始まりの黒い波
こんにちは、で良いのでしょうか。兎にも角にも見てくださりありがとうございます。この話にはもしかしたら、最近、アニメ化した作品の名前が浮かんでしまう。そんな事もあると思いますが、私も後でそれを見た時に絶望したので、あまり気にはしないでいただけると幸いです。
ワークリア山の中腹。今年も感謝祭の式典が行われようとしているウェイラの町の近郊に大きな洞穴がある。入り口には石の彫刻が施され、その両端には武装した門兵が必ず二人常駐している。
何故そこまでしてこの洞穴は守られているのか。
それはこの洞穴に、この第四世界に住む四大神獣の内の一体である、大陸亀が住んでいるためである。
大陸亀が、なぜこの洞穴にとどまっているのかは誰も知らない。人が必要とした時だけこの洞穴から出てきて人々に恵をもたらすその事実だけが、大切なのだ。
だから、この洞穴に入る事は祭事の時に、ごく限られた人間にのみ許されている。
そのような、何人も立ち入りを禁じられているこの暗い洞穴に、黒いローブを纏った影がたっていた。
洞窟内の祭壇の上で眠る大陸亀の横に立ち、そっとその体に触れるが、どういうわけかこの侵入者を、大陸亀は気にする様子は無く、その不遜な行為すらも許す。
「~~~~、~~~」
その影が何かを呟くとその触れた手が、この洞窟の闇よりも深く黒い何かに包まれやがて消えた。そっと手を離すとこの穴の入り口の方をゆっくりと振り向く。感謝祭の祭事が始まったのか、複数の足音が下りてくるのが聞こえてきたのだ。
話し声は無く、呼吸する音さえ潜めているのが、こちらまで伝わってくる。ゆっくりゆっくり、彼らが持つ松明の陰に移るのは、四人の男の影だ。その先頭を歩く男が、ふと足を止めた。
「どうしたガマ」
しわがれた声が、静かな洞穴に響いた。
「いえ、そこに人がいるのが見えたもので」
ガマと呼ばれた男は、洞穴の中を見渡して、今見た人影を探す。
「長老、神獣様の住まいに人を立ち入らせたのか」
もう一つの声が言った。
「いえ、そのようなことは決して」
しわがれた声は答える。
「でも長老、そこに確かに人が」
「馬鹿者、司祭様の前で何を言っておるか。お前はわしに恨みでもあるのか。いいから、奥に進めい」
長老と呼ばれる老人に急かされ、ガマは不満そうに下っていく。
「すみません司祭様。ガマは暗いところでも、猫のように目が効くのですが、どうも悪ふざけが過ぎるのが玉に瑕でして、私も手を焼いておりまして……決してこの神獣様のお住まいに人は入れておりませんので、どうぞご安心を」
老人は、後ろの男に何度も頭を下げた後、再び下り始めた。
そのまま、ゆっくりと、後ろの三人が進む中、先頭を行くガマは突然、駆け降りるようにして洞穴を降り、そして祭壇の前で佇んだ。
その目は何かをとらえて驚きで、口は声も無く開かれている。
「どうしたガマ。初めて見る大陸亀にビビっちまったのか」
一番後ろ、大きな剣を担いだ中年の男が、からかうように笑う。
「これ、マンツ。静かにせんか。すみません司祭様、こ奴ら、今日はどうも興奮気味なようでして。普段はこのような事はしない者達なのですが」
老人だけは、祭壇に背を向けてまた頭を下げる。
「長老、そなたは先程、ここには誰も入れていないと言ったな」
「はい、そのようなことは決して。表の者達からも、誰かが入ったなどという事を聞いてはおりませぬ」
なぜそのようなことを聞くのか、老人は不思議そうに司祭を見上げるが、司祭の目は老人ではなく、祭壇の上の人影へと向けられていた。
「では、そなたは何者なのだろうな。どこから、ここに入って来た」
司祭の声が、洞穴全体に響く。
「いやはや、見つかってしまったか」
人影は男とも女ともつかない声で、そう言ったかと思うと、音を立てずに祭壇から降り、四人の男などには目もくれずに、そのままゆっくりと歩いて、洞穴の壁に右手の平で触れた。
「待て貴様、答えよ。ここで何をしていた」
老人が怒鳴った。若い二人の男は、いつでも取り押さえる準備をする。
