生き残り
『種災』、この言葉が使われ始めたのは、いつの頃からだろうか。魔獣が現れたばかりの頃。この世界はまだ神話の時代で、外からこの世界へ降り立った神族達が歴史を作っていた時代であった。
神族は、魔獣をその力で葬り、一切の犠牲も許さなかった。
しかし、いくら長寿な神とも言えど、永遠ではない。
やがて、神々がこの世の人でなくなり、時代が神話の時代から、歴史の時代へと移り変わると、少なからざる犠牲を伴う事となった。
地震や洪水、様々な災害同様、前触れなく起き、少なくない犠牲を出すそれは、いつしか一つの災害とされ、その根源である魔獣の研究が始まり、研究者たちはいつしか『種災』と呼び始めた。
見ることも、触ることもできず、空中を漂っているその種は、生命の終わりと出会う事を待ち続け、体から魂が抜け出るその時に心臓へとそれを縛り付ける。そして、その魂を支配して、その体を動かすのだ。
あとはその魔獣が、命ある物を襲い、生き物の寿命その物とも言える精力を奪い取ったうえで、それを傀儡として自らの手足として更なる獲物を襲わせる。その連鎖が続き、数が膨れ上がり、やがては種災となるのだ。
今から二年前に起きた出来事は、ネスト内に有る、その他、第一から第三世界に激震をと共に伝えられ、そのわずか二週間前に国一つを壊滅させるまでに至った、とある国で密かに進められていた、魔法の研究へと、関心が向けられる事となった。
しかし、国家単位では、魔法が日の目を浴びるもそれをよく思わない人々は、たくさんいる。現に、その魔法を実行に移した人物の母親は、彼が五歳の時に、魔法の実験で命を落としているのだ、
魔法をめぐって、世界は大きく変わろうとしている。だがその真っただ中にいるはずの青年は今、全く異なる問題と直面し、頭を抱えていた。
円形に広がる街ジャーラ。街の中心には巨大な噴水が置かれ、その広場から一定間隔で、八本の通りが伸び、この町の城壁沿いにぐるりと一周する通りまで、それぞれの道が、一直線に伸びる。そして、その途中にもいくつもの噴水を持つ広場が設けられ、そこからさらに、別の通りにある広場まで伸びる道が続く。
そうして築かれた街は、少し高いところから見ると一つの幾何学的模様に見えて、見る人を魅了するのだが、初めて来た旅人などは道に迷う。
だが、そのような、迷路と化した街でも、誰もが迷わず行くことが出来るところが、二つだけ存在する。
一つは、このジャーラがあるナルタ王国の巨大な王宮。巨大な建造物は、ジャーラの西端に置かれ、街の外、十六メートルに及ぶ塀越しからでも、その姿を確認できるほどであるから、そこに向けて歩いて行けば、自然とたどり着く。
そしてもう一つ、こちらは、さすがに街の外からは望めないが、街の中ならどこでも見える、背の高いレンガ造りの塔。
その塔の最上階に設けられた窓からは、このジャーラの街並みが一望できる。
今もまたその窓から、一人の女がため息交じりに、幾何学模様の街を眺めていた。
茶色い髪は、ウェーブがかかり、すべての髪が乱れることなく、その波を描く。傾いた太陽からの西日が、彼女の髪に当たりその髪をより一層、輝かせていた。彼女は、机の上で頬図絵を付き、その、髪と同じ茶色い瞳を退屈そうに曇らせながらまた一つため息をついた。
彼女の手元には、一つのタブレットが置かれ、今開かれている画面の一番上には、『次年度入学希望者リスト』と書かれている。
「あー、くそ。もうどうすればいいんだよ」
突然、部屋を満たしていた静寂が破られ、彼女は不機嫌そうに、この部屋の反対側で頭を抱えてうずくまる、もう一人にその視線を向けた。
しかし、彼はそんな視線に気づくそぶりも見せずに、手に持った一枚の紙を睨め付けていて、紙を持たない右手を頭に当て、かき回す。何度も繰り返したおかげで、ただでさえ、クシャクシャな髪が、さらに乱れて、鳥の巣のようになってしまっていた。
二人が居るのは、コロア連合立ジャーラ学園生徒会室。誰もが迷わずにたどり着く、二つ目の場所であるジャーラの東端にある学園の一室である
