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あの青空に祈りを

作者: 弥招 栄

この作品は、お題小説企画「劇場『すぽっと』」に参加しています。「すぽっと」で検索していただけると、関連作品を読むことが出来ます。

ではどうぞ、お楽しみくださいませ。

 



 日本初の往還型シャトル「おおぞら」のコックピットを、突然の衝撃が襲った。

「なっ!」

 パイロットの大沢は食べかけの宇宙食を放り出すと、懸命にシートにしがみついた。

 コンソールに赤い灯が、いっせいに灯る。

――こちら、種子島コントロール。なにがあった。

「大沢、なにが起きた!?」

 無線の声と同時に後部ドアが開き、もう一人の乗員である、谷口がよたつきながら入ってきた。

 フロントシールドの向こうを、星星が、そして夜の面を向けた地球が、シャトルの周りをぐるぐると回っている。

 大沢はそれに答えぬまま、姿勢制御ユニットをアクティブ。噴射剤である窒素の残量を確認して、ラン。

 数秒のかすかな噴出音の後、シャトルは安定を取り戻した。

「おい、大沢」

「わからんっ。だが、何かにぶつかったとしか……」

 二人の脳裏を、最悪の予想がよぎる。スペースデブリ。軌道上に捨てられた、性急な宇宙開発のつけである、ごみくず。

――こちら、種子島コントロール。おおぞら、応答しろ。なにがあった。

「今調査中だ! 黙っててくれっ。……あ、いや、そちらでは何か分かるか?」

「見てみよう」

――そちらからの信号がすべて途絶えた。なにが起きた――

 谷口がコ・パイロット席に着き、ロボットアームの操作パネルを開く。モニターに、アームの先端に付けられたカメラの映像が映る。

 二人はそれを食い入るように見つめた。

 カーゴルーム。異常なし。翼上面。異常なし。翼下面――

「あ……」

「なんて、ことだ」

 翼の付け根に張られた耐熱タイルが大きく割れ、はらわたのように断熱材がはみ出していた。

――おおぞら。応答しろ。どうした。

「こちら、おおぞら。……再突入は、不可能だ」

 大気圏に突入する際、シャトルの底面は、1600度を超える高温に包まれる。

 もちろん、コロンビアの事故を教訓に、大空には補修財が積まれているし、二人もそのための訓練を十分に受けている。

 しかし、断熱材までが見えているということは……

 損傷はタイルの下、構造体にまで及んでいるはず。補修は、不可能だ。

 状況を種子島に伝えると、二人は口を閉ざしたままシートに埋もれた。

 日本初の国産有人シャトルの搭乗員に選ばれたときから、覚悟はしていた。

 そして、どのような状況に陥っても対処ができるよう、厳しい訓練を重ねてきた。

 それなのに……

 宙に浮かぶ塵屑ひとつで、このざまだ。

――こちら種子島コントロール。おおぞら。聞こえるか。

「ああ、聞こえる」

――NASAと連絡を取った。軌道を修正してISS(国際宇宙ステーション)へ向かえるか。

 種子島と更新していた大沢は、思わず谷口を振り向いた。そうだ、その手があった!

「谷口、プロペラント(推進剤)の残量は」

「月にだって行けるぜ!」

 しかし、盛り上がりかけた二人を、新たな警報が邪魔をする。

「くそっ! 今度はなんだ?」

「大沢……」

「だからなんだっ!」

「酸素が……」

<Pressure decrease>

 酸素タンクの、圧力減少。酸素が漏れている。

「種子島コントロール! ISSとのランデブーまで、どれくらいかかる!」

――ちょっと待ってくれ、すぐ出る……軌道を完全に合わせるには、おおぞらの推力と現在の軌道から――

「何分だよ!」

――二十……八時間だ。

 大沢はコックピットの天井を見上げた。谷口がシートを殴りつける音が響く。

 間に合わない。修理に向かおうにも、破損部分の気密は当然失われているだろう。EMU(船外活動服)を着用したとしても、それまでにタンクは空になる。

 大沢は、はっと顔を上げ、そしてすぐに肩を落とした。確かにEMUには酸素がある。しかし、すでに通信衛星の設置と修理というミッションを終えたシャトルには、予備のタンクしか残されていない。

