第三十話 あらしのしゅうらい
「あそこのみすぼらしい建物はいったいなんなのだ? アインスよ」
「え? あれですか? ……うーん、たぶん、海の家だと思いますけど」
「海の家?」
「はい。海水浴客たちが、ご飯を食べたり、熱い日差しをさけて、休んだりするところかと」
「ふむ。そうなのか。ではあれはなんだ?」
「えーと、あれは……」
今、俺は魔王と連れだって、ゼクスのプライベートビーチの近くにあった、公共の海水浴場を散歩している。
今日はゼクスが、なにがしかの用事があるということで、席をはずしており、さらに、魔王様が、市井の者が、いったいどのような風に、海水浴場にて遊んでいるのかをご視察されたい、という要望を申したので、不肖、この私めが、魔王様の案内役としてついていくことになった。
ん。そういえば、なんで、私が?
カミーナも私の護衛を志願して、一緒についていくと言い出したのだが、さすがにソニヤ姫がいなくなったことを大っぴらにはできないので、影武者として、エクリア城に残ってもらうことにした。
まあ、私の護衛は魔王一人で十分すぎて、お釣りがくるとは思うけども。
……しかし、海水浴場で魔王と並んで歩いていて、なんだろう。すごく見られているなあ。
周りからの視線が痛いほど突き刺さる。
男たちからは、私のこの全身への、欲にまみれたエロい視線が(今日はビキニの上にカーディガンを羽織ってます)。
女たちからは、激しく痛いまでの嫉妬の視線が。
やばい! ここには、私の味方がいない!
「どうしたアインスよ? なんだか難しい顔をしているぞ」
「あ、いえ、なんでもないです」
あははは、と、とりあえず笑って誤魔化す。
しかし魔王は、これだけの好奇の視線を浴びてもまったく動じていない。
男からは嫉妬の、女からは憧憬の視線を全身に受けているであろうに。
さすが、魔王様、といったところだろうか。
「しかし、ここいらの者はこうやって、日光を全身に浴びているわけだな。健康増進のためにも、たしかに、日光浴が有効であることは否定はできぬか」
「あー。まあ、そういった効能は否定しきれませんが、単に楽しいから遊んでいるだけかとも思いますが」
「ふむ。そういうものか。……これが、人間種族のレクリエーションか」
なにやら、ぶつぶつと独り言をつぶやきつつ、考え事をしている魔王。
しばらく歩いていると、魔王がいきなり立ち止まった。
「どうしました、マオール様?」
「……うむ。やはり、先程のところで売っていた、『かき氷』なる、氷菓が気になったのでな」
「かき氷、ですか」
山地に設えた氷室(氷をしまっておく洞穴等)に冬の間、溜め込んでおいた氷を、こういった南方まで持ってくるという商売があり、さらに、冷凍庫の魔法道具が発達しているものだから、非常識この上ないが、この熱い南方の地でも、かき氷が庶民でも食べられるのである。
まあ、もとの世界と違い、かなり値段が張る、高級品ではあるのだが。
「というわけで、俺は少し戻って買ってくる」
「えぇ……」
「……ふっ、安心しろ。そんな哀願するような目で見つめなくとも、アインスの分もちゃんと買ってきてやるからな。では、少し待っていろ」
「あ、ちょっ……」
そう言い残すや、魔王は風のように、どこかへと消えてしまった。
本当に一瞬の出来事だった。
……。
……あれ、もしかして、また私、一人で取り残された?
とたんに心細くなる。
つい先程までの、安心しきった気持ちがどこかへと消し飛ぶ。
えーっと、いきなり最強の護衛がいなくなってしまったのですが。
キョロキョロと、私に忠実な、子犬型悪魔ベリアルを探すが、残念ながら近くにはいない。
そういえば、なにやら朝方に出掛けていったことを思い出す。
魔王が近くにいない今、まさしく、私の防具は、この身につけた、頼りない布切れのみだ。
ひー! 狼さんたちの群れに、羊さんを一人で取り残さないで欲しい!
「……ねー、君、ちょー可愛いね。今一人?」
案の定、魔王がいなくなってすぐに、私はチャラい男どもに囲まれてしまう。
って、あなたたち、五名って多すぎじゃない?
暇なの?
「僕たちと一緒に遊ばない?」
「すごく楽しいよ」
「まじでまじで」
逃げ場を塞ぐかのように、チャラ男たちに、周囲を囲まれる。
これは確かにうざい。
「も、申し訳ありませんが、今、連れを待っているところですので」
とりあえず無難に断っておく。
「え? 君みたいな可愛い子を置いてく彼氏なんて、いらないじゃん」
「そうそう」
「無視して、俺らと楽しいとこ行こうぜ」
「……い、いえ、そ、そういうわけには」
しかし、なんだか、だんだんと怒りがわいてくるな。
なんで、私がこんな目に遇わないといけないのだ。
それもこれも、全て、魔王が私を放っておいて、どこかへ行ってしまったことが原因だ。
魔王はちゃんと、私をエスコートしないといけない。その義務があるはずだ。
本当にそう思う。
うん。そうだ。
「ほら、行こうぜ」
チャラ男のうちの一人が私の腕を引っ張って、無理やりに連れていこうとする。
「だから、やめろって言ってるでしょ!」
つい反射的に手首を返し、相手の手首の関節を極める。
相手が怯んだ一瞬の隙に、強引に手を離してしまった。
普段のカミーナとの鍛錬の成果が、こういった形で発揮されるのは、まぁ、仕方がないよね。
「あ、痛ー」
そんなことを言って、笑いながら私の方へとにじりよってくるチャラ男。
そして、その周りの男たちもニヤニヤ笑いを始める。
「……ぐっ」
だから、結局、なんでこういう展開になるんだー、と泣きたくなってくる。
どうやってこの場を逃がれようかと、頭のなかでぐるぐると作戦が浮かんでは消える。
いけるか……やれるか……私。
ふつふつとお腹の奥底、ヘソの下の丹田あたりに気合いを入れる。
そう。我がシュガークリー王家は武門の家柄。
ここで、引いたら、武家の名が廃る!