「何をしていたか、それは今に分かりますよ。名前はそうですね」
人影は、振り向きもせずに、右手を横にゆっくりと動かす。
ガマが「あ」と言って、駆けだした。
人影は、被っていたフードを外すと、その下からは、中性的でやや細い顔つきの顔が優しく笑った表情で現れた。そのまま、今壁に開いたゲートの中に入っていく。その先の闇と比べると、この洞穴すら明るく見えた。
「名前はもしあなた方が、ここから出ることが出来たらその時に教えてあげますよ」
ゲートの向こう側。そこで男が指を鳴らすと、そのゲートは音もなく消えた。
「駄目です」
ガマが、ゲートのあった壁を悔しそうに叩き、振り返った顔は、すぐに恐ろしい物を見る物へと変わった。
突然、地面が揺れた。大陸亀が立ち上がったのだ。
その目は、自分の足元にいる四人へと向けられる。
「NWOOOOOOO」
腹の底に響く鳴き声を上げ、一直線に突っ込まれた三人は避ける間も無く飛ばされ、三人が立っていた場所には、大陸亀の巨大な胴体がのみが残される。
大陸亀の体は、黒いオーラで覆われていた。
「ひっ」
これは、もう神獣といわれた物では無い。見間違うことなく魔獣だ。
ガマは、懸命に逃げ道を探すが、今いるのは、壁と大陸亀との間の僅かな隙間でそのようなものは、どこにもなかった。
「なんでだよ」
迫ってくる大陸亀の胴体を見つめてガマは呟いた。それが最後の言葉。
ガマは、壁との間に挟まれ、ゆっくりと目を閉じた。
ドンドンドンドンドン。胸に響く音で少年は目を覚ました。
空は雲一つない晴天。感謝祭の日は晴れていても、必ず雲があるのだが珍しい。少年は、ベットから飛び起きると、部屋を出て階段を駆け下りた。今日は朝から街の友人たちと出店の下調べをしに行く約束をしているのだ。
「母さんおはよう」
階段を下りた先の玄関で母は誰かと話していた。父は祭りの準備とかで、早くに家を出ると昨日の夕飯の時に話していたのを思い出す。
「母さんおなかすいたよ」
テーブルの上のパンを一口、そして窓の方へと目を向ける。外の方が騒がしい。今年の祭りはいつもよりも賑やかなのかと、貯めていた小遣いの心配をする。
「あ、ベノ起きてたのかい」
どうやら外が騒がしくて、少年の声は届ていなかったらしい母が来た。
「うん、今ね」
パンをもう一口かじる。
「ちょうどよかった。お前今日の祭りのために小遣い貯めてたろう。それをポーチに入れて持っておいで」
やはりもう祭りが始まっているのだろうか。だが、さすがに自分がパンを食べる時間ぐらいあるはずだ。
「これ食べてから」
さらにもう一口と、口に運ぼうとしたパンを母親は取り上げた。
「そんなのいいから早く。魔獣が来てるんだよ」
少年が不機嫌なのを隠さずに睨みつけた母の顔は青ざめている。
これが冗談ではない事を悟った少年は、表情を変えて二階の自分の部屋に駆けあがった。
箪笥の上の革袋を掴み、かけてあるポーチに入れる。それを首から下げた所で、外からいくつもの悲鳴が、重なって聞こえてきた。どうやら、もう町のすぐそこまで来ているらしい。
急いで階段を降り、ドアのところへ、母親も同じポーチを下げて、ドアのところで待っていた。
「じゃあ行くよ」
「母さん、父さんは」
「あの人ならもう町を出てるはずさ、きっと途中で会えるよ。ほら早く」
母親に連れられて家を出た。人々は、右から左へと家の前の道を走っている。右は山の上の方、神獣の巣穴のある方角である。いくつも重なって聞こえて来る足音が魔獣が山を駆け下りて来ているのだという考えを、確信へと変えた。朝のまだ早いこの時間では、少年と同じようにまだ寝巻のまま逃げている人もいる。
先が詰まって、苛立ちから声をあげる人、赤ん坊の泣き声、それにうるさいと怒鳴り散らす男の声、中には荷物がぶつかっただのうんぬんかんぬん、この小さい町にこれだけの人がいたのかと思ってしまうほど多くの人々の喧騒で、街の中央を通るこの大通りは大騒ぎである。
「どうするんだよこれ」
少年がそう呟いたその時、山の上の方から突然大きな足音が聞こえてきた。山の木々をなぎ倒しながら、巨大な何かが、町の方へと向って来ている。