 ミッション二回分。一人当たり、わずか七時間の酸素しか。

 大沢は、そっと谷口を伺った。二人なら七時間だが、一人なら十四時間持つ。後は、このコックピットの空気でどれくらい生きていられるか……

 そこまで考えて、大沢はため息をついた。こいつを殺して自分だけが生き残るくらいなら、いっそのこと大気圏に突入して燃え尽きたほうがましだ。

 しかし、突然谷口が立ち上がった。そのままの勢いで天井にぶつかりかけ、すんでのところでそれを避けると、大沢に向かって飛びかかる。

「何を!?」

「大沢、マイクをかせっ! 種子島、聞こえるか、応答しろっ!」

 思わず構えた大沢からマイクを奪い取り、谷口は声を張り上げる。

――聞こえている。どうした。

「俺たちの軌道は捉えているな? ISSに次に再接近する時間と距離、相対速度を出してくれ!」

「どうする気だ?」

「黙ってろ。種子島、どうだ」

――待ってくれ……今からおよそ四十八分後、船内時間で二〇二二時。距離十三万二千メートル。相対速度百四十二.三メートル毎秒だ。

「わかった。大沢。EMUを着用しろ」

「何をする気だ?」

「飛ぶぞ」

「なんだって!」

 しかし大沢は、一瞬の驚愕から立ち直ると、すぐに動き始めた。キーボードを叩き、シミュレートをはじめる。

 プロペラントは使い果たしてもいい。少しでも近く、そして相対速度を小さく。

「距離、九万一千。相対速度、二.四メートル毎秒」

「上出来だ」

 二人の両手が打ち合わされる音が、コックピットに響いた。



――こちら、種子島コントロール。きこえるか。

「ああ、感度良好だ」

 おおぞらの通信装置を経由した雑音交じりの声が、大沢のヘッドセットから聞こえる。

 漆黒の空に浮かぶ星星が、瞬きもせずに二人を取り囲んでいる。

 音のない、死の世界。宇宙。

 子供のころから夜空を見上げ、ずっと夢見ていた世界に、二人は立っていた。

――星が見えるか。

「もちろん見えるさ。あんたが見たことのないような星空がな」

 谷口も、落ち着いた声でそう答えた。星になるなら本望だ。それが彼の口癖だった。

――アンタレスは?

「よく見えるぜ」

――その方向にISSがある。合図をしたら、飛べ。

「了ー解」

――六十秒前……五十……四十……

「大沢」

「……なんだ?」

「宇宙はいいな」

「……そうだな」

「だけど、やっぱり――」

『地球に戻りたいな』

――三、二、一。飛べっ!

 二人の足が、おおぞらを蹴った。

「帰るぞ!」

「ああ、絶対に!」




 どれくらい時間が経っただろうか。自由落下状態に身をゆだねていた大沢は、うたた寝から目覚めるとバイザーに投影されている時計を見た。

 もう、六時間以上経過している。おおぞらはすでにどこにも見えない。周回軌道を外れたシャトルは、地球を何周かした後重力に引かれて大気圏に突入し、そのまま燃え尽きるだろう。

 ヘルメットの中で首だけを動かし、あたりを見回す。

「おい、谷口、谷口!」

「……なんだ?」

 眠そうな声で、谷口が応えた。酸素の消費を抑えるには、眠るのが一番いい。彼もそれを実践していたのだろう。

「見ろよ。太陽が」

 足元には、黒い地球が横たわっていた。その端が、少しずつ輝きを増す。

「日の出だ」

 谷口の笑いを含んだ声に、ぽんぽんという音が重なる。見れば、谷口は拍手を打っていた。その音をマイクが拾ったのだろう。

「きれいだな」

 太陽の光が、地球のふちに沿って輝く。宇宙から見れば薄皮のような大気が、光を反射し輝いている。

「なあ、大沢」

「なんだ?」

「地球に帰ったら、ピクニックしようぜ」

「なんだ、そりゃ」

 大沢は思わず吹き出した。

「緑の芝生にねっころがってさ。青い空を見上げてさ」

「なんだよ。星空に飽きたのか?」

「そうじゃないけどよ。たまには違う女に抱かれてみたいっつうか」

「何言ってんだ。ま、分からんでもないけどな」

 大沢は再び目を閉じた。星空ばかりを見上げていたはずなのに、まぶたの裏に映るのは、まぶしい太陽と白い雲。

 そして、青い空。

 もう一度、あの空の下を走り回りたい。

 大沢は、その青空に祈った。

――u…ma……a…o…no……w……

「谷口!」

「ああ!」

 ずっと沈黙していた無線が、途切れ途切れの音を発した。

 二人はそろって頭上を見上げた。そこには、点滅するライトと、星空をさえぎる小さな影。

 二人を出迎えるために出てきてくれた宇宙飛行士たちのバイザーに、輝く太陽と、ナイフのようにとがった、青い地球が映っていた。






(fin)


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