2、座敷波動
「…………」
……意味が分からん。
説明は比較的に真面目に聴いていたはずなのに、それでも意味が分からない。
まず、おれの最初の問いである「座敷童とはなにか」は、果たしてどこへいったのか。
座敷を守ってくださいと言われても、具体的に何をすればいいのだろうか。そもそも座敷童とパートナーになるとは、どのような状態を指すのだろうか。
数多の疑問が湧いて出る。――――だが、今のおれはそんなあらゆる疑問を捨てでも、目の前の座敷童の言っておきたいことがある。
「なぁ、この部屋にその……ZASHIKI THE WAVEがあるってことは、同じ間取りの隣の部屋にもあるってことだよな? だったら悪いけどそっちへ行ってくれ。おれは自分のことで精いっぱいで、座敷の平和を守っている暇なんてないんだよ」
面倒事は御免だ。と、そう思い言ったのだが、対面の座敷襖子はズドンと炬燵を叩いて腰を上げると机の上に身を乗り出した。その反動で彼女の巨乳がぶにゅりと揺れ、おれの鼻腔は畳のような香りで満たされる。
……こいつ、じいちゃん家みたいな匂いがするな。
と、安心していたのも束の間。ムッと怒りを表情に表した座敷襖子は此方に顔を近づけ言った。
「何を言っているんですか歩さん! おいらの話をちゃんと聞いていましたか?」
「は、はい」
聴いたうえで分からなかったのだが、あまりの勢いに気おされる。
「いいですか? 強力なZASHIKI THE WAVEはですね、その家・座敷にのみ宿るものではなくて、あくまでそこに住まう〈人〉ありきなんです! どれだけ立派な意匠がこらされようと、どれだけ精巧な書院造が成されようと、〈人〉が住んでいなければ、それは家ではなく、唯の建物です建築物です! そんな空っぽの座敷には、ZASHIKI THE WAVEは生まれません!」
「すいません……」
山道を駆ける獅子を思わせる迫力に謝ると、彼女も落ち着いたのか、ストンと腰を下ろし
「こちらこそすいません」
しおらしく謝った。―――が、直ぐに顔を上げると今度は優し気な笑みを顔に施している。
百面相も甚だしい。
「少し興奮してしまいましたが、要するに、同じ家の同じ間取りに住んでいるからと言って、誰もが座敷童のパートナーに成れる訳ではないんです。……手入れの行き届いた日本家屋、尚且つ、其処に暖かな空間を形成できる、古き良き日本人。それらが揃って初めてZASHIKI THE WAVEは誕生します。……だから歩さん、あなたはおいら達座敷童にとっては、まだ見ぬ秘宝のような存在なんですよ?」
「なんか、ありがとうございます」
はっきり言って全く嬉しくないが、一先ず礼を述べる。
「いえいえ」と座敷襖子ははにかみ、
「そう言うことで、歩さんは、おいらのパートナーになって一緒に座敷童たちを救って欲しいのです」
「……」
なんだこれ……。
正直こいつが現れてからの事象、全てがおれの脳内許容量を大幅にオーバーしている。
これは大学4回生でありながら、大した理由も無く休学を決め込んでいるおれに罰が当たったのか? おいおい神様。だったらもう少し分かりやすい罰を与えろよ。何だよ座敷童ってなんだよNZKって。 そういえば、未だに説明されてないからわからんよ。
心中暴れ馬のように疑念が心を乱してくるが、今それを聴いたところで話しが振り出しに戻るだけだ。こいつを、もとい、座敷童たちを助けるか助けないかはさておき、一先ず話を聴くべきだろう。
差し当たっての大きな疑問は―――
「……その、さっきからよくわからないのが、パートナーになるっているのはどういうことなんだ? それに、その座敷童とか座敷を救う手段とやらをおれは知らないんだけど」
「あ、そういえば言っていませんでしたね。――えと、まず面倒な後者の方から説明いたしますね。座敷を護ると言いましたが、正確にはZASHIKI THE WAVEを帯びる座敷、とりわけ、座敷童が住んでいる座敷を護って欲しいんですよ」
「……どうすればいいんだ? それに、座敷童が居れば大丈夫じゃないのか?」
「いえ、残念なことに、おいらたち座敷童にはそれほど強力な力はありませんから。此ればっかりはパートナーの人間に守って頂くよりほかにないんです」
座敷襖子は眉間に皺を寄せて俯いたが直ぐに顔を上げ、
「それで手段の方はですね、物理的に、守って頂きたいんです」
「物理的に……」
