第二十五話 かめんぶとうかい
うわぁー、すごい!
つい、心の中で唸ってしまった。
商工組合の地下に、こんなにも規模の大きいホールがあるとは。
大きさ的には、学校の体育館ほどはあるだろうか?
天井までの高さも優に十メートルを越えようかという大きさだ。
しかも、その壁や天井に施された、絵画や細工物の装飾の見事さといったら。
金箔を施された、竜、獅子、鳳凰や、一角獣なんかの彫刻、天井の天使や悪魔を描いた油絵、それに壁一面に勢揃いしている英雄たちのものと思わしき胸像郡、あとは、ホールのまん中の、天井からぶら下がっている巨大なシャンデリアなどなど、どこぞの王公貴族が、全財産つぎ込んでも到底築けなさそうな代物だ。
うちのシュガークリーの王宮の装飾品なんて目じゃない。
これが、本当の金持ちってやつか!
そんな風に俺が心の中で唸っているのを知ってか知らずか、ピエロのマスクで目元だけを隠したゼクスが、隣で微笑みを浮かべている。
どうやら、ホールに到着した最後の入場者が私たちだったらしく、ずしーん、と背後で重々しく扉が閉まる。
まるで、その扉が締まる音が合図であったかのように、少し騒がしかったホール内に静寂が充ちていく。
十分に静寂が充ちた後、客たちが焦れ始める、という絶妙のタイミングでゼクスが口を開く。
「紳士、淑女の皆様。今宵、私、ゼクサイス主催の仮面舞踏会へとご参加いただきましたこと、まことに感謝申し上げます。皆様におかれましては、お時間許す限り、ごゆるりとおくつろぎ下さい」
静寂の中、ゼクスの声が響き渡る。
「今回はパーティーの余興も準備してございます。では、皆様ご歓談ください」
さあ、魔宴が始まった。
◆◇◆◇◆
「さて、ソニヤ様。僕は皆さんに挨拶をしてこなけばならないのですが、もしよろしければ、ご一緒にホール内を回っていただけないでしょうか」
えー。めんどい。
でもまぁ、ここでは、顔を広く売る、知り合いの幅を広げる、ということに全力を挙げねばなるまい。
というわけで、心に覚悟を決めて口を開いた。
「こちらでゼクサイス様が戻ってくるのを、お待ちしておりますね」
いやー。むりむり。
いきなり、社交的な人格に、マインドを切り替えるなんて、どだい無理な話だから。
今日のパーティーへの参加は、次回への地均しということにして、仮面舞踏会の雰囲気に馴れることに専念することとする。
うん。そうしよう。
なので、決して、私は心がぶるって、尻込みしたあげく、チキンに尻尾を巻いてうずくまっているわけではないのだよ、ワトソンくん。
「……そうですか。でもまぁ、無理を言うわけにはまいりませんね。では、申し訳ないのですが、僕はしばらく、席をはずさせていただきますね」
「あ、はい。いってらっしゃいませ」
私はきらびやかな仮面の下で微笑みを浮かべる。
私のマスクは、顔の上半分が蝶々を象ったマスクにより隠されている代物だ。しかも黒色。
着ているドレスも今日は黒色を基調としたものなので、なんとなく、鏡で見たら悪女っぽく見えた。
うーん、ちょっとけばけばしい気もしたけど、気にしたら敗けである。
そんなわけで、今は一人でちびちびとグラスで葡萄酒を飲みながら、壁際に背中をつけて、周囲に聞き耳を立てている。
今回のパーティーには、そんなに甘口のお酒がないのが悲しい。
「……ほぉ、新しい投資先を」
「……新たな鉱脈の可能性が高い土地を見つけまして」
