第四世界へ
ようやく落ち着きを取り戻した二人は、椅子に向かい合って座っている。
「それで、なぜお二人は、パーリーなどに興味をお持ちになられたのですか。残念ながら、第四世界に入ることが叶わない今、お見せすることは出来ないのですが」
ブルリテの妻トンニャが、震える声でそう切り出した。
「ああ、別に、それを用意してくれって言う話じゃないんだ。旦那さんには話したんだけど、ちょっとした人探しでさ」
「お前、子供にパーリーなんて名前を付けたって話、聞いた事あるか」
それに対してトンニャは、何を馬鹿な事をとでも言うように首を横に振る。
「そんな大それた事をする人はちょっと、私の知る限りでは居やしませんよ。そんな人が本当に居るのですか」
そこで、昨日の夕方の出来事を二人は話し始めた。もちろん明日、グリアが向こう側に行くことは伏せたままである。
「だから、もしまだ居るのなら、状況次第では、国から救助隊を用意させたいと思って、けど大人数を動かすのですから、なるべく正確な位置は知っておきたいもので」
ティリャは、嘘八百を涼しい顔で並べていく。
これで、聖女だのなんだのと、国民から人気があるのだから恐ろしい。いや、だからこそと言うべきなのだろうか。
その後も二人は、何かと話し合ってはいたが、結局パーリーという名前の人物に関する手掛かりは出てきそうも無く。あきらめたグリアが、ティリャに、買い物を済ませて、次へ行こうと提案しようとした時、カーテンの向こうから、一人の男が顔をのぞかせた。
「あの、トーロ様がお見えになりましたがいかがしますか」
「おう、もうそんな時間か。今行くから、少し待っていてもらってくれ」
どうやら、先約が有ったらしい。ティリャと目を配らせ、二人は立ち上がった。
「色々とありがとな。先に約束があったみたいだし、俺たちは、店で買い物して帰らせてもらうよ」
「そうか、まあ、俺たちが商売してるのは、ほとんどが元は第四世界の住人だが、ひとえに第四世界って言っても広いからな、そのうち情報が入ったらまた知らせるよ」
ブルリテから差し出された手を、グリアは握った。
「さてと、じゃあ私は、トーロ様のところに行かなくっちゃ」
ブルリテは、商売向けの口調に直すと、そのまま店内へと、戻って行った。
「私たちも行きましょうか」
二人はトンニャにあいさつをして、店内へと戻った。トーロが売っているのは、どうやら絵らしく、店の前に止められた荷台の上の、額縁に入った絵を従業員たちが運び込んでいた。
先程、パーリーの花の絵を見た一角では、すっかり口調の戻ったブルリテが、細身で小柄な男と話している。
丸いメガネをかけ、向こうに居た頃のブルリテとは、明らかに正反対のタイプの男。こうした人間を相手にするのに、あのような口調に変える必要が有ったことに、グリアは納得してしまった。
それから十数分後、グリアは店の外で、会計を終えて出てくるティリャから荷物を受け取り、歩き出した。今、籠の中に有る物をそろえるのにも時間はかからなかった。
普段であれば、より良い物を買おうと、いろいろ見比べるティリャとの買い物は、時間がかかるのだが、この店は、あらゆるものに対応することを目的としているらしく、見比べるほどの種類が無かったのだ。
ただし、品揃えに関して言えば、食料品こそ無いものの、あらゆる商品が置かれていた。
最初に、目当てできたロープに始まり、マッチに石鹼、そして、恐らく裏で作ったのであろう、様々なアクセサリーまで。おかげで、品物をレジへ運んだ頃には、昨日作ったリストは、赤い線で埋め尽くされていた。
「本当に、この店何でもあるんだな」
持ってきた袋に入った荷物を改めて見た。気が付けば残りの買い物は食料のみである。
「でしょ、あそこの店、本当になんでもあるのよ」
「しかも、一つ一つの種類は少ないから、ティリャと買いに来ても時間が掛からないしな」
「ツナ缶の数減らすわよ」
そんな軽口を叩きながら、次の目的地、食料品を扱う店が多く建ち並ぶ、ジャーラの北の門前通りへ向かって、しばらく歩いたところで、背後から、木が石を叩く音と二人を呼ぶ声が重なって聞こえてきた。
何事だろうと振り向いて、突っ掛けの履き物を履いて走ってきているトンニャの姿が遠くに見えて二人は足を止めた。
「どうしたのですか、トンニャさん」
「先ほど来られたお客様、トーロさんに主人が先ほどの話をしたら、トーロさんが顔色を変えたらしくて、主人が、急いでお二人を連れてこいと。もし、お二人が、探しておられるのであれば、お話ししたいと仰っていたので」
