~蒼の洋館(メインディッシュ)~
鬼は瞬きもせずこちらをジッと見ている。口は少し開いており、ダラダラと涎が染み出して床へボタボタと流れ落ちていく。
将吾はこの鬼が自分を食べようとしていると即座に判断し、驚きと恐怖で反射的に鬼の顔を蹴り、ベッドから抜け出した。
「…………。」
「お、鬼!?」
将吾は一目散に部屋から飛び出し、鬼から逃げようと必死に走る。しかし、鬼の方が走るスピードが早く次第に距離は縮められていく。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」
このままでは追い付かれるのも時間の問題。どこかで身を隠してやり過ごすしかないと、隠れやすい厨房へと入り、大型の冷蔵貯蔵庫へと逃げ込んだ。どこかに隠れられる場所はないかと辺りを見渡し、さらに奥にある冷凍スペースへと入り、食材の影に隠れて息を潜めた。
「…ドコヘ隠レタ?」
将吾は必死に息を殺す。冷凍庫の中という事もあり、ただでさえ震えが止まらず、呼吸もしづらい。それをぐっと堪え存在感すらも殺し、鬼が過ぎ去るのを待つ。
足音が近付き、バレないかという緊迫感で心臓の鼓動が早くなる。将吾は必死に胸を抑え、心臓の鼓動を出来る限り小さくしようとする。
「ココニ入ッタト思ッタガ、勘違イダッタカ?」
鬼はそう呟くと、ゆっくりと将吾のいる食材の場所から離れていく。足音が遠くなり、ホッと息を吐いた。
「ナァンテナッ!ソコニイルノハ、ワァァカッテルンダァヨォッ!」
鬼は一瞬で将吾のいる場所まで戻り、食材ごと将吾の左肩に喰らい付いた。
「な、なんだとっ!グァァァァァァッ!」
「ヤハリマダ食べ頃デハナイナ。シッカリト肥エテ食べ頃まで育ツンダヨ…。」
将吾は痛さに耐え切れずに意識が途絶え気絶してしまう。
目を覚ますと、将吾はベッドの上にいた。
昨夜の出来事は夢だったのかと疑ってしまうが、左肩に残る痛みが夢でないと訴えてくる。
「何だったんだ…あの青い鬼は…。」
「うぅ…ん…。あ、ショーゴさん起きたんですね。」
ふと右横から声がして、視線を右に向ける。そこには布団に入っているが、一糸まとわぬ姿でサヤがこちらを見ていた。そしてよくよく自分の状態を確認すると、将吾自身も服を着ていなかった。
「さ、サヤ?」
「おはようございます。昨夜は激しかったですね。あんなに激しくされたのは初めてです。」
「はい?」
「まだ寝惚けているんですか?昨夜は私と…。」
昨夜は、あの青い鬼に追われてこの洋館の中を走り回っていた。サヤのこの状態、そして赤面しながらのこの態度。それから連想する様な事をした記憶が全くもってないのだ。
「サヤ、まさか君はあの鬼だったのかい?」
「鬼?鬼の様に猛々しいのはショーゴさんの方でしたよ。とても立派でした…。」
サヤは布団の端を持ち恥ずかしながら顔を布団で隠す。
何この状況。自分がそんな事をする度胸なんて持ち合わせてないはずで、昨夜の食事も記憶が飛びそうなものは無かったはず。それに左肩の痛みが昨夜の出来事は鬼とのまさに"鬼ごっこ"をしていた事を物語っているのだ。
「いやいやいやいや、そんな事無かったよね?俺は昨夜、青い鬼に追われて冷凍庫で左肩を噛み付かれたんだから!その証拠にこの左肩の傷を見てみなよ!」
将吾は右肩をサヤの方へ向ける。
「ごめんなさい。あの時、激し過ぎて、イク寸前についショーゴさんの左肩を噛んじゃったんですね。」
将吾は自分でも確認すると、鬼の大きな痕ではなく、小さな歯型だった。
「一体どうなっているんだ。」そう思いながら左肩に触れながらサヤを見つめる。左肩の骨に違和感があり、触れた瞬間激痛が走る。この感覚は確実に骨にヒビが入っているなと思いつつ、痛みを必死に堪える。
「そんなに見つめないでください。恥ずかしくなってしまいます。それにそろそろサユが朝食の支度を済ませている頃ですので、服を着て食堂へ向かいましょう。」
サヤの目を見ている内に青い鬼に追われていた記憶が薄れ、その代わりに夜の営みの記憶が頭の中に巡ってきた。やはり一線を越えてしまったんだなと将吾は右手で頭を抱える。
服を着て、食堂に行くとどう見ても朝食とは思えないほどの食事がズラリと並んでいた。
「ショーゴさん、お姉様、おはようございます。昨夜はお楽しみだったみたいで何よりです。」
