第二十一話 おかいものにいってきまーす
「……で、本日はいったいどういった御用件でしょうか? マオール様」
俺は、箸に突き刺した卵焼きを魔王へと突きつけた後、ひょいと、そのまま口の中へと放り込む。
「むむ」
「一応、これでもソニヤ様の身の回りのお世話をする、という大事なお役目が私にはございますので、ほいほいとマオール様に呼び出されると困るのです。そのへん、わかっていただけますか?」
俺は、魔王の常宿『白鷺亭』にて、朝ごはんの卵焼き定食をパクつきながら、うろんな目で魔王を見つめる。
今日は朝っぱらから、魔王からの急な呼び出しがあったため、王宮での朝飯を食い損ねた。
そのため、こうして、魔王と一緒に朝食タイムだ。
ちなみに、本日も姫は気分が優れないので、午前中は部屋に引きこもっている、という設定になっている。
面会謝絶で。
とりあえず、トラブル防止のために黒猫(?)のベリアルにあとのことは任せておいたので、まぁ、大丈夫だろう。
あいつならば、滞りなく、全てなんとかしてくれる、と思う。
しかし、このままだと、また、健康増進プログラムという名の、カミーナのしごきに耐え忍ばねばならなくなりそうで、ちょっとだけ、ナーバスな気分になる。
「あ、そこのお醤油とってくださいますか」
「う、うむ」
この半熟卵に醤油を少々振りかけ、ご飯と、味噌汁と一緒に食す。うまい!
まあ、ここでの朝食も悪いものではない。
しかし、この世界、味噌や醤油もある。
もはや、なんでもありな気がしてきた。
そろそろ、精霊を使った自動計算機とか、蒸気を使ったロボットとかがでてきても驚かないだろう。
「まったく。なんだか、態度が日に日に悪くなっているな。貴様」
ナイフとフォークを器用に使いながら魔王様は、食事をなされている。
ご飯茶碗から、ナイフとフォークとで米を取り分けるのも、中々シュールな光景だが、まぁ、見た感じ、こなれた印象を受ける。
たしかに、魔王には貴族の風格があるなぁ、などとその食事風景をぼんやりとみながら思う。
ちなみに、どうして私がここでこうして魔王とともにご飯を食べているのかという経緯をざっくりと述べると、なんのことはない、朝っぱらに、魔王から渡された例の魔法の品で呼び出されたのだ。
見た目は黒いプラスチックっぽい光沢の棒がプルプルと、まるで、携帯のバイブレーションのように震えた。
そう、魔王と別れてから一週間目にして、ついに参集命令が私に下されたのだ。
そういうわけで、仕方がなく、私はこうして、甲斐甲斐しくも、朝から白鷺亭へとくる羽目になったのだ。
まぁ、口では、ぶつぶつと言いながらも、私の中での魔王関係の呼び出しはプライオリティが最も高い。
全ての他の仕事を投げうってでも、魔王の相手をしなければならない、とは認識している。
主に私の将来の平和と安寧のために。
しかしながら困ったことに、本日の午後には、なかなか欠席ができない宗教関係の行事出席が父親に入れられてしまっているので、その準備も考えると、なんとか昼過ぎには帰りたい。
……でもまぁ、最悪、それすらも無理ならば、体調不良で押し通すしかない。頼むよ。ベリアル。
そういうわけで、今日は早いところ帰らないといけないから、さっさと魔王の用件を聞き出し、そのろくでもない用事を迅速に処理することが、今日の私のミッションだ。
「で。何をすればよろしいんですか? 私は?」
こういった理由で、つい、魔王に対する態度が雑になってしまうのは許してほしいものだ。
私にだって、腹の虫の居所が悪いときだってある。
ちなみに、女の子の日だから怒っている、とかそういうわけではないことも付け加えておく。
……しかし、この前の出血大サービスのときは、大変な目に遭った。
つい、遠い目で外を見てしまう。
「まぁ、貴様のその不遜な態度も、俺の前へと急ぎやって来たことに免じて許す」
「はぁ。ありがとうございます」
とりあえず、何だか知らんが許された。
視線を魔王へと戻す。
「さて、アインスよ。今日、貴様を呼んだ理由はなにか、わかるか?」
「え、えーと……」
そんなのわかるか!
