第三話 はくばのおうじさま
「ソニヤ姫、お久しぶりでございます。パプテス王国のシロットにございますが、覚えておいででいらっしゃいますか?」
俺の前で、線が細い若い男が跪き、手の甲へとキスをしてきた。
次の日の午前。明日からの婚約記念パーティーへと出席するために、隣国パプテス王国の第一王子であるシロットたち一団がシュガークリー王国へとやってきた。
若い王子が跪き手の甲へとキスをするシーンは、まるで映画の中から抜け出してきたみたいな感じのビジュアルで、このシーンだけ切り取ってみたら、それはそれで絵になるだろうな、などと益体もなく考えてしまう。
あー、でも、なんか変な気分だな。
男に手の甲にキスされたところで、なんとも思わない。
まぁ、たしかに、今、俺は女の容姿であるので、ビジュアル的には問題はないのだが、一日二日といった短い期間で、俺のマインドを女へとチェンジしろ、といわれても土台無理な話ではある。
若い男、シロット王子が顔をあげ、俺と目が合う。そして、にこりと笑いかけてきた。
真っ白な歯並びを、きらりと見せながら笑いかけてくるのが、妙にキザったらしく、俺をちょっとだけイラっとさせる。
この王子は、線は細く、イケメンというほどではないものの、普通よりはまあ良いくらいの顔立ち。男の俺が評しても、清潔感がある顔立ち、といっていい。
ただ、がたいの良さは周囲の衛兵たちと比べると、少なくとも戦いには向いていないだろうな、とは思わせる細さだ。
で、この男の顔をしげしげと見続けていると、ふと思い当たることがあった。
……この男、あれだ。ゲーム『鬼畜凌辱姫』の冒頭で、俺(魔王)に最後まで抵抗して、ソニヤ姫を守っていた男だったんだな。
顔面をくしゃくしゃにして、泣き叫びながらも、それでも慣れない剣を振り回して、姫を救おうとした健気な男。
まぁ、ゲーム中では、一瞬のうちに魔王様に首を切り飛ばされ、駆逐されてしまったんだがな。
所詮はモブの悲しみ、といったところだ。
しかし、俺はゲーム中、てっきりこいつは衛兵か何かなんだと勘違いしていたんだが、本当は隣国パプテス王国の王子様だったのか。
やっぱりゲーム内でのどうでもいいNPCの扱いは、そりゃまあ、あんまり良い設定はもらえないよな。仕方がないけど。
というよりも、もっと端的に評すれば、むしろ顔立ちに関しては魔王様の方がずっと良い。
魔王は主人公の分身だから、当然のようにイケメンに設定されているのだ。
でもまあ、そのことを差し引いて考えても、この王子はあっさりと殺される役どころであるのか、普通な顔立ちだ。かわいそうになあ。
「シュガークリー王国のソニヤでございます。シロット殿下。本当にお久しゅうございます」
侍女のカミーナが念のためといって、昨日、今回の婚約記念のダンスパーティーに参加する関係者について、事前に一通り教えてくれていた。
どうやら能天気でアホな子の俺が、全てを忘れているのではないか、と疑ったらしい。
しかし、俺としては大助かりだった。
グッジョブ、カミーナ。
……そもそも、NPCたちの名前なんてぜんぜん知らねーよ。ゲーム内では、そもそもそんなNPCたちに固有名詞なんて出てこなかったし。
俺は、跪きながら、こちらと目があっているシロットに、なるべく優雅に見えるような微笑みを返す。ちなみに王子たちが到着するまでの昨日の夜に、だいぶ鏡の前で練習をした。
「あぁ、ソニヤ姫こそ、相変わらず、本当にお美しい」
さわやかな笑顔でシロット王子は俺に笑いかけてきた。
そして、素早く立ち上がるや、俺の腰に手を回してくる。
ん。お前。急になれなれしくないか?
「シロット殿下。長旅、お疲れ様でございます」
だが、俺は、鋼鉄の自制心を総動員して、微笑を浮かべながら、シロットたちの旅の苦労をねぎらった。
前世(?)からこちら、デスマーチ進行という名の死線を何度も越えている。
この程度の障害を越えることなど、俺にとっては朝飯前である。
「今宵、ささやかな歓待の宴を御用意させていただいております。明日の婚約記念パーティーでは、私たちは互いに、忙しく働くことになろうかと思いますので、今日は、どうぞ、それまでの間、ごゆっくりしていただきたいと存じます」
……明日の夜は、まさに、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。俺のこれからの人生が全てかかっている、と言っても過言ではない。
明日に備え、今日は、ゆっくりと休んで英気を養わないと。
「ん?」
……ところで、この王子。さっきから、視線が俺とあっていない。
よく見ると、俺の胸の方ばかり見ていやがるな。
しかし、女の身になって気が付いたんだが、思った以上に、相手の視線は、わかるもんなんだな。
まぁ、正直、あまり、良い気分ではないんだが。
◆◇◆◇◆
……さて、王子たちとは、夕方の宴の時間まではお別れをして、湯浴みの時間だ。
シロット王子は、最後の最後まで、俺と別れての準備に対して大いに抵抗し、一分一秒でも俺とともにいたい、と言っていた。
最後まで名残惜しそうにしてはいたのだが、さすがにこちらにも式典などの準備がある、といって強引に別れてきた。
少しは俺を休ませろ。
ここ、『ガイコーク砦』は、シュガークリー王国の北西の辺境の地に位置しているが、魔王領との国境付近の警戒のための司令塔たる大砦である。
付近には、大きな城下町もあり、辺境の地ながら、設備は十分に整っている。
なので、なんとこの砦には、お風呂も湯船つきの立派なものが備わっているのだ!
