第百八.五話 閑話 あのひのしんじつ
「リート様。何卒、お怒りをお静めください」
「……」
獅子の顔をした、白色の燕尾服を着込んだ獣人が、目の前で静かに怒りのオーラを発している貴人。魔王の許嫁のリートに対し、なんとかその怒りを鎮めようと四苦八苦していた。
「例の女について、調査を続けておりますが、現場の情報と、時間的な関係から予測しますに、魔王様との間で、何かがあったというようなことはないものと推測されます」
「……。推測では困るのですが。あの鼠が、魔王様の寝所に土足で踏みいった、ということがそもそも万死に値するのです」
そういって、リートは手元の机をとんとんと指で不機嫌そうに叩いた。
「……あなたはなぜ、皇帝秘書官長というポストにありながら、それを防げなかったのですか?」
「……は。その点につきましては弁明しようがございません。申し訳ございませんでした」
そういって深々と頭を下げる獅子顔の秘書官長。
「まさか、魔王様自らが、泥酔した裸の女を抱き抱えて戻ってくる、というのは想定外でしたので」
「……裸、ということは、その……。まさか、魔王様が?」
人を射殺すことができそうな強い視線を、秘書官長に向けるリート。
「あ、いえ。一応、ヘイシル卿にお話を伺ったところ、服の処置は、ベルゼブブ様が行った由にございます」
その視線を受け、少したじろいた様子で秘書官長は弁明をした。
「……ですが、そのような状況の女を、なぜ、魔王様が連れ帰って、自分のお部屋に?」
「申し訳ございませんが、そこまでは……」
大きな身体を精一杯縮めさせ、秘書官長は消え入るような言葉をつむいだ。
「これからは、魔王様の一挙手一投足に注意を向けると同時に、例の女の動きを、もう少し注意深く警戒なさい」
厳しい口調でリートが述べた。
「はっ」
秘書官長はきびきびした動きで敬礼を行った。
「ふん。……それと、後宮長官の方に動きがあるようですが?」
リートは、事前に仕入れていたもうひとつの懸念事項を秘書官長に詰問した。
「アップフェル後宮長官でございますね。彼女も例の女について調査をしているようでございますが、詳細は不明でございます」
「あやつは、私の派閥には頑として入らない、面倒なやつ。その動向には注意をなさい」
「はっ」
「……それと、最悪の事態として、あの女を排除する方策も考えておきなさい」
リートは暗い瞳で、秘書官長を睥睨した。
「様々な方策を検討しているのですが、なかなかあの女の周りには手練れが多く……」
「言い訳は良いわ。私は結論だけ聞きたいの。……さて、私は少し休むわ。下がりなさい」
億劫そうな口調でリートが秘書官長に命じる。
「御意」
音もなく、獅子顔の秘書官長は、姿を消した。
「……。なかなかガードが固いわね、あの女。でも、例のあれさえ手に入れば、どのようなガード手段も無意味」
リートは一人、暗い笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆
……時間は少しさかのぼる。
ソニヤ姫の歓迎会を魔王主宰で開いているまさにその時、その主賓たるソニヤ姫は疲れのためか寝入ってしまった。
「おい。ソニヤ。寝てしまったのか?」
魔王が困惑した声をあげる。
彼としても、まさか主賓が寝てしまう、という事態を予期してはいなかった。
「ま、嬢ちゃんも疲れていたんだろうよ。見ろよこの顔、油断しきっちまってなあ」
酒に酔うことがない、戦闘ゴーレム兼精霊王のベヒモスがニヤニヤしながら、ソニヤを見おろしている。
「やっちまうか?」
「ダメだ」
真顔で聞いたベヒモスに、これまた真顔で魔王が答える。
「ちっ。残念だが、魔王様がそうおっしゃるならしゃーねーか」
お手上げ、とばかりに両手をあげるベヒモス。
その言葉が、トリガーに、なったのかどうかわからないが、いきなり、ソニヤが立ち上がった。
「……」
「……お、おい、アインス、じゃなかった、ソニヤ。どうしたんだ?」
なにも言わずに、ただだまって立ち上がったソニヤに魔王が心配そうに声をかけた。
「……。うっ、気持ち悪い」
ソニヤが、いきなり顔をしかめたかと思うと、盛大に、胃の中のものを戻した。
「うおっ」
だが、さすが魔王は、さっとその汚濁の奔流を避け、被害は一切喰らわない。
魔王としての威厳はなんとか守れたようだ。
「……う、う」
そして、また、目を丸くして、ソニヤは汚物の中へと倒れ伏した。
周囲に沈黙が訪れた。
「……どうする?」
魔王が周囲の者たちに視線を向けた。
「あー。魔法で綺麗にしてもいいのであるが、魔道具であるその制服に関しては、魔力干渉の問題もあるので、こちらで引き取らせてもらうのである。調整は、まあ、明日にでも終わるので、終わり次第届けるのである」
ヘイシルが重々しく頷いた。
「それでは、あきちが、処置をするでありんすよ。で、あとは」
そういって、バニーガール姿のベルゼブブは魔王に振り向いた。
「魔王様がちゃんと、ソニヤ議員をお部屋まで届けてやっておくんなまし?」
「む。お前がやってくれんのか?」
「申し訳ないのでありんすが、ベリアルとの約束がありんして。……まあベヒモス殿や、ヘイシル殿でもよいのでありんすが、さて?」
ニヤニヤ笑うベヒモスと、じっと、魔王の様子を窺っているヘイシルの方を見て、魔王が嘆息した。
「……ふん。俺が連れていこう。ただ、さすがにソニヤの部屋にそのまま連れていくのは問題がありそうだな」
そういってひとつ魔王が頷いた。
「よし。俺の客間で寝ていてもらおう」
「……。ま、良いとおもうでありんすよ」
ニヤリとなぜかベルゼブブが嗤った。
なんとか更新です。
本当に、首の皮一枚で更新が間に合いました。
自分を褒めてやりたいデス。




