第九十五話 どらごんとのかいわ
レッドドラゴンが、その巨体に似合わぬ俊敏さでテントの梁を破壊しつくし、天井がなくなってしまう。
空はもう夕暮れ時だ。
そして、ドラゴンは、その長大で優美な姿を、私たちの前で、地面に横たえる。
私たちには逃げ場はないみたいだ。
「小さき人間どもよ。我の眷属を誘拐するという、そなたらが犯したその罪、万死に値する」
言葉か終わらないうちに、レッドドラゴンの口の辺りが光輝いた。
「……ゆえに、我自身が刑を執行する。そうだな、貴様たちを皆、丸焼きにしてやろう」
レッドドラゴンの口の端から炎があがっているのが見える。
あ、これはまずい。
私の中で最大級の警告音が鳴り響く。
「ソニヤ様。御身のみならば、なんとか守りきれます。ご決断を」
耳元で、悪魔ベリアルの声がするが、それじゃあ、ナレンやカミーナを見捨てることになってしまう。
そして、刹那の思考の後、私たちが急ぎ、回避行動をとろうとした矢先。
まあ、何をしても間に合わないかな、などと思っているときに、突如、「きゅぴー!」、とか言って、子ドラゴンが、私の前に立ち、小さな両手を広げ、翼をはためかせた。
その姿に驚いたのか、レッドドラゴンの口の中の火が鎮火し、黒色の煙がもくもくと上がる。
「きゅぴー」
「ぐおおおん」
「きゅぴぴー」
ドラゴン同士がなにやら会話をしているが、共通語ではないため聞き取れない。
しきりに頷いていたレッドドラゴンが、私の方を見つめる。
「……そうか。人間にもなかなか良い者がおるようだな。この場はそなたの行動に免じて、人間の皆殺しは取り止めてやろう」
私は、ほっと、胸を撫で下ろす。
「……だが、そこの奥でこそこそと隠れている人間どもよ。お前たちはダメだ」
そう言ってサーカス団の方に、ドラゴンは視線を向けた。
団長は、腰を抜かしたのか、地面にへばりつきながら、テントの柱を背に座り込んでいる。
汗だくなためか、ピエロ姿の化粧が所々おちている。
他の団員たちも、顔中に恐怖の表情を浮かべている。
銃を持たない一般市民の前に、戦車が銃口を向けているような状況だ。
引き金をひけば、たちどころに、死体の山が築かれるだろう。
このままだと、まず間違いなく、殺戮パーティーが目の前で始まってしまう。
……私としては、人死にがでるのは、なるべく避けたい。
「何卒! 何卒、この者たちの命も助けていただけないでしょうか?」
「……ほう。そなた、その者らをかばいだてするのか」
レッドドラゴンの口の端から、ちろちろと炎が見える。
ドラゴンの怒りのほどがわかろうというものだ。
「……この国においては、どのような犯罪者であろうと、領主の裁判を受ける権利がございます。たしかに、私刑が横行することもございますが、例外があるからといって、目の前にて、その原則を曲げることを座して見ているわけにはまいりません」
「……ふむ」
レッドドラゴンの瞳に、興味深げな視線が加わる。
「どうか御慈悲を」
「どうか」
「お願いします」
「申し訳ございませんでした」
サーカス団の団員たちが、我先にと土下座をし始めた。
「……この者たちも、改悛の情を示しております。それに、人間のことは、人間によって、問題解決させてください。どうか、お願いいたします」
私は、深々と頭を下げた。
それまで、黙ってそばにいてくれた、ナレンとカミーナも一緒に頭を下げてくれた。
「……頭をあげられよ。人間の弁護人よ」
目が合うとドラゴンの瞳には理性の輝きがあった。
「……ふむ。そうであったな。我としたことが、帝国法を犯すものであったか。さよう、帝国議会の議長たる我としたことが、つい、怒りに身を任せてしまったな。弁護人よ、そなたの諫言、聞き入れようぞ」
「……っふう」
「姫様!」
その言葉を聞いて、どっと疲れが出てきたのか、バランスを崩して倒れそうになるのをカミーナが素早く支えてくれた。
「さすがじゃのお」
ナレンが会心の笑みを浮かべながら、背中をさすってくれる。
少し涙が出てきた。
「……弁護人の少女よ。ところで、そなたの名を聞かせてくれぬか?」
「……ソニヤと申します。ここ、シュガークリー王国の、王族の一員にございます」
「うむ。その名、しかと覚えた! ソニヤ姫よ。また、会おうぞ!」
「きゅぴー」
そういって、子ドラゴンを背中に乗せて、レッドドラゴンは、大空へと羽ばたいていってしまった。
「はー」
身体全体から緊張が去っていくのがわかる。
私は空高く飛んでいくドラゴンを見送ると、にっこり笑いながら立ち上がり、サーカス団の連中に向けて、くるりと身体全体を向けた。
「……さて。皆さんの処罰自体は裁判にまかせるとして、私としては、今回、不当な利得を得たあなた方に、どのような罰を与えるべきかしら?」
「はっ、ははー。先ほどお預かりした金貨を姫様にお返しするだけでなく、此度の興行の収益を全額寄付させていただきます」
団長が私の足元に這いつくばりながら、誠意を見せる。
私は、一つ頷き、周囲に宣言をした。
「これにて、一件落着!」
……その後すぐに、ゼクスの荷運び人たちがあらわれて、金貨を運んでいってくれた。
私は、駆け付けた衛兵たちに、いくつかの今後の指示をだした後、そのままゼクスの元へと急行し、魔王様からのプレゼントを返してもらった。
「大変でしたね、ソニヤ様」
カミーナがしみじみと言ってきた。
「しかし、終わってみれば、全てがうまくいったのぉ。これはすごいことじゃぞ」
ナレンが、私に称賛の声をかけてくる。
「たまたま、うまくいっただけよ」
ふー。私にはちょっと、こういった取引は向いていないなあ、などと思う。
そう確信した一日だった。
なんとか更新です。
次回も、来週中には更新できれば、と。