「はい。実は、先に述べた現代日本の座敷の衰退原因はほんの一例に過ぎないんです。……日本家屋の減少や、ダニ・やシロアリの増加は昔からあることでしたから、おいらたちもそれほど危惧していたわけではないんですが……。最近になって、妙な団体が現れたんです」
「妙な団体って言うのは、その例のNZKみたいな連中なのか?」
「えと、組織的には同列ですが、実施している活動はまるで対照的です」
そこで座敷襖子は心底怒っていますと言うように、真っ白な頬をわずかに上気させてムッと膨らませた。
「その団体の名前は、シンデンヅクリ、通称――SDD。おいらたちNZKの敵ですっ!」
「…………」
こいつらは絶対にわざとやっている違いない。
もはや面倒なので一々拾わず、話の続きを促した。
「そのSDDがですね、どういうわけか、おいらたちNZKを滅ぼそうとしてくるんですよ! 強力なZASHIKI THE WAVEの溜まる座敷に赴いては、訳の分からぬ化け物を召喚して食べさせてしまうんです! 許せませんっ!」
「ZASHIKI THE WAVEを喰うだって? ……大丈夫なのか? 腹とか壊さないのか?」
「あぁ、それなら大丈夫です。ZASHIKI THE WAVEは一般的に人体には何一つ影響を及ぼしませんか――――って、何でSDDの心配をしているんですか歩さん! あいつらは敵ですよ!? おいら達座敷童を滅ぼそうとしている危険な連中です!」
「おいらたち座敷童って言われてもな……」
おれは座敷童ではない。
何より、SDDだかNT○だか知らないが、正体不明の組織と敵対してくれと頼まれ「はいそうですか」と頷けるほど、おれは好戦的でも苛烈的でもない。
その上、根本的な問題として、座敷襖子が言っている内容が事実であるかどうかも定かではない。
仮にこいつが嘘を付いていて、おれがSDDなる組織に誤った刃を向けてしまったら……。恥ずかしくて、この先の人生、古き良き寝殿造りの家に住めたものではない。
それは困る。将来的には、大きな日本家屋を買って、悠々自適な生活を送りたいおれにとって、SDDはあまり敵に回したくない連中だ。
もし仮に。マンに1つの可能性で、座敷襖子の言質が正しかったとして、見方を変えれば見え方も変わる。
もしかすると、NZKにも被があるのかもしれない。SDDは止むに止まれぬ事情があり、ZASHIKI THE WAVEを喰っているのかもしれない。
〈正義の反対はまた別の正義〉とはよく聞く。
そんな証拠も根拠もない正義が蔓延るこのご時世。
いっそ最も正義たるものは、何も掲げぬ正義であるのかもしれない。と、おれは怠惰心に任せてそんなことを想ってみたりする。
要するに、面倒だから帰ってほしい……。
「……」
「……」
そんなおれの心の内を読んだという訳ではないだろうが。座敷童は束の間泣きだしそうな顔になってしまった。
――――が、直ぐに無理やりな笑顔を作り
「そ、それではパートナーの方の説明をしますね!」
いささか申し訳なくなった。今まで溌剌としていた女が落ち込むさまは、見ていてあまり気持ちの良い者ではなかった。
……なんだ、なんだよ面倒だな。と躍起になって
「あぁ……。ちゃんと聴くから、早くしてくれ」
途端、座敷童は満面の笑みを見せ
「はいっ! それでは――えと、パートナーと言うのはですね、文字通り、パートナーです!」
「おい、折角ちゃんと聴いているのに、揶揄うんなら帰るぞ。いや、此処おれの家だ。……帰ってくれ」
「いや、違います! 揶揄っている訳じゃありませんって! 本当に、人間が使うのと同じ意味のパートナーです! ふ、夫婦です!」
わたわたと座敷童がせわしなく手を動かすと、その反動でぶにゅりと肉感的に弾む乳。だが、今はそんなものに気を回している暇はない。
……パートナー? 夫婦だと……?
驚愕に、じっと座敷襖子を見やると、目が合った。
彼女は顔をリンゴのように赤くして俯いた。
「い、今の話は、まじ、ですか?」
「は、はい、マジです。……だから、その、あの、あ、歩さんには、おいらのパ―――――」
彼女が言いかけたところで、――ドンドン!―――と木造アパート全体を揺らすような衝撃が走った。同時に、耳を塞ぎたくなるような打撃音。
「うわわっ!」
と、座敷襖子は炬燵にもぐりこみ、おれは音源の方へと目を向ける。
そこは、おれの家の玄関扉。目を付けていると、再び―――ドンドン!―――と音が鳴り、扉が揺れる。
……まずい。いや……………………………まずい。
この破壊活動には恐ろしく心当たりがある。心当たりがありすぎる。
「……橋本さんだ」