「……パプテス王国が、王位継承で揉めて最近キナ臭くなってきまして」
「……ここだけの話、彼の国から、新しい魔法技術が提供されまして」
やはり、ゼクスの知り合いたちばかりだからか、どこの話に耳を傾けても胡散臭く、ヤバそうな話題しか入って来ない。
王家のパーティーと比べると、その出席者が違うためか、情報の質がかなり異なる。
具体的にいうと、王家のパーティーだと貴族のゴシップネタがメインの話題になるのだが、こちらでは、国際情勢や経済関連の話が多い印象を受ける。
でもまぁ、実は、私の得意分野である。
これでも、前世では、軍事関係や国際経済に明るかったのだ。
……まぁ、この世界の関連知識は乏しいのだが。
そんなわけで、興味深く周囲の話に耳を傾ける。
ホールの中央では、舞踏会を謳うだけあって、十名以上の人間が踊りに興じている。
まぁ、私としては、誰かと踊るために、自分から相手を誘うようなことをするつもりはないので、基本、待ちの姿勢である。
しかも、私をエスコートするべき人物であるゼクスは、挨拶回りに出てしまっているしね。
そんなわけで、割と暇な感じでぽーっとしていた。
なにもせずに酒が飲めるというのは、これはこれで楽しいのであまり文句はない。
おつまみをもった使用人がそこらを歩いているので、声をかけて、ハムとチーズをのせたビスケットなどを軽くいただく。
うん。いいね。
と、そんなときだった。
「君、一人かい?」
おおーっと、ナンパですか?
「あ、えーと。今は連れが挨拶回りをしてますので一人ですね」
茶髪のチャラそうな若い男が声をかけてきた。
体格はわりとガッチリとしている。
「おーけーおーけー。いやなに、俺様も参加はしたのはいいんだけど、連れは、俺様の話を聞きたがるばかりで、おもしれーことは、何一つ言わねえ。で、つまらんから放ってきちまった、というわけさ」
私は気軽に話しかけてきた茶髪の男を観察する。
顔の上半分は、◯い彗星のシャ◯が被っているみたいな、シンプルな白いマスクに覆われているが、全体的にチャラい印象を受ける。
だが、鍛え抜かれた私の第六感が、こいつは只者ではない、という警告を私に与えてきている。
普段から、魔王や、ベリアル、カミーナなどの人外連中と楽しく付き合っていると、その辺りの感覚が磨かれてくるのだ。
すぐにでもベリアルを呼ぶべきか否か悩むが、火に油を注ぐことにもなりかねないので、とりあえずは様子を見ることにした。
「あー。私の名前はアインスと申します。あなた様のお名前を伺っても?」
咄嗟の判断で偽名を持ち出す。
今は仮面舞踏会。お忍び中なのだ。
「俺様か? 俺様の名前はベヒモスっていうもんだ。ま、地元じゃ、結構な有名人なんだが、ここらじゃ、あんまり知られていないみたいだけどな。よろしく」
気軽に背中をバシバシと叩いてくる。
確かになれなれしい。
「はぁ。よろしくお願いします、ベヒモス様」
「おう。ところでよ。正直つまんねーんだけどさー。何か面白いものでもないのかねー、ここにゃ」
「はぁ。そう言われましても」
私だって、別に面白いことを知っているわけではない。
「お。俺様良いこと考えちまったぜ」
「良いことですか?」
「おうよ。俺様とお前とで、どこかの部屋へ行くだろ」
「ふむふむ。それで?」
「で、服を脱ぐ」
「はい」
「そして、一緒に楽しいセッ◯スをするんだよ」
「……は?」
こいつ、頭の中にウジ虫でも飼っているのかな?