その生徒会の副会長である彼女、ティリャは、もう一人居残っている会長グリアの目の前に立ち、彼の目と鼻の先に、部屋中に響く音を立てながら、手を付いた。
「うるさい」
普段のティリャからは誰もが想像しないような顔つき、そして声色。しばらくは、トラウマにでもなってしまいそうな彼女を、グリアは見上げてにやりと笑った。
「ティリャこそ、さっきから窓の外を眺めて、ため息ばかりじゃないか。それこそ、囚われの王女様とでもいった雰囲気だったぜ」
それを聞いて、ティリャはより一層、声を低くした。
「そりゃ、なるわよ。だって私は、実際にこの仕事が終わるまで帰れない訳で、つまりこの部屋に囚われているのだから」
そう言って、手元のタブレットをグリアに押し付ける。
「大体、必ずメッセージで返すようにって、書いてあるのに、返してこない相手が悪いんじゃない。どうして、私が、その犯人探しをしなきゃいけないのよ」
ティリャは不満げに、画面の上で指を上下させて、それを追った目を再びグリアに戻した。
「それで、グリア。あんたはまだ悩んでるわけ」
手元のタブレットから、グリアの手に握られている一枚の紙へ、その視線を移す。
「本当、俺も、どっかの誰かさんのおかげでさ」
グリアの手元にあるのは、先程まで、他の役員も含めて話し合われていた、一カ月後の、卒業パーティーおよび次の新入生の入学式の後で行われる、新入生歓迎会の進行についてである。
北側の窓を見れば、遠くにハガラ山脈の山々が聳え立っているのが見える。その山々を超えた先は、グリアの母国イマリが在り、その国には今、グリアが悩む一件を作り出した本人が、暮らしている。
イマリ王国第三王女フィーレ。それがグリアの七つ上の姉であり、この新入生歓迎会に関して、それから後を歴代してきた生徒会の委員を苦しめた張本人である。
派手好きな彼女が主体となって開いた、歓迎会は、今でも伝説となり、その後輩たちの前に壁として立ちはだかってきたのだ。
だから、その弟であるグリアに対して、周囲の期待は自然と高まっている。もちろん、グリアがフィーレの弟であるから、という理由もあるがそれだけではなく、彼が、この学園に入ってきてから、目立った行動を繰り返してきた事にも関係はあるし、それをグリアは、自覚している。
けれども、自ら望んだのではなく、仕方がなく行った行動が、自然とそのような結果になったわけで、グリア本人が能動的に動かなければならない今回とは、訳が違うのだ。
「こっちはもう時間がないし、せめて、卒業パーティーの方は今週中には終わらせたいわね」
ティリャは、『卒業パーティー進行計画』と書かれた欄を指でなぞる。そこに書かれているのは、もう何年も使いまわされてきた、進行スケジュールが並べられている。
この基となっているのは、六年前の卒業パーティーで、ある生徒が、あこがれる上級生のために目いっぱい力を入れた物で、何度見返して見ても本当によくできていて、これを超えることが出来る物かという気持ちにさせてくる。
「お互い、よくできる兄弟を持つと苦労するよな」
西日を背景に黒く大きな影となった王宮。この計画を立てた本人は今、あそこで何をしているのだろう。
おそらくは、後輩たちが頭を抱えていることなど知らずに、のんびりとした時間を過ごしているに違いない。
フィーレも同じことを思ったのか、げんなりとした様子で、手元のタブレットを眺めている。
「兎に角、早くこれは、終わらせてしまうわ。グリアはその間もう少しだけ考えていておいて」
フィーレは机に戻り、またタブレットを操作し始める。
どうしたものか、グリアは、昨日来た姉からの、メールを思い返す。最初は、最近の国内の様子、そして、異母兄弟たちに対する不平不満を書き連ねてある文章。そこまでは、いつも通り、そしてそこで終わるのが、いつも通りであったのが、今回は違っていた。
『最後に、今度の新入生歓迎会は、私が出席します。想像以上のもの期待してるからね。』
半ば脅しのこの文章を、姉が笑いを堪えながら書いているのが目に浮かんだ。
