第二十三話 こころとからだをあらいながす
「ふー、生き返るー」
俺は、銭湯の浴槽のなかでのびをする。
八畳くらいの大きさの湯船が三つある大きな女湯だ。
お風呂の水は熱すぎず温すぎず、ちょうどよい湯加減で、いつまでも入っていられる適温だ。
周りを見回すと、さすがにお昼どきであるからか、銭湯に入りに来ている客は非常に少ない。
私以外の客としては、紫色のさらさらとした髪の毛をした可愛い少女が一人だけいる。
そういえば、あの子、どこかで見覚えが?
既視感を感じるが、このあたりの子だと思うので、昔、どこかの道端でばったりと出会ったのかもしれない。
今、私は、魔王の紹介により、白鷺亭の近くの銭湯にやって来ている。
どうもここの銭湯は新築らしく、石造りの湯船や、捻るとお湯が出る陶器製の蛇口など、どこもピカピカだ。
しかし、この銭湯、なんでいきなりここで商売を始めたのだろう?
首を捻ってしまう。
風呂場の壁には石のタイルを使ったモザイク画みたいな絵で飾られており、なんとなく、日本の銭湯に似ているような気がしないでもない。
んー、既視感?
ちなみに魔王は、毎日、ここの風呂を利用しているらしい。
なんでも、お得意様しか利用できない貴賓室を使っているのだとか。
私も貴賓室で、魔王と一緒のお風呂に入ることを誘われたのだが、丁重にお断りして、普通の女湯に入ることにした。
なんで、私の裸を魔王に見せてやらねばいかんのか。
まぁ、減るものでもないし、絶対にダメかと言われると、そこまでの拒否感はないのだけれども……。
私たちが銭湯に到着したときは、もう少しで清掃のために営業を終了する、というタイミングだったので、風呂に入れたのはギリギリセーフという感じだった。
というか本当は受付時間的にアウトだったのだが、魔王がごにょごにょと受付で交渉したところ。あっさりとOKとなったのだ。
魔王。ぐっじょぶ。
ここの銭湯は男女が分かれて入浴するシステムになっており、混浴ではない(ただし、貴賓室を除く)。
男湯、女湯のそれぞれの脱衣場では、棚の上にかごが置かれ、この中に脱いだ服を置くことになっている。
それとは別に貴重品は、個別に店員さんに預けるシステムだ。
まぁ、はっきりいうと、現代日本のお風呂そのものである。
エロゲーが元となった世界とはいえ、日本のシステムを丸パクリしすぎだろ、この世界。
まぁ、慣れ親しんだシステムではあるので、文化的に戸惑うことが少ないのは、助かるといえば助かるのだけれど。
とりあえず、先程まで、石鹸(しかも、割と泡立ちもよく、この世界の化学に関する発明はそこそこのものがあることが見てとれる)で、身体中を念入りに洗ってみた。
身体中を徹底的に洗ったものだから、もうあのぬるぬるな、白いタコの体液は身体についていない。
というか、あのぬるぬるした体液は、保湿効果とか、美肌効果なんかが実はあったのかもしれず、洗い終わった後、肌がすべすべになった気がする(あくまでも個人の感想です)。
あのタコモンスターは食材としてよりも、美肌効果のクリームの原材料としてあつかい、このクリーム?を商品化することにすれば結構な売り上げがだせるかもしれない。
まぁ、どれだけ、あのタコのモンスターが生息しているのかはわからないけれども。
というか、あれをどうやったら、飼育できるのかもまた謎だが。
そんなどうでもよいことを考えながら、湯船に浸かっている。
ふー、極楽です。
ふと壁際の時計(魔術的なものらしく、ある程度の規模の建物ではよく見かける)を見ると、すでにお昼をそれなりに過ぎてしまっている。
さっさと準備をしないと、午後からの公務に遅れる。
というわけで、早いところ、お湯から出なければいけない状況なわけだが、お尻に根っこがくっついてしまったようにどうにも動けない。
うーん。極楽なのです♥️
……あれ? そういえば先程までいた、紫色の髪の毛の少女は、いつの間にかいなくなっている。
あー、結構、時間が経ってしまったのかもしれない。
「うー。仕方ないけど出るかー」
気合いをいれて、この極楽空間から抜け出す。
今度、山あいの温泉とかに行くのもいいかなー。
仕事の前の現実逃避の妄想は楽しくてしかたがない。
……私がお風呂から出て、銭湯の休憩所にやってきたとき、魔王は、端から見て、実に気楽な格好で長椅子でくつろいでいた。