あれがこの町に入ってくるというのだろうか。あんなに大きなものが入ってきたら、この町の建物なんて、一瞬で無くなってしまう。
「母さん、あれも魔獣なの」
返事がない。
「あれ、母さん」
ドン。という強い衝撃と共に、逃げている誰かが少年にぶつかった。
少年は、そのまま地面に倒れる。その足に誰かが躓いた。次から次へ、人が折り重なっていく。上の人の重みで動きづらいが、それでも必死にもがいて、ようやく人の山から顔を出した少年の脇を後から逃げて来た街の人たちが走り過ぎて行く。誰も、少年の方を見ないようにただ、この人の山を障害物として捉えてその脇を抜けて行く。
「助けて」
少年は何度も叫んだが、それはこの町に響く人々と魔獣の足音にかき消されてしまう。
いつしか逃げてくる人の数も減り、通り過ぎてゆく人が殆どいなくなった頃、ようやく体が軽くなった。
「おい坊主大丈夫か」
少年に最初にぶつかった男が、膝に手を付いて少年を見下ろしている。上に載っていたこの人は、体中傷だらけな一方で、少年は最初に転んだ時の擦り傷くらいで、他に目だった傷はない。
どうやら、この人が少年の上にかぶさり守っていてくれたようだ。
「おじさんこそ大丈夫」
少年は立ち上がった。
「おう、これくらい、どうってことないさ、それより早く逃げねえとな」
ものすごい地響きを起こしながら、町の入り口に押し寄せる黒い波が、今まさに魔獣が町に入ろうとしているところで、波の中に蠢くものが見えるようになった。
「坊主、走れるか」
少年は大きく頷く。
「僕は大丈夫。それよりおじさんは大丈夫なの」
心配そうに見つめる少年に向かって、男は膝から手を放し、仁王立ちして見せる。
「俺なら平気だ、それより急ぐぞ」
もう魔獣たちは、すぐそこに迫ってる。一体一体がはっきりと見えてきた。
先頭にいる魔獣の胴体は犬、だが頭は鳥だ。
他にも、羽の生えた猪や、鹿の頭をはやした熊もいる。中には、頭は鳥その両腕には、狼の頭が生えた人間までいる。
その黒い波の向こうで、大きな山がやはり黒いオーラを纏って、魔獣たちの後に続いているのが見えた。
「そうか、神獣様がやられたのか」
隣で男の声。二人は、顔を合わせ頷き合うと、走り出した。
走っている少年の視界の隅、今年も行くからと約束していた射的屋のおじさんの店が見えた、そのまま走り抜けて、少し振り返る。ちょうど店が、魔獣たちによって、吹き飛ばされたところだった。
「あーあ。今年こそは、あの銃取ってやるつもりだったのにな」
その後も二人は走り続け、そして町から出た所で、直ぐに足を止めた。
「畜生、なんだって言うんだ」
隣の男が叫んだ、少年の方は声も出ない。街を出てすぐ、そこにもう人の姿はなかった。
いや、正確には人だった者達の姿しかなかった。
反対から魔獣たちが入ってくる頃、町はとっくに魔獣たちに包囲されていたのだ。
逃げ道など残されていなかった。
男が、空を見上げる。空は雲一つ無い快晴。
「雲さえあれば」
魔獣たちは一斉に飛び掛かり、二人を飲み込んでいく。最後まで空に向けて伸ばされていた腕も最後は力を失って、だらりと下がり、黒い波に飲み込まれて見えなくなった
出来上がった髪飾りを空に翳して、パーリーは満足げに微笑んだ。
パーリーが居るのは、ワークリア山の中腹にある花畑。この花畑はこの山に住む神獣の、大陸亀への感謝祭が開かれるこの時期になると、パーリーが摘んでいる、自分と同じ名前の花で白く覆われる。
パーリーは、今日開かれる感謝祭で付けていくための花飾りを作りに、今朝早く起きて、この山の麓の森にある自分の家から、この花畑に来ているのだ。
気が付けば、日はもう三分の二ほどの高さまで上がっている。ここから下の方に見下ろすと見える感謝祭が開かれる町、ウェイラの方からはさっきから笛の音が聞こえていた。
「急いで帰らなきゃ」