つまり、ここに書かれている、新入生歓迎会の計画は、この通り行うことは、出来ないのだ。もちろん、他の委員には、まだ伝えてはいない。まずは、卒業パーティーに向けて、計画を立てなければならないし、生徒会の仕事は、それだけではないからである。
だから、グリアは一人で悩んでいる。何をすれば、あの派手好きな姉が喜ぶか、それが全く想像出来ず、考えれば考えるほど、思考が迷宮入りする、そうしていくうちに、また、グリアが叫びそうになった時、ティリャの座っていた椅子が、大きな音を立てて倒れた。
立ち上がったティリャは、両手で口を覆い、タブレットを見つめている。
「急にどうしたんだよ」
グリアは、動かないティリャに近づき、手渡されたタブレットを、受け取った。
「ああ、これが例の犯人か。名前はパーリー。変な名前だな。それで、今はどこに居るのかなっと」
グリアは、タブレットを操作して、画面を切り替える。
「ん、これか。現在地っと、はあ、第四世界。西の大陸って、これ間違ってないよな」
グリアの問いかけに、まだ、声が出ないのか、ティリャは、首を縦に振って応えた。
そして、二人とも、呆然と立ち尽くす。
無理もない。第四世界は、二年前、種災によって壊滅的な被害を受け、取り残された人々と共に見捨てられた。内部との連絡すら絶たれ、内部の状況は不明、完全に滅びただろうと推測されている。
第四世界の西の大陸は、あの世界にある三大大陸の一つであるから、西の大陸という情報だけでは、正確な位置は分からないが、それは、地名の無い場所にいるという事なのだろう。
問題は、これからどうするかである。
「学園長に話して、救助部隊を出してくれると思うか」
「無理でしょうね。『一人のために、いったい何人の命を危険にさらすつもりだ。』と言われるのが落ちよ」
あきらめたティリャの声は沈んでいる。
「なら、俺が行くっていうのはどうだ」
「それこそ無理よ。仮にあなたに許可を出したとして、その後、イマリ王になんて言われるか考えて、あの学園長が、許可を出す訳がないでしょ」
「それこそ、あの父さんなら喜びそうなものだけどな」
グリアはとぼけて見せ、ティリャはあきれたように首を横に振る。
「じゃあ、仕方がない、折角、生存者がいると分かったのに、あきらめるしかないって事か」
グリアは、ティリャに背を向け、また、自分の机に向かおうとして、苦しそうに顔をゆがませた。服の首元が引っ張られて、強引に振り返らされたのだ。
「なんだよ、だってしょうがないじゃないか、手段がないんだから」
グリアは、おどけて見せるが、その口元が、どうしても小刻みに動いてしまい、ティリャに睨まれた。
「あんたの芝居なんて、お見通しよ。一つだけ、手段があるじゃない、あなた好みのやり方が」
その時、楽し気なベルの音が、部屋に響いた。
「ネットワーク起動。着信応答」
グリアは、右手を耳に当てた。
「もしもし、ちょうどよかった、お前に頼みたいことが……は、見てた。お前本当に、覗きとか、趣味が悪いぞ。で、許可はしてくれるわけ。うんうん、分かった。じゃあ明後日、頼んだぞ。それじゃ」
グリアは、手を耳から話すと、不機嫌そうにしているティリャに、いたずらっぽい笑みを向けた。
「また、あの変態覗いてたわけ。ホンっと、あいつって暇よね」
「まあまあ、手伝ってくれるって言うんだから、文句は言うなよ」
二人は、その後、机に向かい合わせに座り話し合いながら、手元の一枚の紙に何かを書きこんで、教室を後にした。
次の日の放課後、二人は、他の委員達に、その日の会議を休みにすることを伝えて、街に出ていた。
そして、昨日書いたリストを見て、目的地を回っている。この街に来た時こそ迷った道も今では、歩き慣れたものである。
「ええと、次はロープか。これ何に使うんだよ」
「だって、その子がどこにいるか分からないのよ。何かの起きた時にも使えるし。そうね、他の物も揃えたいし、『ブルリテ雑貨店』にしましょうか」
そう言って、ティリャは、今居る、広場から延びる道の一つへ向かう。
「そんな店あったか」
グリアは、人差し指を額に当て、思い出そうとするが、そんな名前の店はグリアの記憶にはない。