そこまで話して、トンニャは、膝に手を当て、肩で息をしている。
「その話、本当ですか」
ティリャの声が弾んでいる。
「はい、パーリーという名前なら恐らく、その方ぐらいだろうかと。それほど、珍しい名前ですし」
「とりあえず話を聞きに行きます。まだその方は、お店におられるのですね」
「はい、先程の工房で、お二人をお待ちいただいております」
よほど全力で走って来たのか、声はかすれている。
「じゃあ、行くか。トンニャさんは後からゆっくり来てください。俺たちは走ります」
そう言ったときには、グリアは走りだしていた。
ブルリテの店に戻ったグリアは、そのまま裏の部屋に通された。
「あなたがグリア様ですか。お噂は常々、お会いできて光栄です」丸メガネの男に差し出された手を握った。
「パーリーという名前に心当たりがあるって聞いたんだけど」
「はい、私が昔、商いをしていた画家の中に一人だけ、そのような名前の娘を持っていた方がおりました。あ、ティリャ様であられますな、お会いできて光栄です」
遅れて入ってきたティリャの顔は赤く蒸気していて、肩で息をしている。
「あ、どうも。あんた、走るの速すぎよ、少しは、こっちのことも考えてよね」ティリャの手には、履いてきた靴が握られている。見た目が重視されたその靴は、見るからに新しく、履き慣れてなかったのか、足には靴擦れがいくつかできていた。
「それで、その画家って言うのは、どこにいるんだ」
グリアは、そんなティリャに、平謝りをして、トーロに話の先を急かす。
「残念ながら、その方とは、二年前の種災依頼、連絡が取れておりません。私は、この第四世界を抜けてからは、この第一世界の他、第二、第三世界も回って、他の避難された芸術家の方の元を回っておりますので。おそらく避難することが、叶わなかったのではないかと」
ここで、トーロは咳払いを一つ入れて、話を続けた。
「少し、暗い話になってしまいましたね。その方のお名前は、クイリーンと申しまして、『空の画伯』と呼ばれた方でした」
グリアは、『空の画伯』という言葉で、幼い頃に母と姉と三人で行った第四世界で、西の大陸の大きな町の感謝祭での光景を思い出した。
「あの男の娘か」
「彼をご存じなのですか」
グリアが呟くと、トーロは身を乗り出して、グリアの顔を覗き込む、眼鏡越しに見える瞳には、自分の顔が映って見えた。
「ああ、一度だけ、感謝祭の時に見に行ったことがあるよ」
「なるほど、確かに最後の数年間は、彼が感謝祭で、彼が空絵を描くのが、恒例になっておりましたからね」
トーロは、身を引くと懐かしそうに、何もない空を見上げている。
グリアも、その時の光景を思い浮かべてみる。空に浮かぶ、南の海に住む神獣が作り出す、大きな一塊の雲に向けて、人差し指を向けて立つ男。
その男が指を一振り動かすごとに、その軌道に風が吹いて、雲が切り取られ、形を変えていく。やがて、そこに、一つの絵が出来上がり、その時のグリアも幼いながらに、感動したことは覚えている。
「それで、その人の娘さんがパーリーっていうのは確かなの」
「はい、それは確かかと」
「じゃあ、パーリーの場所に心当たりはあるか」
グリアの問いに、トーロは、しばらく首をかしげて考え込み、ほんの少しの間をおいて、口を開いた。
「ブルリテ様からお聞きしたのですが、その少女の場所は、西の大陸である所までしか、表示されなかったのでしたね」
トーロは、グリアに確認し、グリアは、それを肯定する。
「でしたら、恐らくは彼の自宅がある、パライの森かと。パーリーという名前を、娘につけたことで、彼が町で暮らすことが出来なくなっていた事を考えると、先程の事も納得がいきますし」
「どういうこと」
ダラスやトンニャは、納得した顔をしているが、グリアと、ティリャにはすぐには分からない。それから、ほんの少しの間が空いて、グリアが恐る恐る口を開いた。
「まさか、人が集まる場所に住めなくなって、地図に表示されない場所に住むしかなくなったという事か」
「たかが名前でしょ。そんなことで、住んでたところを追われるなんて……」
ティリャが話すのを苦笑いで、見ている三人の元住人を見て、声が徐々に小さくなった。
「本当なのか、だとしたら彼はなぜそんな名前を自分の娘につけたんだ」
「まあ、あの人変わり者として有名だったものね」
ブルリテは、諦めたように言った。要は、分からないという事だ。
「それにとても頑固者で有名でしたから、家族からの反対も押し切って付けたと聞いております」
