表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
座敷童と休学戦記  作者: 近情アオバ
第1章―始まりの出会い―
4/8

3、奇襲


 おれが呟くと、座敷襖子がむくりと炬燵の中から顔を覗かせた。


「は、はしもとさん……ですか?」


 眼に涙を溜めて怯える彼女を前に、おれも思わず固唾を呑む。

ごくりと喉が鬱陶しいほど音を立て、さながら早鐘のように心臓が脈打つ。


 橋本さん。通称、鬼。


 齢52の婦人でありながら、一見して30代半ばに見紛う若き容姿を保ち続けている、この界隈で名高い妖怪である。

 彼女の出没頻度はそれほど高くは無いが、月末が多い。どこにでもあるごく普通の服を着て、その上からクリーム色のエプロンを羽織り、左手の薬指には指輪をはめている。つまるところ、夫が居る。


 そんな家庭を持つ身でありながら、鬼は月末になるとよくこのアパートを訪れて


「金寄越せ金寄越せ」


 と自前のフライパンで脅迫してくる。


「その、誰なんですか、そのはしもとさんとは……?」


 あまりのおれの怯えように、迷子のような顔で座敷襖子が言う。

 おれは答える。


「大家だ」


 そう、橋本さんは、この木造アパート〈ブリッジブック〉の大家である。

 月末になると、家賃未払いのか弱い雛鳥たちを「金寄越せ金寄越せ」とダイヤモンドコーティングが成されているとかいうフライパンで脅迫せしめる、実に全うな大家である。


 だが、今月の家賃未払いのおれにとって、橋本さんはさながら悪魔。

〈正義の反対はまた別の正義〉とは、実によく言ったものだ。

 おれの恣意的な正義と橋本さんの合理的な正義はどちらも正しく、どちらも交わることは永遠にない。


「大家さん、ですか?」


 と可愛らしく小首を傾げる座敷襖子に構っている余裕はない。


 因みに今は金は無い。

 強いておれが持ち合わせている財産があるとすれば、橋本さんから頂いたダイヤモンドコーティングが成されているとかいうフライパンぐらいだ。


 ……どうする、どうすればいい?

 

 逡巡してる間にも、扉は強烈にノックされる。

 ドンドンと普段に況して、勢いのあるそのノックの威力は留まることを知らず。


 まだ築5年の〈ブリッジブック〉。郊外であるにもかかわらず、家賃7万円もするこの建物は非常に堅固だ。にも拘らず、今、その建物全体が揺れている。


 ……こいつはいつもの数倍激しい。もしかすると、昨晩夫婦喧嘩でもしていたのかもしれんな。


 呑気に考察していると、ノックの音が止む。


「……お、お、お終わりましたね」


 と、座敷襖子がホッと一息ついたのも束の間。

―――ズガンっ!―――とひと際大きな音を立てて、おれの顔面数センチの所を何かが通り過ぎていった。 

 ひゅんと耳元で風が鳴り、木材の匂いが鼻先をかすめたその直後。発情期の猫の鳴き声のような音が周囲一帯に鳴り響き、実に呆気なく、ベランダへ続くガラス窓が割れていた。


「「……え?」」


 可及的に進む破壊活動を前にして座敷襖子と顔を見合わせるも、問題が解決するはずも無く。

 ふと寒風に身を竦め、玄関を見やると、あろうことか、我が家の玄関扉が無くなっているではないか。


「ちょ! ちょっと橋本さん! 何もここまでやらなくてもいいじゃないですか? どうするんですか? まだ冬なのに寒いじゃないですか! ……まさか此れの修繕費っておれに催促されるんですか? それは困りますよ!」


 時刻はまた正午。

 逆光に隠れる玄関口は視界が不明瞭ではあるが、刻一刻と黒い影が近づいてきている。おそらく、あれが鬼。橋本さんだと思い、声をかけるも反応が無い。


 おいおい、まさかこんなに怒っているなんて聴いたないぞ? 

 なんだよ、昨晩橋本家では離婚話でも出たのかよ。


「あの、橋本さん……?」


 返事さえしない橋本さん。恐る恐る読んでみても、


ぐるる……。


低く唸るのみ。その重低音はさながら獣。獲物を見つけた狩人のような殺気を纏って近づいて来る。


「うぇっ……! うぅ……ど、どうしましょう歩さん! 橋本さんがこんなに怖い人なんて! 人間界の大家さんは皆こんな感じなんですか? おいら怖いですよ! 心なしかこの部屋のZASHIKI THE WAVEが薄まっている気がします!」


 もはや泣きだしてしまった座敷襖子が背後からしがみついて来る。

 背中に女性特有の柔らかな感触を感じるが、毎度違わず、今はそんなことはどうでもいい。


 ……まずい、これは本気でまずい。


 今迄家賃を滞納してしまったことは幾度かあったが、それでも橋本さんはフライパンで脅迫してくる程度だった。

 前日にご主人と夫婦喧嘩をしていた時はまさに借金取り然とし、雛鳥を食らう熊の如く攻撃的な日もあったが、それでも此処まで乱暴狼藉を働いたことは一度もない。


「は、橋本さん、家賃は、払いますから……一先ず、落ち着きましょう。……あ、でもすいません、修繕費は払えません」


 激情している人に対して高圧的に接することは不適切である。火に油を注ぐ結果になってしまうとは良く聴く。おれは冷静に努めて申しでたが、それでも橋本さんは止まってくれない。

