4、独創的非対称
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『いいか歩。例えそれがどんな悪人であろうと、助けを求めている奴が居たら手を差し伸べろ。それが騙されていると分かっていても……―――。色々考えるのは全部が終わってからでいい。一先ず助ける。……助けた相手に騙されるくらいなら、それが男の本懐だ』
正直、意味は分からなかった。
その上、そんなことを決め顔で述べていた親父は、奈良公園で鹿の大軍に囲まれたとき、全ての鹿煎餅をおれに押し付け、一人脱兎のごとく逃げ出していた。鹿の群れの中央でいくらおれが助けを求めても
『すまん!』
と明快に謝るだけで、どんどん小さくなっていった親父の背中はきっと永遠に忘れない。
――――だが、それでも。そんな腐れ外道で頼りなく、どうしようもなく不器用な親父であったとしても、
『例えそれがどんな悪人であろうと、助けを求めている奴が居たら手を差し伸べる』
それは、確かに親父が遺した言葉だ。
まだ親父なんて呼んでいなかった。「お父さん」の内に死んでしまったけれど、今度会った時はぶん殴って言ってやる。
「おれは親父の遺言は守った」
自信満々に、胸を張って言ってやる。
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だから今も、差し伸ばされた手は全力で握ってやろう。
例えそれが訳の分からぬ女の手でも。
そいつが座敷童を名乗っていたとしても。
相手が化け物であったとしても。
そんなの全部関係ない。考えるのは、全てが終わってからでいい。一先ず、助ける。……もしそれで騙される様なことがあったとしても――――
それが男の本懐だ。
おれは目の前の鬼を睨み据え、徐に炬燵の上に転がる蜜柑を掴む。そしてそのまま、鬼の眼めがけて高校球児もさながらの全力投球で投げつける。
黄金の右腕が撓り、風を切る。指に些細な名残を残して離れていった蜜柑はさながらレーザービームの如し。まるで吸い込まれる様に鬼の目玉に直撃した。
そしてつぶれた。
溢れ出る果汁。
―――VooooOOOO!!―――
また鬼が吠える。地面に突き刺さったこん棒から手を離し、後ずさる。両手で目を覆いその場に跪く。
「え……」
耳元で素っ頓狂な声が聴こえた。
「座敷っ! 頼む、教えてくれ! あの化け物はどうやって倒せばいい?」
「…………っ!!」
束の間の衝撃。
おれを絞め殺す勢いで入っていた座敷童の腕の力が緩んだ。だが直ぐに、その何倍も強い力でぐっと抱き付かれ。
「はいっ!」
座敷襖子の愉悦の声が聴こえる。
そのまま説明を待っていると、不意に腹部に回っていた手がなくなる。
……なんだ? と黙っていると、つい先頃まで背後に居たはずの座敷襖子が、のさっとおれの前にやってきた。
「なんだ、どうかした?」
「……っ!」
だが座敷童は答えず。熟れきったリンゴのように顔を赤らめ、やをらにその顔を近づけてきた。
「え……んっ」
驚愕していると、あっという間に彼女の顔は目の前数センチのところにあり……やがてその唇が重なった。
柔らかく、滑る様な優しい接吻。互いの口が接している間、彼女から漂う匂いはやっぱりじいちゃん家の、座敷の香り。
おそらく数秒の短い間。
やがてその香りは徐々に離れていき、相変わらず真っ赤な顔をした座敷襖子の顔が目の前にあった。
……え? 何だ今の?