でもまぁ、きっとろくなものではないという予感はある。
「ふふふ。どうやらわからぬと見える。では、優しい俺が、お前に教えてやろう」
そこで、一旦、言葉をきり、やけにもったいぶる魔王様。
「はぁ。ではお願いします」
「うむ。俺は今日はな、ここ王都トルテにある『市場』とやらを見学したいと考えている」
「マーケットでございますか」
ふーん。
つまり、我国の経済状況を視察したい、というわけですか。
人間世界の現状を分析するに、私のこのたぐいまれなる明晰な頭脳を活用したい、という魔王のその先見の明は誉めてやらんでもないかな、と内心、胸を張る。
そういうわけで、私はちょっとだけ胸をそらし、手を胸にあて、さぁ、なんでも聞いてくれ、といったばかりに魔王を見つめる。
「で、だ。俺一人で見学しても、つまらんから、こうしてお前を呼んだのだ」
「……は?」
あれ。ちょっと待って。何か自分で考えていた事態と異なるんだけど。
「え、えーと。マーケットの視察って、あの、何をするんです?」
「む? 何って、市場とは物を買うところであろう? それくらいは俺にでもわかる。」
「は、はい。たしかにそうですが」
「だから、買い物に付き合え、と言っているのだ。お前は本当に鈍い女だな。だがまぁ、お前がそういうやつだとは、だいたいわかっているから気にするな。俺の広い心に感謝するがよいぞ」
どやぁ、とばかりに魔王が不敵な笑みを浮かべた。
……はぁー?
つまり、私はお前の専属ツアーガイドか!
「ちょ……」
心の中で沸々と何かモヤモヤしたものが沸き上がってくるのを感じるが、深呼吸をして心を落ち着かせる。
明鏡止水。明鏡止水……。
ふぅー。時間が惜しい。
今日の予定を考えると、さっさと用事を済ましてしまわねば。
しかし考えようによっては、一緒に買い物をするだけだ。そんなに時間もかかるまい。
気持ちを切り替え、顔に笑顔を張り付ける。
私の得意技だ。
「ふぅー。では、参りましょう、マオール様。善は急げと申しますよ」
「うむ。そうだな」
急ぎ私は、卵焼き定食を完食し、まだ、食事途中の魔王を引っ張って市場へと向かうことにした。
◆◇◆◇◆
ここ『トルテ中央市場』は王都一の流通を誇る市場で、生鮮食品、雑貨、酒などなど、基本、なんでも揃う。
しかも、このあたりには、顔見知りの貴族たちもあまり出没しないとあって、食材調達にうってつけなため、俺もちょくちょくと顔を出して、様々な美味しい品物を購入している。
王宮の食事って、保守的で、新しい趣向の食べ物や、あんまりチープなものとかが出ないので、そういった珍しいものを手に入れるために、こうして日夜、努力をしているのである。
そういうわけで、実は、それなりに市場関係の土地勘があるのである。
そう考えると、現地ガイドとしては、良い仕事ができるのかもしれない。
「お! アインスの嬢ちゃん。今日もかわいいねー! クリームパン焼けたばかりだから、買っていってよ!」
「あ、えーと」
おやつの菓子パンをよく買っている店から声がかかった。
ここはイートインでケーキも食べることができる便利なパン屋だ。
「すみませーん、今日はちょっと野暮用で、近くまで来ただけなのでー。今度いただきますねー」
とりあえずここは、ぐっと我慢した。
なにしろ今日は時間がないのだ。
「なんだ、アインス。買わんのか? では、店主よ、一ついただこう」
「え?」
隣からひょいと顔を出した魔王が、ささっと購入をすます。手馴れたものだ。
まいどありー、と店主。
くっ、時間が惜しいので私は、我慢をしたというのに……。
つい、恨みがましい目を魔王に向けてしまった。
その視線に気がついたのか、魔王が、私と手元のクリームパンとを見比べて、一つ頷いた。
「駄賃だ、受け取れ」
魔王はおもむろに、クリームパンを二つに割ると、そのうちの一つ(小さい方)を私に差し出してきた。
「ぬぐぐ」
一瞬の逡巡の後、意を決して、私は勢いよくこのアホ魔王からクリームパンをひっつかむや、一口のもと、口の中へと放り込み、力一杯頬張った。
……くっ、うまい!