 ずごずごと乱雑に畳敷きを踏みしめて「ぐるる……」と腹の底から喉を鳴らし、いよいよおれたちの前に姿を現した。


「「……」」



 そしておれは、橋本さんの姿を見て、想わす絶句した。



 逆光から正体を現したその影。

 其処にいたのは、頭を牛、胴体を鬼とする、まさに化け物であった。

いや鬼の体など、おれは厳密には見たことはないのだけれど、赤黒い身体に浮き出る太く、濃い、紐のような血管と、隆々と膨れる筋肉は異形の一言。

 上背2メートルには及ぶその体躯は紛れもなく〈鬼〉のそれだった。


「……は、はしもと、さん……」


 ……おいおい、何時の間に、橋本さんは本物の鬼になっちまったんだ。ついこの間見た時は、まだいつも通りの鬼の気配を漂わせる人間だったのに。これではただの鬼だ。……これはおれのせいなのか? おれが家賃を払わないから橋本さんは鬼になってしまったのか?


 訳の分からぬ後悔と自責の念に苦悩をしている間にも、橋本さんはずごずごと此方に歩み寄って来る。

 よく見ると、おれの大腿と同等の太さがある右腕には、その瞳と同じようにどす黒い棍棒が握られていた。


 此れはいかん。一先ずこれはいかん。

 

「は、橋本さん、落ち着いてください」


「いつまで勘違いしてんですか?! おいらその方のことを見たことないですけど、これ絶対に橋本さんじゃないですよね?! と言うか此れが橋本さんに見えるって、歩さんは橋本さんのことを一体何だとおもっているんですか?!」


「な、なに?」


 橋本さんじゃない、だと……?


 改めて鬼を見る。

 そう、鬼だ。つまり、橋本さんだ。 

…………………………………………………………………………………………………………いや違う。おれの知る橋本さんは、仮にも鬼のような人間だ。だが、今目の前にいるのは橋本さんじゃない。――――鬼だ。


「……ふぅ」


 実に不思議なもので、眼前の存在が、大家でないと分かると途端に緊張が緩む。

 ―――が、その瞬間。

 目前まで来ていた橋本さ……いや、鬼は不意に右腕を大きく振りかぶると、目にも留まらぬ速さで巨大なこん棒を振り下ろした。

 ぶわんと顔に空気圧がかかり、束の間五感が鈍る。だが猛烈な破壊音を立てて崩れたアパートの地面と、それに突き刺さる黒い突起物を見て、己の生命の危機を再認する。


「「……え」」


 まじか。まじなのか。


 生まれてこの方22年。おれを生んですぐ母が死に。小学生の頃に父が死に。それ以降、魑魅魍魎の如き祖父母に育てられてきた。だが、ここまで己の死を身近に感じることはなかった。


 先とは比較にならないほど心臓が警告する。

 ドクドクと爆ぜるように胸が高鳴り、妙な汗が額を伝る。


「「……」」


 おれも座敷襖子も声すら出せず。

 改めて眼前の巨体に目を付けると、その分厚い胸板の一部がわずかに光っていることに気が付いた。どうやら何かの文字になっているらしい。赤黒い体表に似合わず小さく、されど克明に刻まれたその文字群。


「あ!」


 先に気が付いたのは座敷だった。


「あ、あの、あれ! おいら見たことがあります! あの、鬼の胸の奴、〈SDD〉って書いてある奴! あれが、シンデンヅクリの紋章です! ――――だから、この橋本さ……じゃなくて、この鬼が現れてからZASHIKI THE WAVEが減少している気がしたんですよぉ!」


 おれを背後から締め上げながらの大声。

 少し耳に手厳しいが、なるほどようやくこの化け物の正体がわかった。


 言われてみると、確かに輝く文字は〈SDD〉に輝いている。……って、SDDの奴らはどれだけ自分たちのことが好きなんだよ。わざわざこんな分かりやすい箇所に襲撃の証拠を残すとは。……いや、それとも任務を完璧に遂行する自信があるのか。

  

 差し当たっての任務は、この一室のZASHIKI THE WAVEを喰うことにあるのだろう。

 如何なる手段を使うのかは分からないが、此れ以上暴れられ、部屋を破壊されでもしたら、もう一匹の鬼(橋本さん)が覚醒することになる。


それは困る。…………本気で困る。

そんなことを考えていると、



―――VooooOOOO!!―――



 鬼が吠えた。その声は、もはや音の塊となって全身を刺激する。



 ……やばい。死ぬ。



 切実に。ただ切実に、そう思った。

 走馬灯なんて流れない。最後に愛しき誰かを思う様な事もなく、況してやそんな誰かに言葉を残すなんてありえなかった。


 ただ淡々と「死ぬ」と思った。極あっさりと、生きることを諦めた。いっそのこと、もう死んでもいいかもしれないと、そうも思った。



―――が、その時不意に、おれの腹部に回った座敷襖子の腕の力がぎゅっと強くなった



 自分の震えだと思っていたそれは、どうやら彼女のものであったらしい。


 ……なんだ。色々言いながらも怖かったのか。不安だったのか。


 ついさっきまでの自分の態度が、どうしようもなく不甲斐なくなる。


 何をやってたんだよおれは……。最初から、それこそ急に押入れから出て来た時から、こいつはずっと助けをもとめていたじゃないか。


 背中には、じんわり彼女の涙の感触が伝わって来る。小刻みに、細く震える彼女の腕。

 それをじっと見ていると、ふと、昔、父がおれに言った言葉を思い出した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