第十八話 あくまとのけいやく?
「べ、ベリアル!? そ、そんな! わ、わたしはそんな『大悪魔』を召喚してない!」
狂ったようにいやいやをしているシェリア。
どうやら、この事態は、彼女にとっても予想外なものだったらしい。
シェリアを守るようにして、前へと進み出て槍を構える兵士たちの、その槍の穂先もまたプルプルと震えている。
とりあえず、あいつらは放っておいても何もできないようだったので、俺の方に向かって畏まっている『ベリアル』を自称する悪魔に向け、俺が会話を試してみることにした。
「ええと、ベリアルさんでしたっけ。なんでまた、こちらに?」
手首を吊るされながら、こんなことを聞くのは、傍目に見ても、かなり間抜けな問いかけではある。
「はい。我が主よ。お答え申し上げます」
そういって、ベリアルは、俺の方へと直立不動の体勢で答え始めた。
え? 主?
「こちら側への門が開くタイミングを虎視眈々と狙っていたのではございますが、今回、このように運よく、門が開きましたので、是非とも、この機会に我が主にお目どおりをさせていただければ、と考えまして、こうしてまかりこした次第にございます」
「へ、へー」
言っている意味が全然わからない。
「……な、なんで、あ、あなたのような大悪魔が!」
後ろの方でシェルフィが叫んでいるが、大悪魔ベリアルは、そちらをちらりと、ふり向きもしない。
まったくシェリアに価値を見いだしていないようだ。
「え、ええとね。本当は違う悪魔が出てくる予定だったらしいんだけど、そいつはどうしたの?」
とりあえず、真相は聞いておきたかったので、代わりに私が聞いてやる。
「はい、我が主よ。わたくしより先に門を通ろうとした、間抜けな部下めは、わたくしが八つ裂きにして、少しだけ下がらせました」
「へ、へー」
つまり、こいつは、出ていこうとした部下を差し置いて自分が出てきた、と。
しかし、なんだってまた、こんな奴が現れたんだ?
ベリアルは、見た目は燕尾服を着こんだ執事風の美少年だ。
柔らかそうなショートの黒髪、俺よりも少しばかり年下の見た目で、体格は小柄、背丈は俺と同じくらいだ。
「え、ええと。とりあえず、この手首の縄ってほどける?」
「お安いご用でございます」
次の瞬間には手首の戒めが黒い霧となって消えた。
「あ、ありがと」
「次はいかがいたしましょうか、我が主よ。そこのゴミどもを、まとめて塵に変えればよろしいでしょうか?」
「待って待って。ちょっと待って!」
話を勝手に進めていく、ベリアルにダメ出しをする。
「え、ええと。私としては、大人しくこの場を丸く納めたい、というのが本音かな。とりあえず、私と魔王との間で、何も関係がない、ということにしておいて欲しいんだけど」
本当は関係ありまくりだが、こいつらがこちらに手出しをしなければそれで良いのだ。
別に魔王への協力者がいようがいまいが、最早関係がない。
というか、いるのは周知の事実だし。
「でしたら、こやつらの記憶を改竄し、魔王様とあなた様の間に、何も関係がない、という偽の記憶を植え付けるようにいたしますが」
記憶の改竄か。
まあ、穏当?な手段かな。
「うん。じゃあ、それで」
「承知いたしました。では、主よ。あなたの御名のもとに、不精、ベリアルへと御命じくださいませ」
恭しくベリアルが一礼をする。
俺は、一つ頷くと、ベリアルに向けて、命令を述べた。
「悪魔ベリアルよ。ソニヤが名において命ずる。こやつらの記憶を改竄せよ!」
身体中から、何か生気のようなものが抜けていき、疲労を若干感じる。
「『ソニヤ』様。承知いたしました」
と同時、ベリアルが、シェリアたちへと視線を向けた。
その瞳が、禍々しく、赤く光っている。
「さあ、君たちは、ソニヤ様と魔王様との関係がないことを『理解』した。ソニヤ様は潔白だ」
「「……はい、ソニヤ様は潔白でございます」」
ボーッとした惚けた瞳でシェリアや、兵士たちが復唱する。
「はい。これで、一件落着でございますね」
にこやかなベリアル。
そんなベリアルを見て、少しだけ怖くなる。
もしかして、これって、『悪魔の契約』がなされたんじゃね、と。
「え、ええと。ベリアル。一つだけ聞きたいんだけど」
恐る恐る、といった感じで聞いてみる。
「なんなりとご質問ください」
相変わらず完璧なほどの恭しさで直立不動なベリアル。
「なんで、私なの?」
「……質問の意味がわかりかねますが?」
ベリアルが、首を捻っている。
心底理解できない、という顔だ。
「ええとね、だから、部下をどかしてまで、私のところへと来たがった、って先ほど言っていたじゃない? それはなんでかな、って」