「二年前に出来たのよ。結構いろいろ揃ってるから、私たちの間では、結構有名なのよ」
私たちとは、ティリャが普段、一緒にいる女子生徒たちの事である。
「へー、二年前ってことは、例の事とも関係あるのか」
グリアが言うと、ティリャは頷いた。
「ええ、店主も含めて、従業員全員が第四世界の出身よ。もしかしたら、何か分かるかもしれないと思って」
その後、しばらく歩いて、たどり着いた店には、確かに様々なものがそろっていた。
「あら、王女様じゃない。いらっしゃ~い」
目当ての物を探して、店内を見回していた、グリアよりも頭一つ高い位置から、腹に響く低い声がして、二人は振り返った。
そこに居たのは、筋肉質な男だった。よく焼けた肌が、より一層その威圧感を高める。そんな男は、輝くビーズを控えめにちりばめられた、薄いピンクのエプロンをかけていた。
「あ、ブルリテさん、こんにちは」
ティリャは、そんな異様な男に、向かい合うと、上品に頭を下げて見せる。ティリャのこういった姿には、毎度ながらグリアも見入ってしまうが、今日だけは、それ以上の物が、それに習って、頭を下げるのを見て唖然としてしまった。
「それで、今日はデートかしら。彼氏さんに買ってもらうなら、このネックレスなんてどう」
ブルリテはエプロンのポケットから、ネックレスを取り出しティリャに手渡した。
ティリャはそれを受け取ると、それを首からかけて見せる、六角形にカットされた透明な石が、首元で揺れて輝いた。
「どうかしら」
そう言って、見せてくるティリャに、グリアは冷めた視線を送る。
「お前、目的忘れてないだろうな。大体、彼氏ってところを否定しろよ」
本当に忘れたのか、ただ怒っただけなのか、ティリャは顔を赤くして、咳ばらいを一つして、ネックレスを外して、ブルリテに返した。
「ブルリテさんごめんなさい、今日はそう言うのじゃないの。デートの時は、もっといい人を連れてくるから。今日は、いろいろ揃えなくちゃいけなくて。ついでに、聞きたいこともあったから来たのよ」
「あら、そうなの。じゃあ、これは、その時まで取っておくわね。それで、聞きたい事って何かしら」
「ええ、ブルリテさんって、パーリーって名前に心当たりない」
「あら、パーリーならわかるわよ」
雑貨屋とは名ばかりで、女性向けの小道具が多い店内をげんなりと、見ていたグリアは、その一言で目を見開いた。
「本当か」
「ええ、もちろんよ。むしろ、第四世界に住んでいた連中なら、みんな知ってるんじゃないかしら」
グリアの反応を不思議そうに見ながらブルリテは続ける。
「ほら、あれがパーリーよ」
「え、誰もいないじゃない」
ブルリテの指さす方には、たくさんの絵画が並べられている。
「誰?何言ってるの、あの絵の花のことを言ってるんでしょ」
その壁に掛けられた、絵画は一面が白い花に覆われた、花畑の絵だった。
「え、あの花全部が、パーリーなのか」
驚く二人を、ブルリテはいぶかしんで見ている。
「二人とも、パーリーをなんだと思ってたの」
その問いかけに、二人は顔を見合わせる。
「何って」
とティリャ。
「人の名前?」
とグリアは、ブルリテを見上げ、ブルリテは、顎に手を当て、首を傾けた。
「それは無いと思うわよ。パーリーって、ワークリア山にしか咲かない花だから、大陸亀の象徴って考える人が多くてね、子供にそんな名前を付けるなんて事、誰も考え無いのよ」
西の大陸の大陸亀は、第四世界を守る神獣。それを象徴するものとして、パーリーという花も神聖視されているのだ。
第一世界や第二世界では、神話の時代の人物の名前を何らかの願いを込めて、子供につけることも多いが、どう言った訳か第四世界では、禁忌とされている。
「ところで、どうしてパーリーが人の名前だと思ったの。こう言っちゃなんだけど、響きとして、人の名前だとは思わないと思うのだけれど」
そう言われて二人は、顔を見合わせる。考えてみれば、当然である。そもそも、どうしていきなりパーリーなどという名前が出てきたのだと言う話から、話さなければならなくなる。
