チーズ
「なあ、パーリーは向こうに行ったらなにがしたい」
両脚の間に居る彼女からは返事がない。
「はあ」
グリアはため息をついた。パーリーは今朝出発したときからずっと機嫌を損ねたままなのだ。
原因は、昨日の事。
ティリャとの通話を終えた後、二人は今乗っている乗り物のパーツ造りに夢中になって進めた。それこそ時間を忘れるほどに、納得いくものが出来るように試行錯誤を繰り返すグリアをパーリーも手伝った。
そして、気が付けばとっくに日は暮れ、二人は夕食を取った。食べ終えてすぐに、グリアが明日は早いからと、パーリーを寝かせ付け、気が付けば朝。
眠い目をこすりながら、グリアにされるがままに椅子に座らされ、口元に運ばれるパンを食べ、この部屋につけられた洗面台で顔を洗った。
それでも、まだ目が覚め切らないパーリーは、ぼんやりと一階と十五階の間を行ったり来たりして、乗り物の材料を運ぶグリアを眺め、最後のパーツを持ったグリアの代わりにグリアのカバンと自分のカバンを首から下げてビルを出た。
その時まで、パーリーはまだ眠気に支配されたままの頭の隅で何かを忘れているだけのような気がしているだけだったのである。
グリアが、手に持った鉄球と魔法で、パーツをつなぎ合わせるまでは。
「溶けよ」
グリアがそう唱えたことで、結局説明されていなかったと気が付く。
はぐらかされてしまっていたのだ。
それからはずっとこの調子である。
「あ、ここか」
グリアは街道沿いの看板を見て、パイプ椅子の足を魔法で切って作った舵を切った。乗り物が右に大きく曲がる。
『ノリタス牧場へようこそ』と書かれたアーチを潜り、舗装された道を通り、この牧場の中心だった施設へと向かった。
ノリタス平原といえば、グリアたちが今いるノリタス牧場が面積の十分の一を占める第四世界でも一台観光地だった場所である。
毎年感謝祭の時期になると、牧場内がそれ一色になり、大きな賑わいを見せていて、二年前が、丁度その日であったこともあって、その前日までの賑わいを今も残している。
「ほら、着いたぞ」
グリアは魔法を止めて、乗り物から降りた。
「ここで待ってる」
ぶすっとふてくされて座ったまま言う。
「いいのか、さっき、この前のみたいな魔獣もいたけど。こんなところに居たらまた襲われるかもしれないぞ」
グリアが脅すとパーリーはのこのこと付いてきて、グリアの服の端を掴んだ。
「昨日はごめんな。ちょっとパーリーには早い話が出てきて俺の方がどうしたらいいか分からなくなってさ。中で昼飯でも食べながら話そうか」
「うん」
パーリーはようやくそれだけ答えた。
「よし、それじゃあ調理場をちょっと漁ってみるか。なんか食べられるものが見つかるかもしれないぞ」
グリアは、パーリーの手を取って木造の大きなウッドデッキを横切り、中の食堂の先にある調理場の中へと足を踏み入れた。
「ここもひどいな」
グリアは中の惨状を見ていった。
「この世界はどこもそう。ゲートが閉じるのが早すぎたせいで、色んな街に人がたくさん残されたから」
いくらかの抵抗を見せたものの、雪の大玉を作るみたいに、飲み込まれた動物たちの数だけ数が増える魔獣に最後まで戦い抜けた街など存在しなかった。そうでなければ、魔獣の数が経った二年でここまで減ることは無い。
「そっか」
グリアは救援に来られなかったことへの罪悪感を、より一層大きくしながらも、例え、自分が来ても変わらなかったという事を、この世界に来てから改めて痛感させられている。
「わたし、変なのかな」
パーリーの顔を見るがその表情からはその感情は読み取れない。
「こんな風にたくさんの人が死んでしまっていても、何も感じられないんだ。森から出て、種災の後、初めて街を見た時はいっぱい吐いたし、いっぱい泣いたのに、今はもう涙すら出てこない。やっぱり私ひどいのかな」
そう言っているパーリーの肩が小刻みに震えている。グリアはその肩抱いた。
「そう言って泣いてるじゃないか、そうやって考えられてるだけで、パーリーはきっと大丈夫だよ。今はきっと泣きすぎて涙が枯れてるんだ。いっぱい食べて、いっぱい水を飲んだら、きっとたくさん涙が体から作られて、いっぱい溢れて来るよ」
たくさんの生き物を殺して、怒りに任せて街一つを消滅させて笑った自分とはきっと違う。グリアはきっとそう考えているのだろう。
だが、こうして一人の子供に寄り添えるだけで、グリアの心は壊れていないと言い切れる。
「さ、じゃあ宝探しと行きますか」
「うん」
暗い気持から逃げるみたいにパーリーは冷蔵庫に駆け寄った。
「ここに何かあるかも」
グリアが止める間もなくパーリーは扉を開け、すぐに鼻をつまんだ。
「臭い」
グリアは笑ってしまった。ついさっきまでの暗い空気はどこへやら、おかしくって、楽しくって、腹を抱えて笑ってしまう。
「もう、そんなに笑うことないじゃん」
パーリーは冷蔵庫からチーズを取り出すとグリアに投げつけた。
「うお」
二年という歳月をかけて、熟された強烈なにおいを放つチーズをグリアがかわすと、そのチーズは、カウンターの上を飛び越え、食堂の方へと飛んでいった。
「パーリー。早く、冷蔵庫を閉めろ匂いが充満し始めてる」
それを聞いて、扉を閉じたパーリーは、鼻をつまんだままグリアの腹に、ボスン。と音を立てて飛び込むと顔を上げて笑った。
「臭かった」
「だろうな」
二人はそのままその場に崩れ落ちて、腹を抱えて笑ったが、直ぐにその口をふさいだ。ついさっき二人が通ってきた、ウッドデッキの方から木の軋む音が聞こえてきたのだ。
二人、いや三人だろうか、足音の他に、木と木のぶつかり合う音が聞こえて来る。
「おい、今何か聞こえなかったか」
向こうから男の声がした。
「さあ、気のせいじゃないかしら。こら爺さん、今、私のお尻触ったでしょ」
「なんのことじゃか、儂には分からんのう」
グリアとパーリーは顔を見会わせる。パーリーが声を出さずに、『出て行く?』と聞くので、グリアは首を振って、その後、唇の前で人差し指を立てた。
足音も、この小屋の入り口の前で、なるべく音を殺して止まった。
「中には、誰もいなさそうだな」
そう言って踏み込んでくる。その時女性が、悲鳴を上げた。
「ちょっと、爺さんいい加減にしなさいよ。なんでしがみついてるの」
地面に物が落ちる音がした。
「すまん、今のは誤解じゃ。ほれ、これじゃこれ。この……なんだこれは、チーズか。ううぅ」
「これは、ひどいな。アンナ、それ外に出しといてくれ、匂いが充満し始めてる」
「ちょっと、なんであたしなわけ。クッカがやりなさいよ」
二人は、しばらく言い合った後に、じゃんけんを始め、負けたクッカが、チーズの前にかがみこんだ。
うえ。とか言いながら、それをつまみ上げて、外へと放り投げ、その後、テーブルにかけるとその上に倒れ伏せた。
「「ふ」」
二人は同時に息を漏らした、続けて、隠れていた調理台の下に、グリアが頭をぶつける音。
「やっぱり、何かいるのかしら」
鞘から、刃物が抜かれる音がした。
隠れているのは限界だ、そう感じたグリアは立ち上がった。
「ごめん、さっきのチーズ、そこに置いといたの俺たちなんだ」




