私の居場所
「私の居場所なんて・・この家にはない」
私の実の父は、私がまだ五歳の時に死んじゃった。母は、再婚して私を連れて茨城の田舎に来た。
母が再婚したのは私が九歳の時だった。新しいお父さんは、初めは優しかったけど赤ちゃんが生まれてからは私に冷たくなった。
そして私は十五歳になり実家を出た。行くあてもなく、ふらりふらりと東京の街へ電車を乗り継いだ。リュックには着替えと歯ブラシなんかを入れて、まるで家出少女の様に。
彷徨うかのように、私はゲームセンターに入ったりネットカフェで眠る夜もあった。お金はお年玉を貯めた十万円を持っていた。
母は私が「今までお世話になりました」と言って玄関先で言うと、涙も見せず、すかさず玄関の鍵を閉めロックされた。十五の私をそんなに簡単に捨てられる母なんだと思ったら、胸が詰まって息苦しくなって私の頬には涙がつたった。
東京に来てからはお決まりのネットカフェで暇をつぶしていた。
「ねえ。いつもこの席にいるよね?」
声のする方に目をやると大学生くらいの男の人が立っていた。黒縁眼鏡をかけて二重まぶたの男だ。
「はい・・」
私はそれしか言えなかった。
「どこから来たの?」
私は髪を触り、俯きながら言った。
「茨城です」
「一人で来たの?」
「うん・・・」
声を掛けて来た人の名前は勇人っていう。大学で地方から出て来て、今は東京で一人暮らしをしているみたい。
「ねえ。行く場所ないなら俺のアパート来る」
「・・・・いいんですか?」
私は居場所に飢えていた。茨城を出て来てからもう半月は過ぎているし、バイトも決まらない。このままどうしようって思っていた。こうして暇をつぶす事しかなかったからお金も底をつきそうになっていた。
「いいよ。狭いアパートだけど、ここで寝るよりマシでしょ」
勇人はそう言ってくれた。勇人は私の歳を聞いたら、さすがに驚いていた。両親が十五で家を出すなんて勇人にしてみたらあの親の神経を疑っただろう。勇人のアパートは、東京タワーの近くにあって、確かに言っていた通り狭くて古かったけど、茶色と白のお洒落なインテリアでまとまっていた。
「あ。まだ名前聞いてなかったね」
勇人は、ガスコンロにやかんをかけた。
「麻衣です。豊田麻衣って言います」
「そっか。俺は斉藤勇人。これから宜しく」
「はい」
勇人は、俺はソファーで寝るからベッドを使っていいよって言ってくれた。私はこの晩、半月ぶりに柔らかいベッドで眠った。実家にいた時の事を思い出す夢を見たけど、怖くはなかった。
私は、妹が生まれてからあの家では邪魔者だった。居場所がなくて寂しくて中二で家出もしたんだ。継父は中学に入った私に手をかけてくる真似をしてきた。
「小遣いやるから。いいだろう」
私はそんな継父が怖くて夜も眠りが浅かった。
勇人は、私を妹の様に可愛がってくれた。勇人が学校に出る時はお弁当を作って送り出て行く。私は、どんどん勇人の事が好きになっていたけど、勇人には将来があって頭も良いし両親もちゃんとしているし、私なんかが好きになる人じゃないって思ったんだ。
勇人の部屋で暮らし二回目の夏が過ぎても、勇人とは恋人にはなれず勇人も勉強に専念していた。勇人は司法書士って立派な国家資格を持つ仕事に就きたいって言っていた。料理の出来ない私に料理を教えてくれたのも勇人だった。初めは目玉焼きを焦がしたけど二人してキッチンで笑った。
十八になった私は仕事もみつかり、勇人への思いは未だ変わらないけど、勇人の卒業と同時に私達は別れた。勇人は東京に残るとは言って、私に新しい住所を教えるからって言ったけど、私はまた勇人に甘えちゃうから、これでお別れって言った。
