の影がみえるらしい。巧妙に隠しているみたいだがな。……だが、まだ、確証はない段階だ」
「……じゃあ、本当に様子見だけでいいのか?」
「いや。積極的な調査をすべきだ、というのが、猊下の判断だ」
「正直、気乗りしないねー。藪をつついて蛇が出るくらいならばいいが、もっとおっかないものが出てくるかもしれんしな。前回の時みたいに」
「……あやつについては、調査の結果、個体名『ベリアル』と呼ばれる上位悪魔君主であることが判明している。相当な準備をせねば、相対するのも危険なやつだな」
「しかし、なんだってまた、そんな御大層な大悪魔がこんな辺境の田舎国に」
「さてな。もしかしたら、例の魔王の影、とやらに関係するかもしれんぞ。……あと、商工組合の件だがな、あれからは手を引くことになった。なんでも、すでに義理を果たしたのだそうだ」
「やれやれ、義理なんかのために命をかけなきゃならん、従僕の身としては辛いんだがねー」
「ふん。ぬかせ。さて、工作資金と部下については、シュガークリーの王都トルテの教会に準備しておくが、今回のそなたの身分としては、教会本庁の司教職を用意してある」
「やけにご立派な身分だな。……ん。まさか、スパイ以外にも何かやらせるつもりか?」
「御名答。『魔王軍に対する西方諸国家の統一的な基本方針を定めるための準備会合』という長ったらしい名前の会合を、今度、うちが主催して行うのだがな。お前にはそこの事務局次長を拝命せよ、との猊下のお達しさ」
「ま、マジかよ」
「大真面目よ。今回は、会合の準備を隠れ蓑に、大っぴらに王国関係者に会って、探りを入れろ、とさ。特に猊下は、シュガークリーのお姫様の情報をいたくご所望だ」
「……黒いのか?」
目を細めて、猛禽類が獲物を狙うかのような表情を見せる若い神父。
「わからん。猊下の身心は我らにはわからんよ」
「……そうかい。まあ、枢機卿殿にもわからぬ猊下の勅命とあらば、是非もない。教会の忠実なる僕である、このおれに任せろって」
「なんだ。やる気になったのか?」
「ま、今聞いた範囲じゃ、美人な姫さんと懇ろになればいいんだろ? 楽しい仕事じゃないか」
「ふん。下心満載だな。ま、猊下の顔に泥を塗る真似だけはするなよ」
「わかってますって」
そういって、若い神父はグラスを一息に飲み干した。




