第十話
「それじゃあ、行ってきます」
「深月、優馬君によろしくね。ネコババしたらダメよ」
「しない。と言うか、ボクの事を疑う前に昨日の事を謝れ。そして、キッチンに立たないで明斗、お昼は任せるよ」
翌朝、カバンに自分と優馬の分のお弁当を入れて家を出ようとする。
それに気が付いたお母さんが慌てて、私を呼び止め、昨日の買い出しにかかった分のお金をくれたのだが私がネコババを決め込むと疑いの視線を向けてくる。
その視線が冗談だとはわかってはいるものの、疑われるのはやはり気分が良くないため、頬を膨らませてお金を受け取ると二日続けてのキッチンの惨劇は遠慮したいため、入学式を前日に控えた明斗に釘を刺す。
「わかっているよ……もう、爆発なんかさせない。休みだからって昼近くまで寝てなければ良かったって本当に後悔したんだから」
「本当ね。まさかあんな事になるなんてね」
……本当に昨日は何が起きたんだ? 爆発? 冗談だよね?
明斗はまだ春休みのため、惰眠をむさぼっていても良いはずなのに今日はしっかりと朝から起きており、朝食を頬張りながらどこか遠くを見て疲れたように肩を落とした。
爆発と言う普段の生活とは縁遠い言葉に私の顔は引きつるがお母さんはよくわからないと言いたげに首を傾げており、私は一抹の不安を覚えるが遅刻するわけにも行かないため、帰ってくる頃には家が無くなっていない事を祈りつつ、家を出る。
「おはよう。深月」
「おはよう。ユーマ、はい。お弁当と昨日のお金」
「ありがとう。いつもごめんね」
家を出るとタイミング良く優馬も登校するところだったようで私はボクに切り替わり、朝の挨拶を交わすとカバンから彼の分のお弁当と先ほどお母さんから預かったお金を渡す。
優馬はお弁当を作って貰う事を悪いと思っているようで謝るが、優馬が気にする必要はない。
私は諦めたと言いつつ、彼の胃袋を掌握しようと企んでいたりもするのだ。
……待て。こう考えると私はストーカー気質なのか?
いや、そんな事はない。優馬を常時、観察しているわけじゃないし、幼馴染と言う特権を利用できるだけ、利用しているだけだ。
そう思って置こう。私はストーカーじゃない、ストーカーじゃない。よし、大丈夫だ。
何が大丈夫かは自分でもわからないが、自分に言い聞かせて優馬の隣に並び、月宮学園まで続く道を歩く。
「昨日は翔馬が迷惑かけたね。夕飯、要らないって言っていたのにあいつは」
「別に気にしてないよ。なんとなく、そんな気もしていたからね。温め直して卵を焼くだけだし、それに翔馬は憎めないから」
優馬は翔馬が押し掛けた事を申し訳なく思っているようで申し訳なさそうな顔をするが予想もついていた事だし、私自身は気にしていない。
何より、翔馬は弟の立場を利用した優馬の何気ない日常の写真を私に譲ってくれるのだ。
……まぁ、お風呂上がりに半裸で頭を拭いている写真には鼻血を噴き出しそうになったけど、それは乙女の秘密だ。
「……僕にはハートを書いてくれなかったのに、翔馬や明斗くんには書くんだ」
「何か言った?」
「な、何でもないよ!?」
私は気にしないと言っているのに優馬は真面目な分、翔馬の勝手なところが気になっているのかぶつぶつと何かを言っているが良く聞き取れない。
その様子に優馬の顔を覗き込み聞くと優馬は慌てて私から距離を取る。
……そうか。私の顔は見るに堪えないか?
優馬の反応に私の胸は小さく痛むがボクは表情に出す事無く、優馬の隣から一歩前に出て歩き出す。
優馬は無理に私の隣に並ぶ事無く、一定の距離を開けて歩く。
「明日から、明斗と翔馬も高校生か、感慨深いね」
「感慨深いって言っても一つ下なんだから、それより、前を向いて、危ないよ」
「大丈夫。大丈夫。ボクはそんなに鈍くないから、だけど、休みなのは良いけど、入学式が見られないのは残念だよね」
「うちの学校、入学式は一年生だけだからね。深月!?」
隣に移動してくれないと話しにくいじゃないか?
私は振り返り、後ろ向きで歩きながら明斗と翔馬の話を振ると優馬は小さくため息を吐き、前を向けと指差す。
心配などないと笑った時、優馬が私の名前を呼ぶと手をつかみ、私の身体を引き寄せる。
……今、優馬の腕の中にいる? ど、どういう事? 私の長年の苦労が報われた? 優馬が女の子に目覚めた?
いや、奴は筋金入りの同性愛者だ。そんな事はあり得ない。
自分に何が起きたかわからずに私の思考回路は暴走し始める。
仕方ないじゃないか。すぐそばに優馬のキレイな顔があり、無駄な脂が付いていないけどしっかりと男の子のたくましい腕の中に抱かれているのだ。
お、落ち着け。私、優馬は同性愛者だ。今、優馬の腕の中にいるのは私じゃない。優馬と同等の美少年だ……ごふっ!?
翔馬が送ってきてくれたあの半裸の優馬の写真でも鼻血を噴き出しそうになった私だ。
優馬が美少年と抱き合っている姿など想像したら鼻血だけじゃなく、いろいろ、乙女としての尊厳が無くなるくらいのおかしなものまで溢れ出てしまう。
お、落ち着くんだ。仮にも同性愛者だとは言え、私の好きな相手だ。趣味に重ね合わせるのは問題がある。
「まったく、だから危ないって言ったのに……深月? 大丈夫?」
「な、何があったの?」
「赤信号、後ろ向きで歩くとか止めなよ。危ないんだから」
ため息を吐く優馬に状況が理解できない私は熱暴走を起こしかけている頭で聞く。
優馬は怒っているようであり、私の身体を開放すると口調を強くして言う。
「赤信号? ……ごめん。反省する」
「わかれば良いけど、気を付けてよ。深月はおっちょこちょいなんだから、それじゃあ、行こうか?」
私は優馬の腕から解放された事を残念に思いながらも、自分が車道に飛び出しそうになったと言う事実に肝が冷えたため肩を落とし反省する。
優馬は私の様子を見て、反省している事がわかったようで苦笑いを浮かべると私の頭をなでた後、ポンポンと頭を軽く叩く。
その仕草に私の鼓動が速くなって行く。
ナ、ナデポ、ニコポなどで簡単に落ちると思わないでよ。
ど、どうせ、無意識なんだろうけど、私は優馬が相手だともっと簡単に落ちるぞ。バカにするな。
信号が青に変わり、前を歩き出す優馬の背中にすでによくわかっていない頭で悪態を吐く。