第百二話 さよならはいわない
暖かい季節がやってきた。
王宮の庭園の樹木に、鮮やかな赤色の小さな花が咲いたりして、春の息吹を感じる。
寒さがぶり返す日もまだまだあるけれども、概ね暖かい日が多くなってきている。さすがに半袖にするにはまだ早いけれども、薄着で大丈夫な日がたまにはある。
「これおいしいですね」
「……うむ、そうだな」
魔王様と二人きりで、白鷺亭にてご飯を食べるのは久しぶりだ。
なんとなく雰囲気よく和食(風の定食)を食しているときに、不意に魔王様が口を開いた。
「……なぁ、アインスよ。ソニヤのところをやめて俺の実家で働かないか?」
「ご実家でございますか」
「……ああ」
いきなり何を言い出すのですか魔王様?
「それよりもマオール様。結局、人間による自治の話はなくなってしまったではないですか。マオール様ならばなんとかしてくださると期待しておりましたのに」
「……う、うむ。そうだな」
明後日の方向を見ながら、魔王様が口を濁す。ぽりぽりと手元の漬物を食しながら、頭の中で考えをまとめているみたいだが、じっと考え事をしているみたいだ。
まあ答えたくないから黙っているのかも知れないけれど。
……つい先日、国王メルクマ名義のお触れにより、正式に我がシュガークリー王国が魔法帝国に組み込まれた旨、宣誓がなされた。
一部、中小貴族による小競り合い程度のものはあったみたいだけど、大貴族を含む、国の支配者層がすでに決定した事項でもあり大きな揉め事はなかった。
それに、支配者層に人員の変化もなく、今のところ、特段何も代わり映えはしない。
これからは、帝国の優れた文物がやってくることとなろう。
さらには、帝国から派遣されてくる文官などにより、だんだんと我が国に近代的な法律や裁判の制度が整えられ、それに交易なんかも帝国との間で始まっていき、徐々に、いろいろと変わっていくとは思う。
けれど、今は移行期間として、大きな変更はない。変化はこれからだ。
そういうわけで、現在のシュガークリー王国の国内はいたって平穏なものである。
しかし、ゼクスや、ナレン、それにアンジェたちはたいそう忙しいらしく、今はあまり会うこともできない状況だ。
色々と国内や、国家間の利益の調整とかに忙しいんだろうなあ、とは思う。
カミーナも、私の帝国行きの準備のために、忙しくしてくれている。
彼女は実に頼りになる侍女である。
……それに対して現状、割とやることがない私は、こうして魔王様のところに顔を出して、色々と情報収集をしようとやって来たわけなのです。
そうです。これも立派な仕事なのですよ。
え? 議員の仕事?
それに関しては、いまだに就任式とか、そういった類いの式典をまだしていないので、帝国での私の身分は、シュガークリー地方の代官たるメルクマ執政官の一人の娘に過ぎず、単なる一般人だ。
とりあえず、思考を目の前の魔王様にうつす。
「……まあ、マオール様も一生懸命にやっていただいたと思いますし、なんの責任もないあなた様を責めることなどできませんが」
まあ、帝国の責任者なのだから、ある程度は責任がありそうだけども、マオール、という個人としてはなんの責任もないので責められない。
「……う、うむ。力及ばずにすまんな」
やはり、明後日の方向を見ながら呟く魔王様。
どうやら、少しは申し訳ないという気持ちがあるみたいね。
ふう、と私は一つ嘆息し、この話はここまでとすることとする。
「……マオール様のそういった潔いところは嫌いではございませんよ」
私はにっこりと微笑みを浮かべる。
「……それと、マオール様のお申し出の件でございますが、お気持ちは非常にうれしく思います。……ですが、私には私の仕事がございます」
誘われたことは素直にうれしい。うれしさのあまり、ちょっと口角が上がってしまう。
もう、自分の心は偽れない。
二つ返事で、はい、と答えたくなる。
だけど……。
私には姫としての仕事がまだある。
これは、この世界での私の責務だ。
私は自分の仕事を放ってしまうことはできない。
「……申し訳ございませんが、その申し出を受けることはできません」
「そうか。いや、すまん。俺としたことが無理を言った。忘れてくれ」
魔王様は、明るい口調で言っているが、やや寂しそうだ。
「マオール様。もうご実家の方に戻られるのですか?」
「……うん。もうこの国にはいられない。お前も言っていたが俺には俺の仕事があるのでな」
ひとしきり二人で笑う。
「でも、もしかしたら、またどこかでお会いできるかもしれませんよ」
唇に人差し指をあて、秘密めかした風に言ってみる。
「ふっ。無理だろう。俺の実家は……そう。ちょっと遠くてな」
魔王は、どこか遠くを見るような目をして、つぶやいた。
「では、もし、また会えたら運命を感じていただけますか?」
私の、いたずらをしようかというような挑戦的な口調に対して、きょとんとした表情を浮かべた魔王様が苦笑ぎみに呟いた。
「あぁ、そのときには、運命というものを俺も感じるだろうさ」
私は心の中でニヤニヤと笑っていた。
再会するときが実に楽しみね!
さくっと更新です。
次回は、閑話にするか、本編にするか、ちょっと悩み中です。