「……えーっと、なんと言いますか、ベヒモス様にはもっと良いお相手がいると思うのですけども。私なんかではなく」
「あぁ、安心していいぜ。俺様、子供は出来ない身体だから、俺となら純粋に肉欲だけ楽しめるって寸法よ。で、どうよ」
いかん。話が通じない。
「お前にとっても良い経験になると思うぜ」
うーん。
こいつ、だんだんと鬱陶しくなってきたなー。
どうしてくれようか。
「あー、えーと、あのー……」
どうこの場を切り抜ければ、丸く収まるだろうかと、思案をしていると、ちょうど良いところにゼクスが帰って来た。
「お客様。私の連れがどうかいたしましたか?」
ゼクスが、ベヒモスと私との間に身体を潜り込ませ、爽やかな笑顔で相対する。
ゼクスの姿を見やったベヒモスは、ニヤリと獰猛な笑顔を浮かべる。
「いいね。こちら側にも、中々できる奴がいるじゃねーか」
ベヒモスは楽しそうに喋っているが、身体つきが、一段階大きくなったようなプレッシャーを感じる。
ベヒモスは徐々に臨戦態勢に移行しつつあるよつに、闘気を高めている。
「ダメですよ、お客様。こちらでの『約定』をお忘れですか?」
「あんな『制約』には、俺様、縛られねーよ」
「……はぁ。仕方がないお客様ですね。でしたら、こちらも実力行使をするしかなくなるのですが」
ゼクスが、身体中の力を抜き、自然体でベヒモスに相対する。
「いいねぇ。面白ぇ。やっぱ、そうじゃなくっちゃな」
そういって、ベヒモスはニヤリと嗤った。
「お前の得物はなんだ?」
ベヒモスの問いかけに、しばし黙ったゼクスが、少しだけ離れたところにある、人の輪に向かって声をかけた。
「……マオール様。よろしくお願いいたします」
「へ? マオール様、いらっしゃるんですか?」
つい、間抜けな声を漏らしてしまう。
輪の中心で、何人もの女性たちと楽しそうに話をしていた人物が、二言三言、周囲の者たちへ声かけした後、こちらにやってきた。
「ん。どうした、ゼクス?」
ふらりとこちらにやって来た人物は、顔全体が、ブードゥー教の仮面みたいなもので覆われており、かなり怪しげな人物だったが、背格好といい、その声といい、まさに魔王だった。
お前、なんでこんなところで楽しんでいるんだよー。
「……げ」
ベヒモスが魔王の姿を見かけると、急に脱力して、及び腰になっている。
どうやら、こいつも、魔王の関係者みたいだな。
「お。ベヒモスじゃないか。なんだ、お前もこちらに遊びに来てたのか。来るなら来ると、ベルゼブブにでも言っておいてくれたら良かったのに」
親しげにベヒモスの背中をバシバシと叩く魔王。
「お、お久しぶりです、マオール様。アインスでございます」
私も近づいてペコリと頭を下げる。
「ん。アインスも参加していたのか。来るなら来ると先に言ってくれれば良かったのに」
「……も、もしかして、お嬢ちゃん。マオー様と知り合い?」
先程までの威勢はどこに行ったのやら、急にベヒモスが下手になって聞いてきた。
「あ、はい。マオール様とは、親しくさせていただいております」
私は、マオール、と言い直してあげた。
一応、こちらでは魔王であることは隠していることになっているはずだからな。
「ベヒモス。俺の名前はマオールだ。間違えるなよ」
「あ、はい。さーせん」
素直に頭を下げるベヒモス。
「ふふ。どうやら、お客様も落ち着かれたことですし、ダンスの余興でもいかがですか。そうですね、まずは、僕と踊っていただけますか」
ゼクスが、私の方に近づいてきて、恭しく跪き、私の手の甲にキスをしてきた。
「あ、はい。喜んで」
あわあわしながら、答える。
こういうことは、いつまでも経っても慣れない。
「ふふふ。かわいいですね。では、アインス(・・・・)様、とお呼びした方がでよろしいですか?」
「……はい。それでよろしくお願いいたします」
とりあえず口裏を合わせてもらった。
しかし、いったいこいつは、私のことをどこまで知っているんだ。
「ほら、ベヒモス。お前には少し相談があるから、ちょっと、こっちにこい」
「わーってるって。だから、そんな風に首に腕を回すなよ!」
楽しそうに魔王とベヒモスも、歩いていってしまった。