「な、何の事かな…?」
「あんなに激しければ、私の部屋まで聞こえてきますので。私はああいった事は苦手なので、せめて食事は性の付く物にしようと、朝から用意させていただきました。」
「いや、さすがに朝からこの量はキツいって…。むしろ昨晩もかなりあったし、まだお腹に残ってるよ。」
「そんな事言わずに食べて下さいな。この後も私と昨夜の続きをしましょ?それともサユの方が良いですか?」
「え?あ、いや、そういう事では…。」
将吾はトホホと思いながらコーヒーを口にした。
しかし、記憶に違和感がある事と、左肩の痛み。この洋館は何かがおかしいと考えるが、答えは一向に出ない。将吾はコーヒーだけ飲み終えると、サヤとサユを残し、洋館の中を歩き回った。薄らと残る記憶を頼りに、食堂の奥にある冷蔵貯蔵庫。そのさらに奥にある冷凍庫を隈無く調べる。やはりここで昨夜に青い鬼に襲われた痕跡は無かったが、一つだけ将吾が残した服の袖に備え付けられたボタン。その一つを瞬時に床の溝に埋め込んでおいたのだ。
「やっぱあの鬼に追い掛けられた方が現実だって事だよな。じゃああの二人のどちらかがあの鬼って事なのか…?姉のサヤには記憶操作系の魔法かスキルがあるみたいだし、どうしたものか…。それに俺の刀も探さないと。」
将吾は再び洋館の中を散策する。昨日は気が付かなかったが、地下に降りる階段がある。恐る恐る階段を降りると、そこは肌寒く死臭の漂う、先程までの華やかな外見からは想像も出来ない空間であった。上の階から来る明かり以外なく、薄らと間取りが分かるくらいの明るさしかない場所だった。
人や生物の気配こそ無いが、背筋の凍る様な殺気が立ち込め、そしてどこからか視線を感じる。将吾は目を凝らしながら辺りを見渡すが、やはり誰もいない。しかし殺気に押し潰されそうになり、呼吸が苦しくなる。
「ココマデ来ルトハ、大シタ好奇心ダケド、マダ食べ頃ジャナイ時二来テハイケナイ。」
急に背後から声がして、将吾は前方に飛び振り向く。そこには青い鬼が格子を挟んでこちらを見ていた。しかし、昨夜に遭遇した青い鬼よりもやつれ細っている様に見える。
「大事ナ、大事ナ糧ナンダカラ、シッカリ育ッテカラ来ルコトネ。」
将吾は右手を握り拳にし、力を集中させる。
「ショーゴさん、こちらにいらしたんですね。」
そう言いながら、サユが地下に降りてくる。
「見てしまったのですね。仕方ありませんね。まだ食べ頃まで育っていませんが、ここで食べてしまいましょうか。」
「どゆこと?」
「ショーゴさんを肥えさせて食べる計画だったのですが、妹の姿を見られては口封じも兼ねてここで私達の食事とさせていただきますね。」
「妹?という事は…。」
「そうです。彼女はサヨ。私達は鬼の三姉妹なのです。私達三人はある施設で行われた人体実験で生まれた人喰い鬼なんです。私達はその施設から逃げてこのコラムの街に来ました。でも妹のサヨは逃げる時に深手を負ってしまい、人の姿に戻る事が出来ず傷を癒す為にも人を喰らい傷を治さなければいけません。」
「それで俺を太らせて喰おうとした訳か、なるほどね。」
「ですので、私達に食べられてくださいね。」
「いやいやいやいやいやいやいやいや!そうはならないでしょ!ハイそうですかって快く食われる奴なんていないでしょ。」
将吾は再び右手に力を込める。
するとサユの姿が少女から巨大な鬼の姿へと変わる。
「ショーゴサン、貴方ハ武器ヲ使ッテ戦ウ方ナノデ、武器ガ無ケレバタダノ人間ト変ワラナイノデショ?」
「…ダカラ勝チ目ハ無イヨ。アナタの刀はサヤ姉様が持ッテイルモノ。」
「サユ、口下手と言っておきながら結構話せるじゃん。それに武器が無ければ雑魚だから大人しく食われろと?」
将吾は力を込めた拳を開き、掌から大鎌を出現させ、瞬時にサユとサヨの首を斬り落とした。
「そ、そんな…武器が出現するなんて…。」
「黒覇王の力でね。といっても今覚醒したみたいだけど。」
サユとサヨの首から噴水の様に青い血が吹き出し、辺りを真っ青に染めていく。
将吾はその光景と血の匂いに耐え切れず嘔吐した。
将吾は地下から出て、ネクタイを緩めて気持ちを落ち着かせると、寝室へと向かう。
サユは鬼の三姉妹と言っていた。そして昨夜自分を襲った鬼と姿が違う事から、昨夜の鬼はサヤだと必然的に答えが行き着く。