そう。先ほどこいつは、部下を八つ裂きにした上で、この世界へと顕現した、と言っていたのだ。
何か理由があるはずだ。
「ああ。そのことですか。それは簡単なことですよ。……あなた様のその魂の色、その『深紫』の、我らが『神』の魂と同等の色を持つあなたのそばでずっと侍りたい、という悪魔の根元的ともいえる欲望でございます」
「魂の色?」
「そうでございます。人間の中にはたまに、神の寵愛を受け、その魂の色が紫に近い者も出現いたしますが、あなたほどの見事な色はこの二千年間見たことがございません。わたくしめが、その魂を蹂躙するなど、おそれ多く、また、他の者にその魂を蹂躙させるなど、わたくしが許しません」
その目に殺意を燃やすベリアル。
こいつは、魂フェチなのか。
「そ、そうなんだ。あともう一つ聞きたいかな。……ちなみにだけど、あなたは魔王をどうにかできるの? というか魔王よりも強かったりする?」
俺の手駒として使えそうなこいつが、もし、魔王よりも強ければ、それはそれで、魔王からのちょっかいを防ぐ、というミッションは終了するので、一応聞いてみる。
「魔王様、ですか。正直に申し上げて、勝てません。はい」
あっさりと、こちらの希望を粉砕するベリアル。
「そ、そうなんだ。魔王ってば、やっぱり強いの?」
まぁ、強いんだろなー、という思いとともに聞いてみる。
「はい。わたくしめの全存在をかければ、時間を稼ぐことくらいはできるやと思いますが、わたくしの伯母のベルゼブブが魔王様と契約を結んでおり、叔母をけしかけられますと、時間稼ぎすら叶いませぬ」
「……あ、うん。そうなんだ。ありがとう」
無理だった。
でもまぁ、ベリアルをうまいこと活用すれば、身の危険を少しは減らすことができるし、少なくとも、人間レベルの脅威ならば、上手に対処できるかな。
「じゃあ、後は、そろそろ王宮に帰りたいんだけど。いつまでも私が帰ってこないと、皆、心配するだろうし」
「承知いたしました。……おい、そこのお前。ソニヤ様がお帰りだ」
「……はい。承知いたしました」
シェリアが復唱した。その瞳には光沢が入っていない。
「これでよろしいでしょうか?」
「あ、うん……」
人を意のままに操れるスキルか。強力だなー。
「あとさ。ええっと、ベリアルってば、そのままの格好で、宮殿に戻るのかな?」
「何か問題がございますでしょうか?」
ベリアルが首をかしげる。
「え、ええと。私が外出して、戻ってきてみたら、知らない少年を連れてきました。なんてことになると、きっと皆びっくりするかなーって」
カミーナあたりだと、自然に受け入れそうな気もするが。
「ああ、その程度のことでしたら、全員の記憶を改……」
「ストップストップ!」
こいつはこいつで強行策しか持っていないのか。
「……ベリアルってさ、人形以外には変化できないの? 例えば、犬や猫なんかに」
「お安いご用でございます」
そういうと、ベリアルの全身が紫色の霧に覆われ、その霧が晴れたところには、一匹の可愛い黒猫がいた。
「にゃー。……これでよろしいでしょうか?」
猫が尻尾をくねくねと揺らしながら、人語を話してきた。
「あ、うん。しゃべらなきゃ大丈夫」
俺は、足元にじゃれついてくる黒猫ベリアルを撫でてやった。
毛並みがつやつやで美しい。
「……帰りの馬車の準備ができております。ソニヤ様」
無表情のシェリアが一礼している。
「じゃ、帰ろうか。おいで、ベリアル」
ベリアルがだまって、後ろをついてくる。
そして、馬車に乗り込んだあと、自然な感じで膝に乗せてやる。撫でているこの毛並みがくせになる。
帰りの馬車の中は特に会話もなく静かなものだった。
響いてくるのは、かたかた、という道路の石を踏むときに揺れる馬車の車輪の音だけだ。
俺は、その音を子守唄にして、微睡むように眠ってしまった。
「お休みなさいませ、ソニヤ様」
黒猫が、静かに語りかけてきた。
◆◇◆◇◆
「……ソニヤ様。本日もだいぶ遅くにお帰りですね。あれほど早くに帰ってきてください、と念押しさせていただいたというのに」
帰って来て早々に、なぜかカミーナからお小言が。
まぁ、当初予定では、シェリアの侯爵家本邸に行く予定だったしなー。
しかも、少しだけ、話をして帰ってくる、ということだったのに。
「え、えーと、シェリア様に理由は聞かなかったの?」
「シェリア様がおっしゃるには、全てはソニヤ様のおっしゃるとおり、ということでしたので、恐らく口止めされているものと判断いたしました」
……って、えー!