一度家に帰って、外行き用の服に着替えなければならないのだ。花畑のある、山の中腹から家までは、パーリーのような子供の足では、今から家に戻る頃には、お昼になってしまうだろうが、家の近くには、馬車の駅があって、そこから馬車に乗れば、祭りが開かれる町まで小一時間程、パーリーの父親の出番までには十分に間に合うはずだ。
パーリーの父親は、画家である。ただの画家ではなくって、昔居た神様の力で、空に絵を描く画家である。父が空に絵を描き始めると、町の人たちはみんな足を止めて、その絵が出来上がるのを待つのだ。
パーリーは、それがうれしくって、自分でも時々空に絵を描いて遊んでいる。父さんのようにはいかないけれど、それを母さんがやるみたいに動かして遊ぶのは楽しい。
この前、珍しく暇そうにしていた父さんに見せたら、最初は驚いていたけれど、その後で喜んでくれて、今日のお祭りの仕事が終わった後で、何か買ってくれる約束をしてくれた。
うきうきした気持ちを抑えきれずに、その場で軽く飛んでみた。とたんに、坂道なのでよろめいて、勢いが抑えきれなくなったパーリーは、小走りになってしまう。
勢いを止めたいが、体はパーリーの意に反して、どんどん早くなる。気が付けば、周りの景色はすっかり変わっていて、パーリーは森の中を木と木の間を、縫って走っていた。
このまま家まで走ってしまおうかしら。子供らしくそんなことを考えたその時、足が滑って、そのまま前のめりに倒れてしまった。
幸いにも、その辺りには小さな池があって、湿った地面は転んでも、泣き出すほど痛くわない。石ころの上で転んだみたいに、怪我をいっぱいする所ではないのでパーリーは、痛いのを我慢して立ち上がった。
池の水を鏡にして、パーリーは、頭の髪飾りを確認してみて、映った自分の頭を見てほっと胸をなでおろす。
「良かった」
髪飾りは、全く壊れておらず無事だった。もう一度確認、そこに移る顔には、泥が付いていて、それで拭おうとしたら、指に付いた泥が、頬に付いた。
そこを見るため、もう一度確認。そして、パーリーは、腹を抱えて笑い始めた。
自分の頬に延びる線がおかしくてたまらない。今度は、泥を鼻につけてみた、鼻の頭が茶色くなる。それを見て、パーリーはまた笑い出した。
「ははははは、わ、わたし猫みたい。それとも、キツネかしら」
静かな森に、パーリーの声が響く。
パーリーはひとしきり笑った後、血の出ているところを水で洗った。血の匂いを嗅ぎつけた、狼や熊に出会っては面倒だ。
最後に、笑いすぎてからからになった喉を、水で潤し、冷たい水が体に入っていくのを感じると、ふう。と息を漏らして、しばらく、そのまま木々の間から漏れる日の光を眺める。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。一度気を取り直していこうと、腰を上げたその時、パーリーの耳に威嚇するようにワンワンと吠える声と、さらに低く唸る声、それに混ざって悲鳴のような声も聞こえてきている。一匹ではなく、二匹、三匹、いや、十匹ぐらい居るかもしれない。
明らかにいつもと違う空気。これをパーリーは危険な物が近づいてきている時の記憶として覚えていた。
取り敢えず、近くの木によじ登る。驚くほどの早業である。
「声は、あっちの方から聞こえたかな」
声が聞こえた方に注意を向けるが、他の木が邪魔で、先が見えない。
昔、父さんに言われたことを思い出す。もし森でおかしなことが起きてると思ったら、絶対、そっちへ行ってはいけない。なるべく息をひそめて、じっとこらえるのだ。
彼らは、物音と生の気配だけを頼りに彷徨い、獲物を探す。そして、見つけた生き物を、自分の仲間にするのだ。
三年前のあの時もそうだった。あの時パーリーは、木の上に居て、父さんが、奴らと戦うのを見ているだけでよかった。聞こえた声は、あの時と似ている。
そして、彼らはやってきた。体から何本もの黒い蔦のような物を伸ばして、近くの仲間とつながっている。何本もの蔦が絡まって、遠くからだと一つの黒い塊に見えたが、近づいて来た今は、それらが一つ一つの個体が群れを成し固まっているだけだと分かる。