勇人は去り際、いつでも携帯に電話して来いって言って来た。私は内心嬉しかったけど、私はこの時自分で決め事をつけた。
二年間世話になった恩を返すまでは電話はしないって。
私もこのアパートを出て、寮付きの会社に入社が決まった。勇人には、化粧品の販売員をするって嘘をついた。だって、勇人に風俗店で働くって言ったら絶対に止めろって言われただろう。
「楓ちゃ――――ん。お客さん。ご指名よ―—――」
店長の山田さんはいつも元気で今回の結婚で五度目。
私は、風俗店で働いていてもバージンだけは守った。それは好きな人としたいって思ったからだ。でも、お客は最後を求めてくる。私は、一回目の指名は貰っても二度目はない。それは、やっぱり最後までさせないからだろう。
勇人とはアパートを出てから連絡も不通になっているけど、私と同じ東京の街で暮らしている。就職先は聞いていたけど、恩返しが出来るまでは勇人には会いに行かないつもりだし、電話もしない。
「楓ちゃ――――ん。ご指名よ」
今日も私は親父達の体を相手にしなくちゃいけない。それは結構苦痛だ。「楓ちゃ―—―ん。ご指名」声を聞くたびに治療中の虫歯が重く痛む。だけど、勇人にいつか会って、二年分の恩返しをするんだって思ったら苦痛も痛みも半分は減った。
私は、お客の待つ部屋に入った。
「こんにちは」
そこには、あいつがいた。裸で寝ころぶ姿に見に覚えがある。背中に般若の刺青の入った男はこっちを向いた。
「お前。楓って言うんだな。随分、立派になりやがって。俺は、お前の母さんと別れたんだ」
私は、茫然と立ちすくみ鳥肌が立った。
「さあ。楓ちゃん。たっぷりサービスしてくれよ」
私は部屋を飛び出し、ガウン姿のまま店も出た。気づいたら東京タワーのある勇人と暮らしたアパートの前まで来ていた。泣きながら、当てもなく東京に出て来た時と同じく彷徨うかのように走っていた。
勇人と暮らした二〇一号室の部屋は空き家のままだった。私は懐かしくなって、目一杯の声で叫んだ。
「勇人――――迎えに来てよ―—―――」
でも、そこに勇人の姿はない。
私はネットカフェで声を掛けてくれた勇人の顔を思い出し、また泣いた。ガウン姿のまま私は店まで戻った。これが現実なんだって思いながら歩いた。
交差する子供や大人たちは、私を横目に通り過ぎて行った。店の前まで来て、俯き大きく溜息をつきた。トラックの排気ガスが喉に入り、息苦しくなった私は店に入った。
「楓ちゃん。どうしたのお客さん帰っちゃったよ」
「店長。あの人、私の継父なんです・・・・」
店長は、私の背中をそっと撫でて言った。
「さっきからずっと待っているお客さんいるんだけど・・・大丈夫?」
「私。もう・・・この仕事向いていないかもしれません」
「そう・・・・でも行くあてないんでしょ」
私は、部屋で待つお客を最後に辞めると店長に言って、客の待つ部屋のドアーをノックして入った。
ベージュのジャケットを着た男は振り向いた。
「麻衣」
そこには、勇人が座っていた。
「麻衣。迎えに来た。やっぱり俺は、お前がいなきゃ生きてけないよ」
「え?」
「俺は知っていたんだ。ここで働いている事も」
「勇人・・・・・」
そして私は、風俗店の部屋で勇人にバージンを捧げた。終わった後、勇人がこう言った。
「俺も初めてだったんだ」
私は、嬉しくて涙が止まらなかった。勇人は私をそっと抱き寄せてこう言った。
「また俺と暮らしてくれないか?」
場所は違えども、十五歳の彷徨っていた私を助けてくれた言葉と同じ私を救ってくれる勇人がここにいる。そして私はゆっくり頷き、店を辞め昼間のお惣菜屋さんのバイトをしながら勇人と勇人のマンションで暮らしている。