なぜに、私の主犯説。
「いやいや。私が遠くに遊びに誘ったんじゃなくて、シェリア様が、王都の外に連れ出したのですよ」
「このカミーナ。そのような戯れ言には決して、騙されません。しかも、その猫」
そういって、黒猫のベリアルをにらむ。
ベリアルは、尻尾をくねらせながら、どこ吹く風、といった風情であくびをしている。
「ソニヤ様に似てふてぶてしいその態度。どこから手にいれたのかは存じませんが、きっと、その猫とじゃれついていたのでしょう。……で、どうなさるのです。その猫?」
カミーナは、片目を瞑りながら、そわそわとした様子で聞いてきた。
先ほどの怖い態度とは一変して、なんだか、様子が変だ。
手がふわふわとベリアルの方に伸びている。
……もしかしてカミーナ。
「カミーナ? もしかしてこの猫に触りたかったりする?」
「! ……え、ええと」
目が泳ぐカミーナ。
「あー、一応、その黒猫を飼いたいなー、と思っているんだけど、カミーナに世話とか頼めるかなー?」
「は、はい! 喜んでお世話をさせていただきます!」
カミーナが弾むように返事をしてきた。
尻尾があったら、勢いよく振っている感じだ。
ふー。どうやら、カミーナの機嫌もなおったことだし、今日のいざこざも、これでなんとか、誤魔化せたかな。
「え、ええと。じゃあ、カミーナ、この後は」
「……さぁ、ソニヤ様は、本日のお稽古がたっぷり残っておりますので、これらが終わるまでは休ませませんよ」
先ほどまでのにこやかな笑顔が、潮が退いていくかのように、消え失せ、そこには、能面のような冷酷な秘書としての顔がカミーナに浮かんでいた。
「ひー! なぜに私がこのような目に」
結局、夜中の遅くまで、お花の活けかたとお茶の作法、それに香木の種類の勉強等、貴族としての作法の特訓にかかりきりであった。
◆◇◆◇◆
その日の夜。
王都トルテのとある邸宅の一室。
「……叔母上。お久しぶりでございます」
「ふん。結局、あんたもこちら側に来たのかい」
キセルを咥えた妖艶な美女が、天井からぶら下がっている燕尾服の美少年を見据える。
少年の足が天井に吸い付き、頭が床側にあるという、コウモリが枝にぶら下がっているかのような奇妙な光景だ。
妖艶な美女は、胸元を大胆に開いた、漆黒のハイレグタイプのレオタードを着込み、その頭にはウサギの耳のように見えるヘアバンドをしている。
まぁ、要はバニーガールのような格好だ。
バニーさんは、ふぅーっと、リング状のタバコの煙をつくると、瞳をとろんとさせ、頽廃的な視線を甥に向ける。
「ま、あんたがこちらでなにをしようと構わないけど、あちきの仕事だけは邪魔をしんなまし」
「わかっておりますよ。叔母上。わたくしめも、自分の仕事をするだけでございますので」
「ま、問題が起こったら、そのときはそのときだわね」
そういって、バニーさんは、また、キセルをぷかりと吸うのであった。
「われらはわれらの欲望の赴くままに、と」
「それが、悪魔の存在意義でありんすからな」
バニーさんが、にしし、と嗤った。