「あら、ショーゴさんどうしたんですか?それにその格好…。」
「やっぱり昨夜の鬼はサヤだったんだね。」
「ショーゴさん激しかったですもんね。私も久々に興奮してぐっしょりでしたもの。」
「悪いけど、サユとサヨの首は刎ねさせてもらったよ。正当防衛とはいえ、二人の妹を殺してしまった。」
「構いません。寧ろ感謝してますよ。これで…。」
サヤはニヤリと怪しげな笑みを零し、羽織っていた布を脱ぎ捨て、裸で将吾の目の前に立ち、返り血を浴びた上着とシャツを脱がし、抱擁しながら耳元で将吾に囁いた。
「ショーゴさん、あなたを独り占め出来るんですもの。」
「それはどういう意味かな?」
「もちろん、あなたを食べるんですよ。」
サヤは将吾の左の首筋に舌を這わせ、牙を剥き出しにする。
「どうしても俺を食べたいの?」
「もちろんです。だって美味しそうじゃないですか。」
「それはよく分からないけど、三女のサヨは怪我を治す為にと言ってたし、君達は実験施設から逃げて来たんだろ?人体実験されるのが嫌だから逃げ出して来たんじゃないの?」
「そうですね。でも、生理的欲求を抑える事ができませんの。ショーゴさんだってそうでしょ?お腹が減れば食事をし、眠くなれば睡眠をとり、女性を抱きたいと思えば抱くでしょ?鬼の血が人を喰らう事を求めているんですよ!」
「最後のだけはそんな相手がいないのと、チキンなので理性で欲求を押し殺してるので分からないよ。それに我慢するという理性があるでしょ!犬でも出来るぞそんな事。」
「抑えれば抑える程欲求は高まって、もう抑えられない所まで来てるのですよ。すぐにでもあなたを食べてしまいたくて堪らないんです。」
サヤの息が次第に荒立ち、抱擁している腕の力が少しずつ強くなっていく。将吾は冷静さを保とうと右手をぎゅっと握り拳にする。サヤは将吾に口付けをし、ぎゅっと将吾に胸を押し当てる。
「そんなに堅くならないでください。優しく頂きますから、ショーゴさんは私に身を任せて頂ければ、快楽を与えつつ食べますから。…それではショーゴさん、イタダキマス。」
「…天牙理心流、刺天。」
サヤが将吾の首筋に噛み付くと、将吾は握り拳を開き、日本刀を出現させて、サヤの腹部に刃を突き刺す。
「武器を出現させた!?」
「黒覇王の能力さ。右手に魔力を込めて武器を精製する。」
「じゃあ刀を隠した意味、なかったのですね。」
「まぁデメリットもあるんだけどね。だから隠された事は結構厄介だったんだ。」
「そうだったんですね。」
「何で本気で肩を噛み砕かなかったんだ?そうすれば相討ちにはなったと思うのに。」
「私は、私達は本気であなたを食べたいとは思ってしまいましたが、それ以上にこんな身体になってしまった事が辛かったんです。でも、自分で生命を落とす事は鬼の血がさせてくれず、私達を殺してくれる強者を待つしかなかったんです。もう限界でした。こんな醜い姿で、いつ鬼の本能に自我を消されてしまうか。身体は犯されても心だけは人間のままでいたかった。」
「じゃあ俺に殺される為にわざと…?」
「はい、あなたが来てくれて、あなたが私達を殺してくれて、とても感謝してるんです。」
サヤは将吾の左肩の傷口から流れ出る血を舐めとる。すると傷口が凍り、出血が治まった。
「巻き込んでしまったお詫びといいますか、助けてもらったお礼といいますか、贈り物をしておきましたね。」
「…もっと助かる方法があったんじゃないか?死を選ぶなんて一番やっちゃいけないだろ。」
「"生きていればきっと"って事は言わないで下さいね。私達はもう疲れちゃったんですよ。実験動物の様に扱われ、来る日も来る日も身体を弄られて人間じゃなくなっていく。そんな事に耐え切れず逃げ出して、逃げ出した時にはもう身体はボロボロで、サヨの傷も深くこれ以上逃げれずこの洋館に留まるしかなく、そんな生活にも疲れてしまったんですよ。だから誰かに殺されたかったんです。自分で死ねないこの身体を殺せる戦士を。だから罪悪感を抱く必要はありませんよ。」
そう言い残し、サヤの身体は風船が破裂したかの様に弾け、辺り一面に肉片と血が飛び散った。
将吾の腕に残ったのは、鬼の胴体の骨に包まれた黒刀が鞘に入ったままサヤの血を吸っていた。