やはり、クリームパンのカスタードは美味しかった。
◆◇◆◇◆
「姫様はいずこか! 姫様はいずこか!」
王宮内で、とある女中が大騒ぎをしている。
どうやら、ソニヤが部屋から消えていることに気がついたらしい。
「……ソニヤ姫ならば、ほら、ちゃんと、ベッドで眠っておりますよ」
「! あ、あなたは一体」
燕尾服を着た少年。
大悪魔ベリアルが、にこやかな笑みを浮かべながら、女中の前へと忽然と現れ、その視線を向けた。
ベリアルと視線があった瞬間、女中に電撃が走ったかのように、一つ、ピクリと痙攣した後、その双眸から光沢が消えた。
「…………はい。ソニヤ様は、お休みになられております」
先程まで、大騒ぎをしていた女中は、人が変わったかのように静かになり、ベリアルの説明を鵜呑みにする。
「そうです。さぁ、あなたはご自分の仕事に戻ってくださいませ」
「承知いたしました」
そういって、女中はベリアルに背を向けて歩き去った。
「ふむ。これで、あらかた洗脳は終わりましたでしょうか。いや、まだ、一人残っておりますね……」
そう言っている傍から、侍女のカミーナがやってきた。
「あー、また、姫様、部屋を抜け出している。まぁ、どうせどこぞで昼寝でもしているのでしょうけど、あんまり、心配をかけないでほしいですよね。まったく」
ぶつぶつと言いながらも、てきぱきと部屋の中を掃除し始めるカミーナ。
と、そこで、作業を止めて、ソニヤの部屋の一角を見据える。
「出てきなさい。いるのはわかっているわ」
「……ふふふ。人間のくせに、なかなか勘が鋭いですね」
ベリアルが、空間から溶け出るように姿を見せる。
「あなたは誰?」
「ふふふ。カミーナ様。あなたとは以前からお会いしておりますが、こうしてお話をするのは初めてですね、っと!」
「ちっ、外した!」
ベリアルが、カミーナに話を始めた、次の瞬間に、四メートルの距離をものともせずに、カミーナが一足の間合いにて、腰の長剣を引き抜き、ベリアルへと突き入れた。
ベリアルがその刺突を避けたために、その長剣の一撃を受けた背後の石の壁が、カミーナの威力に耐えられず粉砕される。
「ははは。人間の分際で、わたくしに楯突きますか。面白い。少し遊んであげましょう」
「……無駄口を叩くのは懸命ではないぞ、少年。いや、悪魔か!」
ベリアルの片手が剣のように伸び、その硬度を鋼鉄よりも硬く変質させ、容赦のない斬撃をカミーナへと喰らわせるが、カミーナも一分の隙もなく、そのすべてを闘気を纏わせた長剣にて弾き飛ばす。
「なかなかやりますね。では、これならどうですか」
そう言って、ベリアルは瞳を光らせた。
先程の女中にも、用いた『傀儡』の権能だ。
「はああぁぁぁー!」
ベリアルの瞳を直視したカミーナは、一瞬の躊躇もなく、気合いを高める。
「せぇぇぇぇい!」
そして、全身の力を込めて、腰だめの長剣を居合い斬りの要領で、ベリアルの腹へと横一文字に薙いだ。
ベリアルも、咄嗟に『盾』の魔術を発動させ、直撃を防いだものの、その衝撃のすべてを防ぎきることはできず、弾き飛ばされるように後退する。
「ふふふ。素晴らしい。わたくしの『傀儡』の魔術を抵抗するとは」
「観念しろ。お前に勝機はない」
剣を構え直すカミーナ。
といっても、カミーナには、この悪魔がどういうわけか手加減をしていることを見抜いていた。
それに対し、カミーナは、既に全力を出している。
このままでは、自分の方が不利であることを悟っている。
「まぁ、これ以上あなたと争うことを、わたくしの主人が許しませんので、これにて失礼をさせていただきますよ。では楽しい時間をありがとうございました。カミーナさん。また後ほど」
「ま、待て!」
カミーナが呼び止めた次の瞬間には、その場から掻き消えるように、ベリアルの姿が消え失せた。そして、消え際に名乗りを残した。
「わたくしの名はベリアル。また機会があればお会いしましょう……」
「待て! ……逃げられたか」
気配が消えたことを確認したカミーナは、息をふぅと吐き、闘気を解放する。
冷や汗が止まらない。
今回は相手が退いてくれたからよかったが、次も退いてくれるかどうかはわからない。
修行を愚直に続けるしかない。
カミーナは、気を引き締め、自分の破壊した壁の修理を始めるのであった。