私は誰だ。
そう、私はシュガークリー家の第一王女、ソニヤだ!
……
…………
「はあぁぁぁぁー!」
気合いをいれつつ、腰だめに拳を構え、腰のバネと、足の歩法を駆使して、渾身の右ストレートを、目前のチャラ男の鼻筋に叩き込む。
「ぶへぇ」
目の前のチャラ男が、鼻血を撒き散らしながら、ぶっ飛ぶ。
呆気に取られている右側の男の、その顔面の右側面に、間髪いれず、振り返り様、回し蹴りを叩き込む。
「おごぉ」
たまらず、男が膝をつき、崩れた。
そして、周囲の男たちを見据えると、相手の目つきが泳いでいる。
どうやら、こちらが思いの外、強く、怯んでいるみたいだ。
私はその隙を見のがさず、男たちの中での、リーダー格らしき、がっちりとした男に飛びかかる。
リーダー格の男は無我夢中で、こちらへと拳を振り下ろしてくるが、手刀でもって、その腕をいなし、相手の側面へと回り込む。
「……あ」
男が、呆けたような声をだした。
私は、その声を聞き流しながら、男の顎へと掌底を叩き込む。
そして、タイミングよく、足払いもかける。
男が、のけ反りながら、気持ちよく宙を舞い、頭から地面へと叩きつけられる。
そして、周囲に静寂が訪れる。
ふっ、決まった。
「……あなたたち、まだやる気?」
そして、私は勝ち誇ったどや顔で連中を見下ろしてやるのだ。
…………
……
……っていう、私の華麗なる戦闘を頭の中でシミュレーションをしていた矢先、異変が起こった。
「って、おい」
「あれって……」
「やべーよやべーよ」
そんなことを口々に言い合いながら、目の前のチャラ男たちが、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
……ふっ、どうやら、私のこの隠しきれない強キャラオーラに今さら気づいたらしい。
たわいもない雑魚どもめ。
しかし、不思議なことに、チャラ男だけでなく、周囲の人間たちが、次々に悲鳴をあげながら、先程のチャラ男たちが逃げていった方向に向かって、逃げ去っていく。
ん。なんだか、違和感が。
恐る恐る、後ろの海岸の方を見ると、海水浴客たちが、悲鳴をあげつつ、我先にとこちらに向けて逃げ出していた。
私はそんな中、呆然とつっ立っていた。
そうしたら、そいつは、私の目の前までやってきた。
「ふふん! ついに見つけたわよ、売女」
目の前の巨大なそれの、頭の上から声が聞こえる。
なんてことはない、以前にトルテ中央市場で出会った、例の名状しがたき巨大なタコ生物が、目の前で仁王立ちをしていたのだ。
ただ、前回出会ったときとちょっとだけ違う。
それは、そのタコの頭に、ちんまりとした人影が立っていたのだ。
「…………って、やっばーーーい!」
私は一目散に走り出した。
こんな化け物の相手をするのは私の仕事ではない。
くそっ! なんという低級なマスタリングをするのだ、この世界のキーパーは。
初心者の探索者相手にいきなり、旧支配者であるクトゥ◯フをけしかけるというのは、最低のマスタリングだ!
もし、私がTRPGのプレイヤーだったら、リアルに、キーパーに対して拳を叩き込んでいるところだ。
……しかし、やはり、相手と私のサイズの違い、それに、地面が砂場なため走りにくいということもあり、しばらく走ったところで、砂場でスッ転んで、タコの怪物に追いつかれた。
「……くっ」
万事休すか。
そう思ったところで、おもむろに、タコの怪物の頭の上に乗っていた、ちんまりとした人影が、「はっ!」という気合いの入った声とともに、飛び降りてきた。
そいつは、空中にて綺麗に一回転をし、地上にて、しゅたっと、惚れ惚れするような着地を決めてみせた。
そして、すーっと、立ち上がるや、私を睨み付けてきた。
見た目は可愛い女の子だ。私よりもやや幼いように思える。
黒髪のストレートで、和風な感じの可愛らしい風貌。
しかし、着てる服がふりふりの黒ドレス。ぱっと見、ゴスロリ服だ。
その女の子が私に向かってしずしずと歩いてきた。
そして、私の目の前で、立ち止まるや、ぐいっと、こちらに指を突きつけてきた。
「お兄様に近づく、この薄汚い売女!」
い、いきなりこの少女は何を言うの?
「え、えーっと、ひ、人違いではないかしら?」
両手をあげて降参のポーズをしつつ、弁明を始める。
「ふん。しらばっくれる気ね、この売女。お兄様をたぶらかす、この魔女めが、 今日はあたしが、お前を成敗しに来てやったわ!」
そういって、手のひらを顔の前に持ってきて、ポーズを決める少女。
……え? 誰、この子?




