第三六話
「……行こう」
「姉さん、その妙な気合は何?」
翌朝、家を出る私は気合を入れるように両頬を軽く叩く。
私の様子に明斗の冷たい視線が突き刺さるが、その程度に怯んでいる余裕はない。
なぜなら、私は今日、みあ先輩と死闘を演じなければいけないのだ。
「……明斗、ボクの骨は拾ってね」
「何が言いたいのか、まったくわからないよ」
明斗にお別れの言葉を言うが明斗はため息を吐いている。
なぜ、姉の言葉を信じる事が出来ない。
明斗の様子に少し寂しさを感じるが私は逃げるわけにはいかないらしい。
顔を上げて月宮学園まで続く道を見上げる。
行こう。生き残るためには先制攻撃だ。
それ以外に正気はないと思う。
「おはよう。明斗、姉ちゃんは朝から変な気合が入っているけどどうかしたのか?」
「俺が聞きたいよ」
「とりあえず、変な事やってないで、姉ちゃん、俺と兄貴に弁当をくれ」
気合を入れた私の背後に翔馬が回り込む。
明斗の言葉に翔馬は考える事を拒否したようで私に向かい手を出す。
……私より、お弁当が大事か?
仕方ない。高校生男子だ。食欲か性欲がメインだろう。
翔馬は女の子に人気がある分、性欲に走られて問題になっても困る。
私はカバンから二つのお弁当箱を取り出すとすぐに翔馬はお弁当箱をかっさらって行くが優馬の分は手元に残ったままである。
「翔馬、ユーマは?」
「すぐ来るから、先に行こう」
「そう?」
翔馬は気にする事はないと笑うと首を傾げている私の背中を押して歩き出す。
「それで姉ちゃんは朝から何、おかしな気合を入れていたんだ?」
「昨日、和真先輩にみあ先輩の事を頼もうと思ったんだけど……あっさり交わされたんだよ。そして、みあ先輩が暴走した場合にボクが人身御供にされるんだ」
「とりあえず、頑張れ、姉ちゃん」
私の顔を覗き込む翔馬に私は遠い目をして言う。
その言葉に翔馬は全てを察してくれたようで私の肩を叩く。
おう。姉ちゃんは頑張るよ。
結ちゃんがおかしな騒ぎに巻き込まれて同性愛者になる前にどうにかするよ。
「深月お姉さま」
「ちょ、ちょっと待て。結、深月、避けろ!!」
「……ストップ」
私が決意を新たにした瞬間に結ちゃんと慌てた様子の咲耶の声が聞こえる。
声がした方向に振り向こうとしたその時、私と結ちゃんの間に明斗が割って入った。
結ちゃんの伸ばされた手は明斗の身体に回される。
……翔馬、どうして、写真を撮っているんだい?
その瞬間を見逃す事無く、翔馬はスマホを取り出している。
見方によっては明斗と結ちゃんの熱い抱擁にも見える。
これはどこかで問題が起きそうだね。
戸惑っている私と目が合った翔馬は楽しそうに口元を緩ませており、また、何かを考えているのかと少しだけ不安になる。
「深月お姉さまの感触じゃありませんわ!! 汚らわしいですわ」
「……悪かったね。清瀬さん、いきなり、突撃するのは危ないから止めてくれないかな。姉さんがケガしたらどうするつもり?」
「あなたに言われる筋合いなどありませんわ。深月お姉さまなら、私をきっと抱きしめてくれるはずです」
結ちゃんは明斗の胸に頬ずりをした後、しばらく考えると明斗から離れて叫ぶ。
明斗は結ちゃんの行動に腹を立てているのか彼女を睨み付けるが、結ちゃんは怯む事無く睨み返す。
……私は人一人の突進を受け止めるだけの体力はないよ。
言い分としては明斗の方が絶対に正しい。
みあ先輩の突進で和真先輩が吹き飛んでいる姿も見た事がある。
私は非力でか弱い乙女だ。
きっとで話をされても困る。
しかし、こういう時に居ない優馬はヒーローとしての資質を失っていると思う。
昔は私が困っている時には助けに来てくれたのに。
やっぱり、受けだからヒロイン体質なのか?
「……たまに兄貴がひどく不毛に思える時があるんだ」
「それに関して言えば、あいつがヘタレだから悪い」
明斗と結ちゃんが言い合いをしているなか、私が眉間にしわを寄せていると翔馬とこの場に到着した咲耶が何かを言っている。
良く聞こえなかったが、きっと、優馬は小ばかにされているのだろう。
でも、居ないのだから仕方ないんだと思う。
「咲耶、結ちゃん、おはよう。結ちゃん、明斗の言う通り、突進は危ないから止めようね。危ないから」
「わかりました!! 深月お姉さまの指示に従います」
「……何、この納得のいかなさは」
明斗と結ちゃんの言い合いは私が少し考え事をしている間に掴み合いに発展しそうになっており、私は慌てて二人の間に割って入る。
結ちゃんは私の忠告は聞いてくれるつもりなのか、元気よく返事をしてくれるが明斗は彼女の様子にムッとしたようで眉間にしわを寄せた。
「明斗、落ち着け。理不尽なのは世の常だ」
「翔馬、言いたい事はわかるけど、それは高校に入学したばかりの若人が言う言葉じゃないぞ」
明斗の怒りをなだめようとする翔馬。
その言葉は若者にしてはどこか達観したものにも思え、咲耶は大きく肩を落とす。
咲耶、私も同意見だよ。
若者らしくない翔馬に私は眉間にしわを寄せたくなるが、結ちゃんの視線が痛い。
今、絶対に私は狙われている。突進は止めてくれると約束してくれたが、それでもおかしな気配を感じるのは私がまだ、どこかで結ちゃんを同性愛者と疑っているからか?
「とりあえず、行かないか? 遅刻はしたくないし」
「そ、そうだね」
「なぜ、邪魔をするのですか!!」
結ちゃんと一定の距離を取ろうとしている私の思いを察してくれたのか咲耶は月宮学園に向かう事を提案する。
私は大きく頷き、一歩踏み出そうとした瞬間、結ちゃんの両手が私の右手に伸ばされた。
しかし、彼女の行動を読んでいたのか明斗が遮るように私の隣に立ち、結ちゃんは再び、明斗に抱き付く形になり、結ちゃんの中では明斗を邪魔な人間だと確定したようで威嚇するように声を上げる。
「……結、朝から騒ぐな。あまり迷惑な事をするとストーカーとして通報するぞ。何メートル以内に近づくなとか規制して貰うぞ」
咲耶は大きく肩を落とすと結ちゃんの行動を制限させると言うが、その物言いは完全に結ちゃんを犯罪者扱いである。
私はどう対応して良いかわからずに苦笑いを浮かべるが、結ちゃんは明斗が立っている方は諦めたのか私の左腕に抱き付いた。
……優馬、だから、どうして、こういう時に助けてくれないの?
せっかく決意した事が朝からくじけそうな私は未だに追いつかない優馬の顔を思い浮かべて力なく肩を落として歩き出す。
結ちゃんの顔はものすごく良い笑顔だったが、明斗の顔は不機嫌そうであり、二人に挟まれ、ストレスで胃が痛くなりそうだ。