自分の足元を走り抜けて行く、魔獣の群れを息をひそめて観察していた。何体いるのかは、二十を数えた所で止めてしまったが、この数だと、被害にあった狼の群れは、一つ二つではなさそうだ、駆け抜けていく狼の一団の後を、他の生き物からなる魔獣が追っている。確認できたのは、今のところ、鹿、猪、蛇や、猿のような物もいた。
ちなみに、生きている内は、木に登る生き物も、魔獣化すると、木には登らず地を這うようになる。鳥などは空を飛ぶのだが、どうやら魔獣には、何かに登るという概念が無いらしい。
そのことに気付いた第四世界の住人たちは、子供たちに何かに登る訓練を課すようになった。パーリーも幼いころから、自分が住む森の中で、毎日練習してできるようになり、今では、木の枝から枝へ移って移動して遊んだりしている。
「あ」
しばらく経っても、途切れる様子の無い魔獣の波を見ていたパーリーは、思わず声を出し、慌てて口を押えた。幸いにも、森に響き渡る足音に、パーリーの声はかき消され、魔獣の耳には届かなかったようで、一頭も振り返ることなく。ひたすら前の仲間の後を追っていく。
パーリーは、胸をなでおろして、今、下を走って行く人の集団を眺めている。彼らの服は裂け、ぼろきれのような布になり、体は血で汚れている。彼らが来た方には、パーリーが、これから行こうとしているウェイラがあり、ここからウェイラの町までの間に、人がまとまって住む場所は一つもない。
胸騒ぎを覚えたパーリーは、家への木の上の道を急いだ。木の枝から枝へ、次々と飛び移り、木を揺らす。魔獣たちに気が付かれたらなどとは、考えもしなかった。
(大丈夫、私だって、いざとなれば、あれくらいの魔物何とか出来るんだから。)
万が一見つかっても、あの時の父のように、魔獣たちを倒してしまえばいい。父親程では無くても、パーリーは、神から継ぐ力が使えるようになっているのだ。やろうと思えば、木の一本や二本は、切り倒せるだけの力はある。
パーリーは走り続けた。もう木の枝が顔にかすっても、髪にかかって乱れても気にしない。いつの間にか、手にも頬にも、いくつも傷が付いて、ヒリヒリとするが、それで痛いと言って、立ち止まったりなどはしなかった。
森の中には、もう生き物などほとんど居はしないのかもしれない。森中に、魔獣たちの足音が地響きとなって、響き渡り、生き延びているものは、何処かに身を潜めているのだろう。足音から、森のどこに魔獣がいるのかは、気にする必要は無く。何処にいても、必ず魔獣が近くにいる。
この森で最も危険な熊でさえ、今はあの黒い波の中に混ざっていた。
母はもう弟と逃げただろうか。それともまだ、家の中で、息をひそめているだろうか。
まだ家に居たら、一緒に逃げよう。パーリーみたいに速く、木から木へ飛び移ったりする事は出来ないけれど、木登りを教えてくれたのは母さんだ、登ることぐらいはできる、パーリーが先に行って、通れるところを教えてあげれば、母さんだって、ゆっくりだけれど、移動はできるはずだ。弟は、自分が背負って、魔獣がいないところまで逃げよう。
魔獣なら、そのうち大人の兵隊さんたちが沢山来て、前の時みたいに倒してくれるはずだ。
パーリーは、家に着いた後の事を考えて走り続け、気が付けば、見慣れた場所にまで来ていた。いつも遊んでいるこの辺りなら、もう目をつぶっていても、どこに枝があるか分かる。何処を行けば、より早く家に帰れるか手を取るように分かった。
だが、そんな場所まで来ても魔獣たちはまばらながらに、辺りを徘徊している。
急いで帰らなければ。パーリーは、また一段と速く足を動かして、家への帰り道を急いだ。
速く、速く、速く、速く。そればかり考えていても、パーリーは、間違えることなく枝を選んで走って行く。
家までは、後少しというところで手を止めた。
ここの木々の隙間から、家の屋根がわずかに見える。小さいころ、地味だと言って、父が、パーリーに塗らせてくれた赤い屋根。その屋根を見て、パーリーは手を止めたのだ。
いや、屋根であった場所を見て、パーリーは目を見張った。