トーロもため息をつく。
「けど、パーリーって子がその『空の画伯』の娘だという事は、確信が持てたし、良かったかもしれないわね」
「案外、こうなることを予想してたのかもしれないな」
グリアの言った冗談に、まさかと、その場にいる全員が、力なく笑った。
皆が、口にしないが、心のどこかでそう考えていた。
早朝の校門。まだ、家から通っている生徒が登校してくるには、早いこの時間に、グリアの姿があった。
背中にはスケッチブックのはみ出したリュックサックを背負い、誰にも見られていないことを確認して、なるべく音をたてないようにして王都に出る。
学園内では、誰も起きていない時間だが、この街の大人たちは既に、活動を始めている時間ではある。
「おう、そこの不良王子。また抜け出してきたのか」
豊かな髭を蓄えた酒屋の店主が、あくびをしながら、店の看板を下ろしている。
「おはよう親父さん。おじさんはこれからが夜かい」
「まあな。これから、お天道様がてっぺんに登るまで寝るところよ」
そう言ってまた一つあくびをする。
「あらま、グリア様。また抜け出してきたのかい」
向かいの家の夫人が、窓から顔をのぞかせている。
「別に、抜けだして来てはいないぞ、まだ学校の時間ではないからな」
「またそんなこと言って。姫様に起こられるよ。あの方は、あんたのことになると目の色が変わるからねぇ」
「なんか、うちの姉さんが吹き込んだらしいからな」
グリアがそう言うと、夫人はと店主は、ため息をつく。
「そう言えば、お前さんの姉さんもよく抜け出してたっけな」
「そうそう、あの頃はうちの皇太子さまが、よく追っかけまわしてたねぇ」
懐かしそうに遠くを見る二人。
「ま、そういう事で俺は行くよ」
「おう、気を付けてな」
こんな会話を街のいたるところで、繰り返しながら、グリアは王都の門のところまで来た。
「お疲れさん」
グリアは、今ではすっかり顔なじみになった、憲兵の一人に話しかける。
「はあ。グリア様、またですか」
憲兵は、グリアを前にして、これ見よがしにため息をつく。一国の王子に対して、信じられない行為だが、グリアは気にしない。
「あんたの所の姫様の心配なら心配ないぜ、なんせ今日は、あいつも一枚絡んでるからな」
本当は一枚どころではないのだが、グリアはそれを伏せておく。
「それは誠ですか」
疑いの目を向けてくる憲兵に、グリアは頷いて見せる。
「それでは、お行き下さい。くれぐれも遅くならないようにお願いしますよ」
憲兵に背中から声をかけられたグリアは、右手を挙げて応じた。
その時丁度、学園の方から、小気味よい破裂音が聞こえてきた。驚いた憲兵が見たのは、数発の花火だった。
学園の生徒のいたずらだろうと判断した憲兵は、視線を門に戻すが、そこにはもう、グリアの姿はなかった。
一限目の教室にグリアの姿はなかった。
教師がもう一度グリアの名前を呼ぶが、返事は無く、立ち上がったティリャが代わりに答えた。
グリアは、風邪をひいて出てこられないという。
「そうですか。保険の先生には、お伝えしましたか」
教師の問いかけに、ティリャは首を横に振って答えた。
「いえ、それはまだ。ですが、学園の方には、ここに来る前に伝えてきましたので大丈夫です」
教師はティリャのいう事ならと納得した様子で授業羽開始しようとしたが、ティリャはまだ座らなかった。
「ティリャ様どうかなさいましたか」
隣の席の生徒が教室中を代表して尋ねる。
「実は、これは皆様にお願いしたい事なのですが。グリア様の事は、お義姉様から頼まれておりますので、わたくしが面倒を見させていただきます。ですから、看護の方などは結構ですので。なんでも、背中に傷があるとかで、他の方に見られるのを嫌っておられるらしくて」
ティリャが、そこまで言うと、教室がざわめいた。
実際、傷があるのは確かだが、グリアは気にはしておらず、グリアの姉のフィーレから頼まれているという事実もない。
全ては、グリアがこの世界にもう居ないという事を悟られないための作り話である。
「皆様静かに、ティリャ様も誤解を生むようなことは、あまりおっしゃられない方が良いかと思います。何せ彼らは、そういう年頃ですから」
「ふふ、私も同じ年ですよ」
ティリャが言うと、教師は、あからさまにため息をつく。
「とにかく、保険の先生にはお話だけでもしておいてください。万が一という事がございますから」
「それもそうですね。ではお話にだけでも後でうかがいます」
ティリャが席に座り、まだざわついたままの教室で、授業は始められるのだった。