第十八.五話 閑話 ぎちょうのなげき
「魔王様は、本日もお戻りになられぬのか!」
魔力のこもった咆哮が、『魔王城』の奥の院の大ホールに響き渡る。
魔力の弱い魔物であれば、その一喝を受けただけで、その存在が消し飛ばされてしまうほどの迫力だ。
その声音には、嘆きとも怒りともとれるニュアンスが滲む。
『彼』は怒りのあまり、このホール中に、炎を撒き散らしたい衝動に駆られるが、最大限の自制を働かせ、なんとか押し留める。
彼は、魔王の忠実なる部下なのだから。
こんなことで、魔王の所有物である大事な城を傷つけないだけの分別は持っている。
「議長。お怒りはごもっともですが、魔王様は政務における通常業務について、その全権を議長に委ねられておりますゆえ、帝国法の観点からは問題ございません」
横から、リザードマンの法律官が補足して、議長を宥める。
「わかっておる! そんなことはわかっておるのだ!」
彼の口の端から、モクモクと煙が立ち上る。
チロチロと小さな炎も見え隠れしている。
理屈では納得しているが、どうしても、感情的にその怒りの炎が鎮火しないらしい。
議長と呼ばれる彼の名は、『ザッハーク』。
体長が、二十メートルをゆうに越えようかという巨大な体躯を誇る、赤いゴツゴツした皮膚の古竜種に属するレッドドラゴンである。
奇しくも、その名は、西方諸国に知れ渡る古の邪竜と同一のものであり、『終焉をもたらすもの』、『怒りに燃えてうずくまるもの』などの二つ名で呼ばれる生きる伝承そのものである。
ザッハークは、神による創世記において、すでにその存在があり、最古の竜の唯一の生き残りでもある。
「まぁ、ザッハーク殿の怒りもわからんわけではないのであるが、我輩としては、せっかくあの堅物の魔王殿に興味がわく事柄が見つかったのであるから、これはめでたきことと言え、しばし、好きにさせてみればよい、と考えるものである」
赤と緑のストライプのモヒカンヘアー。
顔は骸骨。
そして服装はダブルスーツに白衣。という、奇妙な格好の骸骨男(?)が、ホールにいくつかあるソファーに腰かけ、足を組み寛ぎながら、のんびりと魔王を擁護した。
彼の名は『ヘイシル』。
魔法帝国最高位の魔術師である『魔法監』にして、新たな魔法技術を開発する『魔導技術廠』の技監を勤めている現役の魔法エンジニアでもある。
「わっちもヘイシルさんの意見に賛成でありんす。あの頭のかたーいかたーい魔王様に、興味がわく事柄ができるなんて、何十年ぶりでありましょうや」
バニーガール姿の大悪魔ベルゼブブが、キセルで煙草を優雅に吸いながら、プカリと輪っか型の煙を空中へと浮かべた。
彼女は魔法帝国所属というよりは、魔王と直接契約を結んでいる専属秘書のようなものだが、だいぶ昔から魔王と契約しているために、今では馴染みとして、魔法帝国の中枢の出入りに誰も文句を言わない。
「まぁ、ヘイシルも、ベルゼブブもこう言ってるし。今しばらく、魔王様の好きにさせてもいいんじゃないか。ザッハーク?」
見た目は茶髪のにーちゃん風の男が、馴れ馴れしく、周囲のものたちに語りかけた。
彼の身体は魔金剛の骨格に魔物の様々な肉を合成したゴーレムであり、その魂に、最上位の聖霊王の一柱『ベヒモス』を封じたものである。
魔導技術廠の最高の叡知と、魔王とヘイシルによる最高難度の召喚魔術により作り出された存在であり、魔法帝国における最強戦力の一つにして、ただ一人で構成される『近衛師団』として、帝都防衛の任にあたっている(過剰戦力ではあるが)。
「お主らはもうちっと、魔法帝国の重鎮であることを思い返すべきじゃ」
自分の意見に賛同する者がいないと知った古竜ザッハークは、悲しそうに頭を垂れる。
「まぁ、わっちの甥っ子が、魔王様の近くにおりますれば、何かありましたら、甥っ子を使って連絡させまする」
ベルゼブブが、ザッハークの巨大な頭をなでる。
「おお。そうか。頼むぞ、ベルゼブブ」
頭をもたげうれしそうな声音のザッハーク。
「まぁ、こちらに何かあれば魔王殿はすぐに駆けつけることもできるものであるし、そもそも魔王殿が決定しなければならぬことなど、ほぼほぼ皆無。まぁ、我輩としては、そんな些末なことよりも、削られた技術廠の予算を復活させて欲しいのであるが」
ヘイシルは、その眼窩に黒色の炎を灯し、ザッハークを見つめる。
「ふん! あんな、プルプル震えるだけの棒の開発に、金を使いすぎじゃ!」
「何をおっしゃるのですか、ザッハーク殿。あの『バイブ』こそは、我が技術廠の至高の一品。あれ一つで、どれだけの御婦人方が喜ばれるか」
どこからとりだしたのか、すらりとした『バイブ』を手に持ち力説するヘイシル。
「まあ、技術廠に金をかけても、ヘイシルのエロ道具の開発にほぼすべて回されるから、予算をけちりたいっつー、ザッハークの気持ちはわかるがな。でもどうせ予算余っているんだから、少しくらいは回してやってもいいんじゃねーの?」
どうでも良いことのように、ベヒモスは、酒をのみながら、ゲラゲラと笑う。
「なんじゃ、ベヒモスも、ヘイシルの阿呆の肩を持つのか。実に嘆かわしい!」
ザッハークの口の周りから、我慢がならぬのか、炎が吹き出している。
「まぁ、ヘイシルさんが面白い品物を完成させましたら、わっちが、試してやりんすよ♥️」
お尻をくねくねさせながら、ベルゼブブが、ヘイシルにウインクをしてみせた。
「それは、ありがたき幸せ。お得意様のリート殿の次に試供品を回させていただくのである」
うんうんとヘイシルが首肯する。
「……あー。リートかぁ。今、あいつはなにしてんだ?」
酒がなくなったのか、空瓶をぷらぷらとふりながら、ベヒモスが回りの連中に聞いてみた。
「うむ。リートは離宮に引きこもっておるな。まぁ、その、心中は察するがな」
深く思考するように、重々しく発言をするザッハーク。
「ま。魔王も新しいことに飽きたら戻ってくんだろ。それまで放置でいいんじゃね」
どうでもいいことのようにベヒモスは呟いた。