情報を手に入れるためには、事情は話すべきだろう。しかし、他の耳もある場所で話して良い話とも思えない。
「何か、言いにくい事情でもあるみたいね。それとも、裏でなら話せるかしら」
込み合った店内を見て、ブルリテは、カーテンで仕切られた、従業員用の部屋と思われる場所を指さした。
グリアがティリャに視線を送ると一つ頷いて返された。話しても大丈夫な相手という事である。
「それじゃあ、裏に入らせてもらうよ」
「そ、じゃあいらっしゃい」
二人は、ブルリテの後に続いて、カーテンを潜った。
潜った先は、控室というよりも、工房といった方が似合う造りになっていて、部屋の真ん中に、大きな木製の机が置かれ、様々な形のはさみが無造作に置かれている。
壁際も、腰の高さほどの棚がぐるりと並べられていて、その上にも様々な形のビーズが、こちらは種類ごとに整理された状態で並んでいた。
「どお、ここが私の工房、素敵でしょ」
ブルリテ、そっと机に手を触れる。
「ある気前の良い御仁が、身ぐるみ一つで逃げてきた私たちに、ここにある全てを与えてくれたのよ。おかげで、私たちは路頭に迷わずに済んだ」
「私たちが店をして、他の避難者から物を仕入れる。そうやって、私たちは二年間生きてこられたのよ」
背後で別の声がして、振り返ると、そこに一人の女性がブルリテと似たデザインのエプロンをかけて立っていた。
「あ、奥様。お邪魔しております」
グリアは、隣であいさつするティリャに合わせて、頭を下げた後で、パッと顔を上げた。
「奥様」
他の三人がうなずく。
「誰の」
「私の」
ブルリテが当然のように言い、ティリャは吹き出す。目の前の女性も体をくの字に曲げて、笑いを堪えていた。
「まあ、さっきから私こんなだしねぇ」
ブルリテは、壁際まで行くと、写真立てを取り、グリアに手渡した。
「これが二年前、第四世界に居た時の俺だ」
そこには、大きな両刃の斧を背に担ぎ、大きな猪を、肩に担ぎあげているブルリテがいた。
「似合いすぎだろ」
呟いたグリアを見て、ブルリテは満足そうに笑う。
「ありがとよ。店でこんなだと、どういうわけか客が集まらなくってな。仕方がないから、店ではああしてるってわけだ」
「まあ、こんなのが店先にいたら、おっかなくてしょうがないもんな」
もう一度手元の写真を見てみる。勇ましい顔の男は、たとえクマとあったとしても、素手で倒してしまいそうだ。
そんなことを考えていると、ブルリテの腕が、首に回された。
「言ってくれるじゃねぇか坊主」
「ギブギブ」
グリアは、その腕を何度も叩く。
「あなた、その方、王女様のお友達なのでしょう。そんなことして、大丈夫なのですか」
「おう、そう言えば名前聞いてなかったな。おい坊主、お前、名前はなんて言うんだ」
本性を押し殺していた弊害か、ブルリテは興奮気味で声が弾んでいる。
グリアは、答えられずに、じたばたと足掻くが、ブルリテの腕力の前では、それは無意味に終わった。
「あなた、いい加減話してあげないと。その方、苦しそうですよ」
言われてようやく気が付いたブルリテに解放されたグリアは、盛大にせき込んだ。
「悪い悪い、娘しかいないもんで、つい調子に乗っちまった。それでお前なんて名前なんだ」
「娘まで、居るのかよ。本当、普通のおっさんじゃねえか。まあ、それは置いておいて、俺の名前は、グリア。一応、隣のイマリ王国の王子だ」
興奮気味だったブルリテの顔の血の気が引いた。彼の妻に至っては、青ざめて、へたり込んでいる。
ティリャは慌てて駆け寄り傍にあった椅子に座らせて、落ち着かせようとするが、二人の耳には届かず、ブルリテに至っては、『終わりだ。』と繰り返している。
「どうするのよこれ。大体、こうなる事ぐらい分かってたでしょ。どうして本当の事を言っちゃうのよ」
ティリャからの攻めるような視線を受けて、グリアは頭を掻く。
「いや、この二人なら大丈夫そうだと思ったんだけどな」
それから、グリアとティリャは、夫妻を立ち直らせるまでに、およそ三十分程の時間を、使う事となり、グリアは、悪ふざけが過ぎたと反省することになった。