いつものかっちりとした黒服ではなく、ベージュ色を基調とした、THE平服、といった感じだ。
しかし、さすがイケメン魔王。そんな風に服を着崩していたとしても様になっている。
イケメンは何をしても絵になるな、なんて思う。
「おぉ、アインスも出たか。風呂はどうだった? なかなか良いもんだろ?」
「あ、はい。お湯を堪能させていただきました」
そう言って、私はペコリと頭を下げた。
そういえば魔王は、植物の茎?から作られたと思われるストローを突き刺したガラス製の小瓶を手に持ち、何かを飲んでいる。
「えーと、マオール様。それは一体なんですか?」
好奇心から魔王に聞いてみた。
「ん? これか? 牛乳だな。なんでも、果物の果汁と、混ぜたものらしい」
おぉ! この世界にもフルーツミルクがあるのか。
お風呂のあとの至高の一杯。
ひ、一口、飲んでみたいなー。
物欲しそうな私の視線に気がついたのか、魔王が牛乳の瓶と、私の顔を交互に見比べ、
「お前も飲むか?」
と、優しい言葉をかけてくださった。
私は当然とばかりに、首をこくこくと首肯した。
「あ、では、少しだけ……」
実は自分でも、一本、牛乳を買おうかと悩んだのたが、やはり時間がもったいないので、魔王の好意を無駄にすることなく、もらうことにした。
ごくり。
うーん。結構冷えている。
火照った身体には気持ちがいいなー。
そういえば、ここの世界って冷蔵庫とかあるのかしら。謎である。
「……アインスよ。その服似合っているぞ」
こちらの方を、見ることなく、ボソッと魔王が呟いた。
「あ、ありがとうございます……」
うーん。誉められて嬉しいんだけど、こんなときどんな反応をしたらよいか悩む。
ちなみに、この服、あなたが私に買ってくれた服ですけどね。
まぁ、私が欲しそうにしていたから魔王が買ってくれたのだとばかり思っていたけれども、実は魔王もこの服を気に入ったから買ってくれた、というところなのかも。
しかし、なんにしても、他人から誉められることは少しくすぐったく、悪い気はしない。
私がもじもじとしていると、魔王が腰の辺りのポーチをごそごそと漁り、こちらに小袋を投げてきた。
「なんですか、これ?」
小袋を受け取った私は、小首を傾げながら聞いてみる。
「貴様はこれから用事があるのだろう? これを食べてから行くがよい。腹が減ってはなんとやら、だ」
小袋の中を開けてみると、中には小さく丸っこい白色の団子のようなものがいくつか入っていた。
一つをつまみ、口の中に放り込んでみた。
噛み締めると、中から甘い蜂蜜が香ってくる。
どうやら蜂蜜入りの小さめのパンみたいだ。
「んー、おいしい♥️」
私がニコニコとパンを食べていると、魔王が明後日の方向をみながら、頬をかきつつ、ボソッと呟いた。
「……今日は、なんだ、その。付き合わせてすまなかったな」
んん!?
魔王が人に感謝をするなんて、珍しすぎな気が。
私は魔王の横顔をじーっ、と見つめる。
……まぁ、今回もいろいろと大変だったけど、終わってみれば十分に楽しかったかな?
私は魔王と視線を合わせ、にっこりと微笑むと、上目使いで、つい言ってしまった。
「また、今度も誘ってくださいね」
私もまだまだ修行が足りないみたいだ。
◆◇◆◇◆
「お兄様に薄汚い売女が近づいているですって!?」
ふりふりの黒ドレス、パッと見ゴスロリ服の黒髪美少女が、すっとんきょうな声を張り上げた。
風貌は和風のお人形さんのような見目麗しいが、その可愛らしい顔が今は怒りではっきりと歪んでいる。
「この報告書の出所は?」
「はい。『元老院』でございます」
フードを被った巨大な人影?が膝をつき、頭を垂れながら報告をする。
「ぬぐぐ……。じゃ、じゃあ、信憑性は高い、ということね」
「はっ。間違いはないかと」
目を閉じ、何かを思案をする少女。
「……私が出撃するしかなさそうね」
「こ、皇女殿下?」
「では、養殖中の『くとぅちゃん』を一匹、直ぐに手配するように。とびきり巨大なものを見繕いなさい」
「し、しかし、陛下の耳にもしも入りましたら大変なことに……」
「これは、お兄様のためでもあるの! さぁ、ぐずぐずしていられないわ! これは聖戦よ」
「…………」
「お兄様に近づく、薄汚い売女! あたしが、天に代わって成敗してやるわ!」
虚空に向かい、少女は力強く宣言した。