……ただ、この世界では、毎日湯船につかる、という習慣はないらしく、湯桶に湯をため、布にて体を拭うか、蒸し風呂を数日に一回使う程度らしい。
個人的には納得できないところではある。
が、郷に入れば郷に従えの格言通り、あまり文句は言わないことにしたのだが、今回、王子との手前、身を清めたい、という大義名分を得て、なんとか湯船つきのお風呂に入ることができたのであった。
風呂場では、カミーナの手を借りて、衣服を脱いで、自分の身体を隅々まで点検する。
まさに、CGどおりの肢体である。
着やせするタイプで、脱ぐとすごいんです! を地でいくプロポーション。
その上、ロリ顔巨乳。
まさに、男に媚びるためだけの外見だ。
まぁ、ゲームで襲う分には楽しいんだが、逆に襲われる立場になってみれば悲惨なことこの上ない。
「湯加減はいかがでしょうか?」
侍女のカミーナが聞いてきた。
俺は湯船につかりながら、考え事をしていたのだが、現実に急に戻された気分になる。
ただ、この悪夢は晴れてはくれない。
「……うん。気持ちがいいよ。あ、そろそろ体を洗おうかな」
「承知いたしました、お手伝いさせていただきます」
そういって、カミーナが服を着たまま俺の側に立ち、身体中をスポンジのようなもので洗い出した。
石鹸のようなもので泡立てている。
ん。この世界にも石鹸があるのか?
まぁ、エロゲーの世界だから、普通の中世ファンタジーっていうわけではないんだな。きっと。
で、身体中を洗い終わった後、そこでふと考え付いたことを実行したいと思った。
「ねぇ、カミーナ。少し、一人で考え事をしたいんだけど」
「承知いたしました。なにかございましたら、お声かけしてください」
「ん。ありがとう」
カミーナが風呂場から出ていったのを確認して、俺は一人、鏡の前に立った。
そして、おもむろに、例の有名なポーズである、両手にてピースサインをつくり、顔を歪め、恍惚な表情、あへ顔を作ってみた。
…………。
まさにあのCGのとおりだ……。
うう……いやだ。
絶対に避けたい……。
そんな強固な思いを胸に抱き、肩まで湯船へと浸かった。
絶対に逃げ切って、この地獄から生き残ってやる、と。
◆◇◆◇◆
その後、夕食の宴にて、王子たち一行を歓待した。
シロット王子たちに愛想笑いを振りまきながら、一緒に食事をする。ついでに酌なんかも少ししてやる。
まぁ、ホストのサービス精神の発露という奴だ。
取り分けられた、牛肉の煮込みスープを一口いただく。
ん。お肉が柔らかくておいしい。良い肉使ってんな、これ。
「……ふっ。ソニヤ姫。あなたへの詩を、そう。私の心の想いをしたためた詩を、あなたのためだけに用意して参りました。ぜひとも、今宵。あなたへとこの詩を披露する、二人だけの時間をいただけないでしょうか」
少し頬が赤くなっている、ほろ酔いのシロット王子が、俺の方へと熱心な視線を向けながら、語りかけてきた。
セリフはなかなか、格好いいとは思うんだが、ちょくちょく俺のドレスの、胸の谷間を見ながら言っているので、その下心がばればれだ。
「申し訳ございません。殿下。本日は気分が優れませんので。……あなた様の詩を聞けないこと、とても残念ではございますか、これにて下がらせていただきます」
冷徹に俺は言い放ってやった。
◆◇◆◇◆
「……聞いていたのとは、だいぶ違うな」
自室にこもり、苦笑しながら麦酒を一人煽り、独り言を呟くシロット王子。
「ガードがだいぶ固い。ソニヤはロマンチストなやつ、と事前に聞いていたんだがな。でもまぁ、見た目に関しては、たしかに、西国一の美女、と言われるだけはある」
薄笑いを浮かべながら、グラスの中の麦酒を飲み干す。
「まぁ、今回は正式な婚約記念のパーティーだ。これを乗り切れば、相手から俺たちの縁談話を壊すことは難しくなる。今回、お預けを食うのも、まぁ、我慢のしどころ、というやつかな」
シロットは、早くソニヤを自分のものとしたくて、鬱々としながらも、麦酒をもう一杯あおるのであった。