「…………」
「…………」
互いに何を言えばよいのか分からず。
そもそもおれに至っては化け物の討伐方法を聴いたのに、いきなりキスをされたのだ。訳が分からない。
混乱と高揚が心中を占め、ただ黙っていると、やがて座敷童は言った。
「……い、い、い今ので、おいらと歩さんの契約は結ばれましたっ! だから、おいらたちは、ぱ、ぱぱ、パートナーになりますっ! ――――こ、これでおいらは、歩さんの事を支援することができるのですっ!」
「……あぁ」
なるほど。つまるところ、目の前の化け物を倒すにはおれと座敷襖子がパートナーになる必要があり、パートナーになるためには契約の接吻が必要だった、ということになるのだろう。
「ありがとう……それで、どうやって奴を倒せばいんだ?」
気持ちを切り替え応じると、座敷童は赤い顔のまま、少しだけ面白くなさそうに唇を尖らせた。
……が、直ぐに現状に戻り、慌てた様に着衣している着物の裾からある物体を取り出し、
「此れを使ってください!」
その言葉と共に、渡されたそれ。
思わず目を閉じてしまう様な閃光に包まれ、その物体の正体がつかめない。だが、薄眼を開けて、何とか受け取ったその手触りから察するに、おそらく長い棒状のものだ。
……これは刀か? それとも棍棒? それにしては妙に細い。
「……」
じっと物体を触っていると、徐々に光が弱くなっていく。それに比例して視野も明白になり、遂にはその物体が正体を現した。
大まかに、材質は木だ。
長さはおれの脚位と意外に長い。棒状の木の先端はぐるりと内側に巻き込まれている。そしてその先端には職人の手により、幾本の筋が刻まれている。
此れで背中でも搔けば、きっと痒い所なんてなくなってしまうに違いない。
一方反対の、おそらく〈柄〉と形容できる部分には、まるで血を吸った様に赤い、ゴルフボールのような球体が付着している。
此れで肩でも叩けば、きっと程よく解れるだろう。
いっそ神々しいとも形容できる、眩い光の中から現れたのは、少し長めの〈孫の手〉だった。
「……」
「……」
「孫の手じゃねえかぁあ! おいお前、これでどうやって戦えって言うんだよ! 戦闘中に痒い所搔いている場合じゃないだろうがぁ! それで、通常の奴より少し長いのがなんか腹立つんだよ!」
「お、落ち着いてください歩さん! それはただの〈孫の手〉ではなく〈MAGONOTE〉です! NZKが生み出した秘密兵器です!」
「結果〈MAGONOTE〉じゃないかよ! 本気で此れどうやって戦うんだ? 相手の痒い所でも搔いて仲良くなろうって言うのか?」
「大丈夫です歩さん! おいらを信じてください!」
大きな胸を張り、自慢げに座敷童が応じるが、そんなことはどうでもいい。
「ごめん信じられん。こればっかりは信じられん。例えお前を信じられたとしても、MAGONOTEを信じられん」
そんな問答を繰り広げている間にも、眼球が小康状態を迎えた鬼はぬっと起き上がり此方を睨む。
そして地面に刺さる棍棒を抜き取ると、
―――VooooOOOO!!―――
また吠えた。どうやらだいぶ御立腹らしい。
「そ、そんな……。歩さんの〈ビタミン・シューティング〉をくらって、こんなに早く起き上がるなんて……!」
「勝手に恥ずかしい技名をつけないでくれ……」
テンション変化の甚だしい座敷童に呆れながらも、意識を眼前の化け物に移す。
「……ぐるる」とまた、喉の奥を鳴らしたそいつはいっそ純真ともとれる漆黒の瞳で此方を見据え、巨大な棍棒を担ぎ上げた。
一方、おれの対抗措置はと言えば、一先ず手に持つ〈MAGONOTE〉を構えるより外ない。
よって今、此の場に第三者が入り込むと、一方で黒い凶器を構えた化け物を。
もう一方では、孫の手を構えた青年を垣間見る、という独創性が強い画家ですら描かぬ左右非対称を見て、唖然とするに違いない。
……おい本気でこれどうするんだ。今日は何もかもが初めてのことだらけだ。
それも、一般的な人生において体感する必要性も必然性もないような人間道を踏み外したようた事象ばかり。
「……座敷童」
不意に呼べば
「はいっ!」
背後から元気な声が帰って来る。
己の発生が全ての原因であるということに気が付いているのかいないのか。陽気な声からは、まるで現状に対する危機感を感じない。
「本気で信じていいんだよな? 孫の手で勝てるんだよな?」
「違いますよ歩さん。孫の手ではなく〈MAGONOTE〉です。そして〈MAGONOTE〉と歩さん、そして歩さんが帯びるZASHIKI THE WAVEがあれば…………あ、あとおいらの応援があれば、絶対にSDDを倒すことができます!」
「絶対応援いらないやつだよなそれ! ……というか、座敷は加勢しかしないのか」
「はい。先にも述べましたが、おいらたち座敷童は戦闘において、全く持って、それこそ皆無に、いっそ清々しいほど何の力もありませんから。パートナーである人類を見つけて、守ってもらうよりほかにないんです」
「……」
堂々たる座敷童に対しては沈黙を貫き、目の前の化け物に意識を戻す。
ぐぅぐぅと腹が鳴る様な呼吸が聴こえる。化け物が一度呼吸をすると、厳格な体躯が上下する。
両手で構えられた棍棒の先端が鋭く此方を向き、決して逃げることを許さない。
……もう、やるしかないか。
今更御託を並べたところで仕様がない。決意を新たに〈MAGONOTE〉を構えなおす。
因みに〈MAGONOTE〉において、どちらが攻撃手段に成り得るか分からなかったおれは、一先ず、赤いゴルフボールのようなものが付着している〈柄〉を眼前の鬼に向けている。
つまり〈MAGONOTE〉の〈孫の手〉の部分と握手をするような形になる。
「…………」
そんな無機質なシェイクハンズに動揺していると、唐突に、鬼が動いた。